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夜中また起きている。9時ごろ寝て、深夜に目覚めた。どうもこういう悪しき傾向が数日続いている。また雨が降り出した。かなり激しい雨音が聞こえてくる。
夕方、最後の客が帰って、ここには誰もいなくなった。そして今は真夜中、眠れそうもないので独り言でもしながら気を紛らせようとして、ふとあの人、良寛の歌を思い出した。
正確さを欠くといけないので、歌そのものの紹介は控えるが、晩年の孤独な夜の草庵で、淋しさがあるから気が滅入らずに済むと詠っている。漢詩でも、今夜のような雨の夜、山道は幾つあってもそこを行く人など一人もいないだろうと、その孤独感を吐露している。
しかし、良寛を引き合いに出して良いか分からないが、ここの暮らしに格別な淋しさがあるわけでもなければ、「鬱」を感ずることもない。いつの間にかそういう感覚などはどこかへ行ってしまったような気がする。
もとより良寛のような才能もなければ、修行もしてないし、感ずることも表現することもおぼつかず、できることといったら老いたあの人の暮らしを想像してみるぐらいだが、それもあまり鮮明な像が浮かんでくるわけではない。
確か亡くなったのは72か3歳で、当時としては清貧な暮らしを続けた割には、長生きした方だと言っていいだろう。
昔し、若いころに1,2冊良寛のことを書いた本を読んで、ひねくれた感想を持ったことを思い出した。晩年、あのような人生を振り返って、もしかしたら良寛は秘かに自身の生き方に悔いを覚えたのではないかという見方、疑問である。
本来なら、故郷の出雲崎に名主として暮らす道があり、もしもそうなったなら実質的な面で地域にもっと貢献できただろうし、家族を持ち子もなすことができただろう。その方が意義のある人生だったのではないかという思い、悔いが去来することはなかったのだろうか。
禅の道に生きて人生の大半を空費し、とあえて言うが、結局は故郷でうらぶれた晩年を生きるより仕方のなかった虚しさ、今でこそ、いや当時も、その生き方の評価は高かったかも知れないが、本人自身はどう感じていたのだろうか。「悟了の人」などともてはやす後世の人もいるが、実像は霞の向こうで、見えてこない。
ただ、老いさらばえた良寛が自分の尿で濡らした布団の上で、ひたすら貞心尼を待つ心情は伝わってくる。
ようやく眠れそうになってきた。
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本日はこの辺で。