歴史好きを自認していた私だが、まったくの素人の歴史好きに過ぎないと知ったのは50代を半ば以上過ぎてからだ。どうもかなり思いあがっていたようだ。
一番の衝撃は、関東平野が関東大湿原であり、それを変えたのが徳川家康であったことだ。一言でいえば、秀吉の命令で温暖な静岡から未開の関東へ移すことで家康の反乱を狙った陰険な謀略だと思う。ところが家康はこれをチャンスと捉えて、江戸湾(東京湾)へ流れ込む暴れ川であった利根川を、東に向きを変えさせて太平洋側へ直接流した。
これにより大規模な干拓がなされ石高にして200万石の富が徳川家のものとなった。まさに徳川泰平の世を築き上げる礎となる大事業であった。
その後、私は機会のあるごとに地図、とりわけ日本史に関係のある昔の地図を求めるようになった。そして知ったのは、日本は古代から土木事業大国であったことだ。当初、大化の改新あたりの歴史を調べていたので、古代の奈良、京都がかなり今とは地形が違っていることには気づいていた。
しかし、更に遡ってみると西日本、とりわけ沿岸部の地形が今とはまるで違っていることに驚かされた。沿岸航路の拠点となる港の建設は分かるが、まさか鉄の精製から出る鉄屑とその廃棄物の処理のための埋め立て工事とは知らなかった。
これでは昭和の頃のゴミの島の埋め立てと変わらないではないか。また地形以外でも大規模な気候変動も歴史を動かす大きな要因となっている。歴史の実相を理解するとは、単に文献のみを調べるだけでは足らないのだと知った。
自分で言うのもなんだが、私はけっこう知識はあるほうだと思っていた。それが雑学中心であり、専門的な訓練は受けていないことは自覚していたが、それで十分だと思っていた。でも、今こそはっきりと断言しなくてはならない。
私はただの物好きに過ぎず、その知識は広いだけで、全然深みが足りない。よもや還暦すぎて自分の学力がかくも低いとは思わなかった。人間いくつになっても勉強が必要なのですねェと、いささか複雑な心境です。