入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「冬」(6)

2024年11月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 水道の凍結を心配しながら上ってきた。昨日は月1回の診断、および降圧剤と痛風の薬を受け取るため里に下り、夜は入浴2回、そのお蔭で9時間の快眠をし、翌朝もう1回朝風呂を浴び、それから東部支所で灯油90㍑を受け取り、先程ここへ戻ってきた。
 幸い、水回りは最終のバルブを開けてあったため、水道管の破裂などの大事にはならずひと安堵した。

 きょう富士山に初雪が観測されたというニュースが大きく報じられていたが、来る途中で中アの駒ケ岳から御岳、乗鞍、北アルプスにも、初雪があったことが分かった。
 北門を過ぎて、いつもの癖で大沢山を眺めると、丘の上のダケカンバの樹々に付着した霧氷が朝日に輝いていて、思わず車を停めて写真を撮った。以前にも似たような景色に出会い、その時は夢中でもっと上まで登っていったが、今回はそこまではしなかった。

 昨日、山を下るときは1台の車ともすれ違うことはなく、そういう静かな季節がまたやってきたことを感じながら落ち葉に埋まる山道を急いだ。
 それにしても、あれほどまでに絢爛を競い、見せた紅葉が散っていく。そして樹々が裸になれば山はさらに閑散として静寂を深め、雪の訪れを前にしたほんの一時ではあるが、独特のものさびしさを漂わせるようになる。それは誰かが言った「滅びの予兆」などではなく、もっと後の、滅びそのものが始まる時だと言っていい。

 仕事を終えて帰って来る途中、ラジオから「第9」が聞こえてきた。今年初めてだった。残念ながら第4楽章しか聞くことはできなかったが、その後に第1牧区へ上がっていったら、穂高から槍の山腹に棚引く細い一筋の雲以外、空はどこまでも広く大きく澄み渡り、美しいあの「第9」の3楽章のような透明な日没を眺めることができた。(11月7日記)

 今朝7時の気温零下3度、日が昇るのを前に、辺りはすっかり霜が降りて白くなっている。今は曇天ながら、やがて晴れるだろう。なお、昨年の入笠牧場の初雪は11月13日と作業日誌に記されていた。

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      ’24年「冬」(5)

2024年11月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜も雨が降ったようだ。今は上がっている。そのせいもあり、冷え込みはそれほどではなく午前7時の気温は5度と、このくらいであれば楽だ。天気は回復傾向にあり、きょうの予報は晴れ、それが週末まで続くとなっている。

 今週は北原新道の整備をやっている。何カ所か歩きにくい場所にツルハシを振るって足場を切ったり、また、以前から気になっていた少々危険な急な登路には迂回路を作ろうとしているが、始めてみるとこれが思いの他に厄介な仕事で、果たしてうまくいくかまだ分からない。
 
 それにしても、このクマササの生い茂る急な斜面に刈り払い機1台で、よくもこれだけのことを一人でやったものだと、改めて師の熱意に、努力に感服してばかりいる。
「折り返しを1回だけのVにせず、2回のWにすれば、もっと勾配も緩くて済んだのに」などと知ったか振って、今は反省している。

 10年以上前だが、林道からの取り付きに丸太で階段を作ったり、迂回路を設けたこともあるし、今やっている先にも簡単な迂回路を作ったことがあるが、その時はそれほど大変だとは思わなかった。お師匠の目の前で、多分得意げにやったくらいだ。
 それと比べて、北原新道と言えばまず思い浮かぶのは、急な登りを刈り払い機をかかえるようにしてやる毎春の草刈りだった。しかし、今回やってみてとてもその比ではないと痛感した。
 それにしても、そもそもお師匠はなぜあの斜面を選んだのか、どのようにして刈っていく方向を見定めたのか、一度はやり直しをしたとは聞いているが、今となっては分からない。日朝上人の導きがあったのかも知れない。
 
 テイ沢の南斜面の伐採が始まって、重機の動く音や、チェーンソーの音が北原新道にいるとよく聞こえてくる。あちらは最新の機械だが、それでも山仕事が大変な作業であることに変わりはない。勝手に連帯を感じている。こちらは急がずに、暇を見て少しづつやる。

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      ’24年「冬」(4)

2024年11月05日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 富士見へ下る林道が今一番美しい。特に夕暮れ時、交通規制が解除された後だから何の気遣いもなく、標高差7,800㍍を下るにつれて、自然の演出の段階的な違いを楽しむことができる。たまに歩いて下る人を見かけるが悪くない試みだと思う。
 昨日は、ちょうど正面の夕日に染まる八ヶ岳や、林道周辺の黄金の山腹を眺めながら車を走らせていたら、ラジオからいい音楽が流れてきた。カーペンターズの「オンリーイエスタディ」、そしてカーメンカバレロの「トゥーラブアゲイン」だった。
 激しい労働をした後のその満足感に加えて、美しい自然、さらに胸に沁みる懐かしい音楽、一日の報酬としては充分過ぎるほどだった。

  今朝は霧が深い。10時になろうとしているのに、囲いの中の草原もその背後の雑木の林も乳色の霧の中に隠れてしまっている。鳥の声も聞こえてこない。
 午前3時に目が覚め1時間ばかり起きていたが、それからまた眠った。再び目覚めたらなんと9時を過ぎていた。10時間ばかり寝た計算になる、久しぶりだ。夢らしい夢も見なかった気がする。
 睡眠から得た充実感にすっかり疲労感は消えて、また気力、活力が湧いてくる。朝飯は味噌汁、副菜を用意してきちんと食べたし、これで朝風呂に入れたら最高だが、ここではそうはいかない。
 昨日は山の中で作業をしていて登ったり、下りたりを余程何回も繰り返したのだろう、歩行数は1万歩を超えていた。それでも充分過ぎる睡眠のお蔭で、有難いことに足腰には何の支障もない。
 
