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「Kさん、今の独り言の題名をそろそろ『秋』にしようかと思っているんですが」
「そうやな、ここはもうぎょうさんトンボも飛んでるし、そないしてもええんやないか」
きょう、京都へ帰るKさんとの会話。
また、文字が消えてしまった。昨日見た、久しく目にしたことのない澄み切った真っ青な空のことを、どう呟いたらよいかと苦心していた。
子供のころ、天竜川で泳いでいて、冷えた身体を堤防で甲羅干ししようと水から上がってきた時に目にした空だと、夏休みの記憶と重ねて呟こうとして、すぐ否定した。
盛夏の日の光は強く、それが中天にあれば空の色はもっと薄青色に薄められるはずだが、昨日の空の色はずっと濃い紺色に近かったからだ。「見たこともないような」というのが正しかったかも知れない。
そんな意味のことをあれこれ思案しながら呟やこうとしていたら、その部分が消えてしまった。どうも、このPCは試行錯誤が始まると喜ばないようで、付き合ってくれない。
どうやら昨日も30度には達しなかった。今夏も7月が終わると、次の8月はやはり晩夏の気配を強め、気が付けば季節は次に移っているだろう。
「明日は沈黙します」と土曜日には断る。しかしその台詞を、もう、言わなければならないかと思うほどに、一週間は短い。
ここでの暮らしに大きな変化がないせいかも知れない。来る日もくるひも、ただ草を食むだけのあの牛たちを見ているうちに、似てきたのだろうか。
しかしそれでいい。あの牛たちがそういう暮らしに倦むふうを見せないと同じく、ここでの平和で単調な暮らしを厭うことはあまりない。牛に似てきたとしても構わないどころか、牛を見習いたいと思うこともあるほどだ。
朝が来れば囲いから出ていって、今では一日中どこかで草を食み、反芻し、また草を食む。そうやって一日を過ごし、夕方になればまた囲いに帰ってくる。そのように調教した結果だが、勤め人のようだ。
人間も、牛とほぼ同じで昼間は外に出て夕方には小屋に戻り、短かった一日を閉じる。その間にはいろいろな所で感動し、また同じ過ちを繰り返す自分に腹を立て、嘲い、叫んだりしている。老成、円熟を信じず。
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本日はこの辺で。明日は沈黙します。