朝方、雨の降る音を聞いた。きょうはいい天気のはずだと思いながら、また眠りに落ち、それからどれほどの時が過ぎたのか、目を覚まし外に出てみたら道路や草原がすっかり濡れていた。どうやらにわか雨だったらしく、今は日が部屋の中まで差し込み、鳥の声もしている。しかし、雲の様子から判断すると、まだ降り足りなさそうだ。もう一雨来るかもしれない。
日常の暮らしには格別苦も無く過ごしているが、なぜか夢の中では苦労が多い。目が覚め、平和な現実に帰ってきて安堵することがよくある。昨夜もそうだった。
今も豊かとは言えないがもっと貧しい時代があって、どうもその記憶が脳の底に淀んでいるらしい。金繰りに苦労している夢をいまだによく見る。
また、いろいろと世話になり、精神的に負い目を感ずる人ならいないわけではなく、感謝もしているが、そのことが消化しきれない食物のように夢の中で心をさいなむのだろうか。
一昨日で終わったはずの梅雨のような天気が戻ってきた。霧が降りてきて、風の音もする。何時雨が振り出してもおかしくないような天気になってきた。
あっ、ついに激しく降り出した。
台所に立って、よく何をしに来たかを忘れる。いや、台所だけではなく、仕事中にもそんなことがよくある。探し物にも手を焼く。昨夜も、何時も手元にあるはずの作業日誌を探して、大分無駄な時間を過ごした。
こんがらかった紐をほどくようなややこしいことはできるだけ避け、人の名前も無理して覚えようとはしない。まして、スマホやPCのことになれば全くお手上げで、自分で解決することはほぼ諦めている。
年齢から来る心身の衰えは致し方ないとして、それでも、何歳になっても頭脳の衰えを感じさせない人も中にはいて感心する。80歳を過ぎても、性的な冒険に出かけようとする勇気ある人だっていると聞く。
しかし、あの人は違うような気がする。頭も、肉体も大分劣化してきていて、それが随所に見て取れる。転んでみたり、言い間違えたりするだけならまだしも、世界の重要な問題においても、充分な対応ができているのかはなはだ疑わしい。
一国のみならず世界の指導者でい続けようとするのは、本人には世界が嗤いこける喜劇の主人公のようで哀れだし、何よりか全人類にとってはもっと悲劇だろう。
どの分野にも優秀な、相応しい人はいっぱいいるが、政治の世界だけは首をかしげたくなる人が少なくない、多い。
天気待ちの間に、つい場違いなことを呟いた。
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本日はこの辺で。明日は沈黙します。