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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

しあわせ気分のゴガク 独・西 寄り道 München

2024-10-10 | _よむ__
München (音)大学生 で拡張インターネット散策していたら、
白バラ
と出てきた。知らない。
で知ろうと
「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か」 對馬達雄著 中公新書 2015
を手にした。

ドイツ現代史のなかのわずか12年間のナチス期、
「あとがき」にこういった表現が出てきて 干支のような年数数字に混乱を感じた。
そういう時間の塊で考えたことが無かった。

「はじめに」と「あとがき」は 読み取れた気になっている。
本文は しっかりと読むのが難しかった。白バラの出てくるところなどだけ読んでの飛ばし読み、となった。
その「はじめに」と「あとがき」、その辺りからの抜き書き
「はじめに」 「同意の独裁」
「あとがき」 「市民的勇気」・「ツィヴィル・クラージュ」←フランス語をドイツ語化した←ビスマルクの造語→ビスマルクは【「市民的勇気」⇔「戦場の勇気」】という対比のもとにこの語を用いた。

ジャケットカバーの折り返しのところと
出版社サイトのところとに
紹介されていた文章。

「いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです。だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。これから頑張ってね、さようなら。お父さんより」(反ナチ市民グループ《クライザウ・サークル》のメンバーが処刑前に十一歳の娘に宛てた手紙)



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「羊と鋼の森」

2024-10-05 | _気な・気な_
「羊と鋼の森」を見終わった。映画の方。本の方は読んでいない。


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<森の匂いがした>
<森の木々の揺れる匂い>

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調律師の話。
私は調律師ではありませんが、
「本質を探して生きていこう。」
「本質を感じて生きていこう。」
そんな風に言葉に置いたものが残りました。



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「PERFECT DAYS」

2024-10-03 | _気な・気な_
「PERFECT DAYS」を見終わった。


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↓ストーリー展開を書き込む形での感想となっています。

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主人公・平山は働く。「THE TOKYO TOILET」というところが勤め先のようだ。実務の担当だ。
朝起きて身支度をしアパートのドアを開け目の前にとめてある自分の車に乗り込む前にすぐにある自販機にコインを入れ缶コーヒーを求める。
ルーティンのように映像が流れていくのですが 何かが気になる。
気になるものだから せっかくの録画再生を止めてしまって、自分ちの片づけなんかを始める。
そんなんで片づけは追いつかない。
何言ってんだか 平山の部屋は仕事場は周りは世界は片づいているようなのだ。
片づいているって言うのかな、しっかりしている。
立っているところとそこからの人々とのしっかり感。
それは彼の努力によるものなのだろうか。
しっかりしていない場面も頻繁に現れる。
夢なのかもしれない。夢にしっかり感はない。それでも意味を感じる。重なる映像。
平山は本を読む。本を買いに古書店だろうか立ち寄る。
「均一本」コーナーの低めの棚の上に2冊3冊展示本があって、その1冊は「私小説」と見えた。
ああ。
吉原真里著「不機嫌な英語たち」にも出てくる、
水村美苗さんの「私小説」、
相変わらずの積読本、いや、挫折本の「私小説」。。。
またもや録画再生止めちゃって 片づけを繰り返した。
平山はあまり話さない。なのに話す時には話す。アイコンタクトのような目礼のようなコミュニケーションもとてもしっかりしている。
彼の努力をそこに見たような気になっている私は どこから目線なのだろう。



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