 高齢化社会ということだろうが、やたらに栄養補助食品や薬品もどきの宣伝をよく目にし耳にする。それも、あまり信用しなさんなと言う代わりなのか「本人の感想です」などと画面の隅に小さく注記されていて嗤う。
 あれだけ宣伝が続くということは売れていると解釈していいのか、必要としている人がいるということか。この頃では本業の酒ではなく、薬屋になってしまったのかと思うほど、関連会社の健康補助薬品のしつこい宣伝が気に障る。

 健康であることも、本人の日頃の注意や努力にも負うだろうが、運もかなりあるなと思う。まだ本当に運が良いかどうかは断言できないが、当面はそう思うことにして有難いと感じている。
 ようやく霧が晴れてきた。昨日の仕事の続きに出掛けよう。
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      ’24年「冬」(3)

2024年11月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 先週の土曜日、2日はよく雨が降った。今は水も曳き問題はないが、珍しくテント場の一部にも雨水が流れ込み、その雨量の多さを見せつけられた。
 そんな天気に外の仕事は諦めて、久しぶりに台所の片付けや掃除を徹底してやった。こんな物もあったか、あんな物もあったかと、初めて目にする古い食器や道具までが出てきて、大分昔し、少なくも20年以上も以前になるようだが、食事も提供していたことがあったというその当時の名残である。

 翌日の日曜日はテイ沢へ行った。大水が出たのは予想もついたし覚悟もできていたが、果たしてそれがどんな影響や被害を及ぼしたのかを知っておきたかった。
 驚いた。下から3番目のすぐ下流に堆積していた土砂やそこに設けた導水路はものの見事に消えてしまって、大量の水が人間の努力をあざ笑うかのように流れていた。大水がすべてを浚ってしまったのだ。あの仕事は一日待てばしなくても済んだ苦労で、まさに徒労と言うしかない。

 その一方、「護岸」などと言えば嗤われれてしまうが、流れの際の危うい道を守るのに少しは役に立つかと水流に削られかけた場所に岩や石を運び込んでおいたが、有難いことにあの大水にも殆どが流されずに無事だった。気休めに過ぎないと思いながらやったことながら、今回は多少の効果があったようだ。

 テイ沢から林道へ出た所と、北原新道の登り口の道標も傷んでいたので新しくして、設置しておいた。しかしこういうことをしても、勘違い、思い違いをする人は必ずと言ってよいほど現れる。
 疲労が重なれば少しでも楽をしたくなる。あの人たちもその願望が、無意識の裡に自分の都合の良い解釈を誘い、挙句にはそうでなければならないというところまで飛躍してしまったのだろうか。よく見れば、古いながらも長谷までは14㌔を示す道標もあったはずだが、残念ながら見落としている。

 きょうは山梨から10人ほどの人がやってきて、法華道を往復する計画で先程出発していった。先導役のOさんは80歳を超えているが大元気、これで3回目になる。北原のお師匠が乗り移ったと言ったら、まんざらでもなさそうに笑っていた。
 天気も良いからいい山歩きができるだろう。

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      ’24年「冬」(2)

2024年11月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 ついに11月に入ってしまった。紅葉も見ごろを過ぎた。都会ではつい最近まで残暑だ夏日だと喧しかったが、ここにはとっくにいつもの秋が来て、ひとしきらその絢爛たる様を例年と変わらずに見せてくれた。今は早くもその季節は終わりを告げつつあって、きょうは晩秋を思わせる雨。樹々は葉を散らし、遠くの山々はそのうちには雪化粧を始めるだろう。

 昨日、一昨日とテイ沢へ行った。道標の設置もあったし、下から数えて2番目と3番目の丸太橋の間の細い道があのままだと流れに削られてしまうと以前から気にはしていたが、ようやく何とかする気になった。
 それで、水流を二分させるために堆積した土砂をどけて新しい導水路を設けたり、護岸工事の真似ごとをした。大水が出れば、もちろんこんなものはいちころに流されてしまうことは承知の上で、しかし敢えてやった。
 
 一か所、両側の大岩に挟まった、これもひとかかえほどある岩だったが、この岩をどければかなり流れがよくなると、大分奮闘した。まるでこちらの気を引くように少しは動くのだが、しまいにはどうにもならずついに断念した。
 ところが、一晩寝たら諦めきれなくなって、性懲りもなくまた出掛けていった。何とかなりそうな気がしたのだ。
 流れの中の不安定な歩行、重い石、長靴の中は水が入りぐしょ濡れ、何度尻餅をつきそうになったことか。それでも最後はこっちの思いが通じ、岩は動き、下方の淀みに落ちていった。

 若いころ、椎間板変性症というのを患った。しかし、いつの間にか治って今は問題ない。それでも、ここでまた痛めたら悲惨なことになると、それなりに注意しながらやったが、幸い、腰のあたりが少し重いくらいで済んでいる。
 帰り、北原新道の道標を新しくし、歩きにくい道にも少しだけ手を入れた。

 連休が終われば小屋やキャンプ場の水を落とし、冬季も取水できるように一か所だけ水を流しっ放なしにする。そして、少しづつ里の暮らしに戻るための準備を進めながら、残りの日々を過ごすつもりだ。
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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。


 
 

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