この古道、法華道を歩いてみたくはないか
昨日も、雨が降り出す前の少しの時間「法華道」へ行って草刈りをしていた。あそこにいると、いつものことながら延喜式に記されているというもう一つの古道「石堂越え」のことが気になってくる。
こちらの方は法華道よりかもっと古く、5世紀に入って日本に馬が入ってきて以降、信濃国(長野県)がその最大の生産地となっていったころに、甲斐(山梨県)にも同様の牧があって、都へと馬が送られる際にはこの古道、石堂越えを通ったと伝え聞いている。
以前は、大阿原から富士見へ下る少し先、右手に「石堂越え」の標識があったが、今は取り除かれて通行止めになっている。このあたりの事情は富士見に聞いてみなければ分からないが、どうがもこの古道がテイ沢のどこかを通り、小黒川の川床を進み、半対峠を超えて・・・、遠く奈良や京の都まで通じていたらしい。
あくまでも口碑の類に過ぎなく、もう少し詳しく知りたいと思いながらも、歴史の迷路は深く果てしなくて遂げずにいる。
そういえばきょう、伊那のケーブルテレビがテイ沢の取材に来ることになっていたが、天気が良くないということで中止になった。
もし予定通り来たら、先日触れた「開道記念碑」のことも話そうと思っていた。この碑については、この独り言を聞いてくれたある親切な人が不明な個所も書き添えて全文を送ってくれた。そして、正確な文章が知りたいともあった。
いくつかの個所は判読できた。それでも意味不明な個所も残った。正確を期すため、もしかしたらと、高遠支所の知人のT君に尋ねたら調べてくれ、支所にあった原文を翌日には送ってくれた。実に素早く有難く、今それがPCの中にある。
碑の方は西暦(1963年)で、原文の方は和暦(昭和38年)といったように、他にも若干相違するところもあった。
資金的な問題だろう、碑は石ではなくコンクリートである。遅かれ早かれ読むことはできなくなり、この「入笠牧道」建設の経緯は後世に伝わらなくなってしまうに違いない。いや、入笠山の伊那側一帯が、かつて牧場であったことさえも、同じ運命をたどるかも知れない。
きょうの写真は、一部の人の間で「オタマジャクシの池」と呼んでいる小さな池塘と、その横を通る法華道。
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本日はこの辺で。