御所平峠への登り口
天気:曇り時々雨、気温:19度C
牧場の西側の一部と、法華道の通る森の平坦な地域が昔から「御所平」と呼ばれ、現在も時々話題の端に上る。
口碑によれば、遠く鎌倉幕府から室町幕府へと移り変わる14世紀、後醍醐天皇の皇子宗良親王が一時この場所に隠れ住んでいたことから、このような地名が付いたという。
しかし、大鹿村に拠点を持っていた親王が、なぜこのような辺鄙な地に留まらねばならなかったか、その理由がはっきりしない。
その一方、北条高時の遺児時行(幼名亀寿丸)が幕府滅亡後に、ここに逼塞していたという言い伝えもある。こちらの方が、もっともらしく聞こえはしまいか。いくら山の中とはいえ、かなりの家臣や身の回りを世話する者もいたろうから、どうしても人の目に付こう。そこで、宗良親王の名を騙ったのでは、という推理だが。
高時の遺児が生きていると知れば、足利が赦すはずがない。事実、長男万寿丸はすでに亡き者にされている。宗良であれば、まだこのころなら尊氏は大目に見ると、時行の側は考えたのではなかろうか。その後中先代の乱へと続き、時行は短くも激動の生涯を生きることになる。
本家「御所平峠」
天気:曇り時々雨、気温:19度C
牧場の西側の一部と、法華道の通る森の平坦な地域が昔から「御所平」と呼ばれ、現在も時々話題の端に上る。
口碑によれば、遠く鎌倉幕府から室町幕府へと移り変わる14世紀、後醍醐天皇の皇子宗良親王が一時この場所に隠れ住んでいたことから、このような地名が付いたという。
しかし、大鹿村に拠点を持っていた親王が、なぜこのような辺鄙な地に留まらねばならなかったか、その理由がはっきりしない。
その一方、北条高時の遺児時行(幼名亀寿丸)が幕府滅亡後に、ここに逼塞していたという言い伝えもある。こちらの方が、もっともらしく聞こえはしまいか。いくら山の中とはいえ、かなりの家臣や身の回りを世話する者もいたろうから、どうしても人の目に付こう。そこで、宗良親王の名を騙ったのでは、という推理だが。
高時の遺児が生きていると知れば、足利が赦すはずがない。事実、長男万寿丸はすでに亡き者にされている。宗良であれば、まだこのころなら尊氏は大目に見ると、時行の側は考えたのではなかろうか。その後中先代の乱へと続き、時行は短くも激動の生涯を生きることになる。
本家「御所平峠」