お金のことに詳しい職業の人と話をする機会があって(しまって)
その人からの質問に
“「時に ○丁目の方ですか。」「いえ ちがいます。」”の時ほどの速攻返信をし、
話はその先膨らまず 終了することとなった。
相手のその時の言葉のためらい方が妙に印象に残って、ぶすぶす気になる日が続き
「あのためらいは何だったのだろう?」
疑問を晴らすべく 内容の詳しく書いてある本を手に取り そして、
私のその時の返信内容が とんでもない見当違いであることに 気がつくこととなった。
(あー、あんなに自信たっぷりに否定するんじゃなかった><。)
で そのお金関係の本を もっとよく読むべきです、私。
の ライフプラン神の声が響き渡り、入門の入門みたいな本を手にしている。
とここら辺までは確か 何年かごとに「読まなくちゃ。ベンキョウしなくちゃ。知らなくちゃ。」と繰り返してしまっている人生行路。なんか「底ぬけ脱線ゲーム」みたいな 「で、あれからどーなってんの?」注意喚起システム(大げさ)が必要ぢゃ。
な割に 「いいね!」なものが浮かばず、「パスを出したら背番号を見に行く。」の響きがまあ近いかも、と 採用。
「パスを出したら背番号を見に行く。」 2018-11-07
“入門の入門みたいな本を手にしている。”
読み始めたが頭に入ってきているようでそのまま出ていっているような気もする。甲斐が無い。
書いておこう。
「ライフプラン」という未来年表を作って、書き込んでおこう。
手元にあった雑誌の付録の付録みたいな「ライフプラン(表)」を引き破ってきた。
も一つあったな、と そちらも引き破り。パンチをしてファイルした。どちらを使う?
書き込める年(数)を見比べると 一方は2032年まで。もう一方は2050年まで。
2050年の方はその図表的に 2032年がマラソンの折り返し地点みたいになっている。
その雑誌の読者層には合っているのだろう。
そう考えたらなんだか疲れてきたが、
2032年までの方に書き込み始めることにして少し進んだということにしよう。
(進んだ?進んだ!誰の声?)
「パスを出したら背番号を見に行く。」 2018-11-09
“2032年までの方に書き込み始めることにして”
家族の名を書き入れ、その行に年齢を書き連ねていく。
2018・○歳/2019・(○+1)歳/2020・(○+2)歳…
家族分書き込んだら、とりあえず記入例のような数字の行進が出来上がった。
記入例の年月とは 少しあるいはだいぶ 始まり年が隔たっている。
出遅れ家族旅行が始まったみたいな変な気分になってきて、かと言って悪い気はしない。
帰省とか墓参とかを除けば 家族旅行というものをあまりしたことが無いからだろうか。
「ライフプラン」とは 紙の上の家族旅行のようだな。
一つずつ年が重なりゆく時間旅行。
と 数字数行書き入れるだけでこんなに時間がたっている。
「パスを出したら背番号を見に行く。」 2018-11-11
“家族分書き込んだら、とりあえず記入例のような数字の行進が出来上がった。”
数字の行進の中の節目となる年齢のところを鉛筆で囲む。私はここから。家族はここから。(届いていた紙を見ながら書き込んでいくと、再確認というか分かったような気になってくるというか。)
届いている紙には金額予想情報も載っているので付箋に書き込み、数字の行進の下の欄に貼った。せっかく?だから人単位金額を家族単位金額にして(要は足し算して) 「この年からは計何円」の付箋も作って貼った。
○ 自分の(そして家族の)節目の年を知る。
○ その時からの金額も確認する。
○ ↑の情報を いつでも分かるような状態にしておく。(「ライフプラン(表)」にしておく。)
今やっとこさ形になった、こんな風な情報整理をしておけば “(あー、あんなに自信たっぷりに否定するんじゃなかった><。)”な返答もしなかったのかもぅ~。
っま、ここで 時をかける少女すれば(動詞?)
自分がそれまで思い違いしていた知識を修正する機会を作ってくれたやりとりだった、
そういうことにしておこう><。
「パスを出したら背番号を見に行く。」 2018-11-15
“内容の詳しく書いてある本”ながら“入門の入門みたいな本”、矛盾が本になってるような本を(それは仕方のないこと、のようだ。あまりに人はそれぞれで、そのそれぞれの人にまつわるお金の話の本なのだから。)とにかく読み始め、自分の例を図解や表の中に求めるが何かが違っている。???三冊バババッと眺め、やっと説明が見つかる。もう一つ確証が欲しくて、もう二冊ほどにも探しにいき、同じ説明(注)をやっと見つけることができた。(いやなに、その二冊に第一第二と出会えれば二冊で済んだ話ですが。)そこではたと 「あのためらいは何だったのだろう?」の経過状況が分かることとなった。(このややこしさを相手側は私に伝えることを諦めたのだな、と。何しろ私は即座に否定しているのだから、その先の注記事項みたいなことを説明するなんて気にはとてもならなかったのだろう。)
と言うことはですよ、“自分がそれまで思い違いしていた知識を修正する機会を作ってくれたやりとりだった”に加えて、この先いやがうえにもきちんと理解しなきゃならない場面で必要のない勘違いをしないで済むこととなったヒントを あの電話勧誘氏は図らずも与えてくれたということなのだろうか。
電話勧誘氏は 私が氏の営業範囲に今のところあまり該当しないことを知り、私は自分の知識の足りなさを自覚する機会を得、勘違いを修正し、近い未来に起こったであろうまたしてもの勘違いを少なくとも一つは回避することとなった。
「パスを出したら背番号を見に行く。」 2018-11-18