<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

仏を知らされるほどの身になっているのである

2015年04月02日 15時10分10秒 | Weblog

彼(か)の仏の光明は無量にして十方の国々を照らすに障礙あることなし。是の故に号して阿弥陀と為す。 「仏説阿弥陀経」より

「どういうわけで彼の仏を阿弥陀と名づけるのであろうか」とお釈迦様が弟子のサーリプッタ尊者にお尋ねになり、尊者が答える以前に自分からこうお説きに成られた。仏の放たれている耀きが計り知られないほど耀き続けて止まることがなく、東西南北、その中間の4方向、更に上下の国々を照らしてもなお耀き続けて遮るものもない。この無量という仏徳があるゆえに彼の仏を無量光仏・無量寿仏と申し上げるのである、と。

阿弥陀仏になられたのでもはや光明そのものになられたのである。光明が耀いているのでその耀きの力でもって、ガンジス川の砂の数ほどもある仏の国々ですら耀き出されてくるのである。

さぶろうはこうやって仏さまのことを知らされる。仏さまを知らされるほどのさぶろうになっているのである。彼はこの事実をありがたがって拝領する。拝領できるものは希有であるとしてまた有り難がるのである。とまれ、この地点まで彼は歩みを進めてきたのだ。仏さまのことは経典にも書いてあるので決して秘密ではない。覆い隠されているのではない。隠してあるのではないけれども、これまでは見えてこなかったのである。聞いても受け止められなかったのである。

阿弥陀仏の光明はさぶろうのいるところをも照らしてきて、無明の人さぶろうの、無明をも障碍としていないのである。煩悩の人さぶろうの、煩悩をすら障碍とはならなかったのである。この光明の中にいるさぶろうもまた、この阿弥陀を知って耀いているのである。

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讃歎

2015年04月02日 15時01分23秒 | Weblog

あまりの暑さに下着(長袖)を脱いでTシャツ(長袖)一枚になった。お昼にかけて気温が一気に上がった。桜の木の下は花吹雪である。駐車している車が埋まってしまうほどにはらはらはらはらと散りかかる。視界が閉ざされてしまうほどに舞い散ってくるので、この世のものとも思えないほどの眼前の美しさを讃歎をするばかりだ。

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今日という日が最上最善最高

2015年04月02日 14時41分51秒 | Weblog

「元気で70才までも生きさせて頂きました。有り難うございました」今日はこの台詞を何度呟いたことだろう。感謝が溢れ出てくる。「最上最善最高を尽くして頂きました」聞いているのは春の風と青空である。

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我を往生させるのは阿弥陀仏のお仕事だからなあ

2015年04月02日 10時04分19秒 | Weblog

仏のかたより往生は治定せしめたまふ。 御文章「聖人一流の章」より

なんだ、こっちですることじゃなかったんだ。やれやれ。あくせくしないでいいということか。じゃ、往生のこの儀はお預けをして、我が輩はごろんと横になって鶯の鳴き音でも楽しんでいることとしよう。

われが往生をするのに、阿弥陀仏に一人働きをさせてしまうのか。それが、阿弥陀仏のお仕事だからなあ。

我が肉体の死は、我が仏性の浄土往生であった。我が非才非力によって異界移住を決め込まねばならないとしたら大変な労力を必要としたろうに、それは一切問われないで、阿弥陀仏の大慈大悲によって我が往生が完了するのである。

生まれたように、受動態のままで、死なされて行くのである。これを自然法爾としてくださるのだ。

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大金持ちになればよかろうなあ

2015年04月02日 09時47分37秒 | Weblog

大金持ちになればよかろうなあ。なっただけでは何にもならないぞ。お金というのは、な、これを使って始めてその価値が発揮されることになる。使わなければどんな大金だろうと宝の持ち腐れになってしまう。だよな。これを何に使うか。己の快のために消費するか、他者の快のためにこれを献上するか。大いに頭を使うところだ。衣食住の贅沢はあんまりしなくていいよ。ほどほどに身心の健康を保って花鳥風月を賞でていられたらそれで楽しい。だったら、大金持ちではなくていい。そういうことになる。うん。今の暮らしで十分ということか。<他者の快のために大金を献上する快>は当分お預けするとしよう。

 

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ある男のストーリー

2015年04月02日 08時57分03秒 | Weblog

その頃、男は地上の今日を生きていた。彼には肉体が伴っていた。肉体が調子を崩して病むと彼のこころも病んだ。肉体が調子を元に戻して元気になるとこころもこれに従って明るくなった。だからこの男の場合、肉体が蛇の頭で、こころが蛇の尻尾だった。

男はやがて地上にめぐる今日を生きることがなくなった。肉体を離脱したからである。彼は、肉体の代わりに霊体を纏っていることがあったが、これは気球のようなもので、彼の心を束縛できるほど頑丈にはできていなかった。彼のスピリット(霊)はときどきこの幽玄な気球に乗ってぶらりぶらり自由に飛び回った。ここでは霊が蛇の頭で、霊体は尻尾だった。

男は、進化を辿って行くうちに、過去も現在も未来も同時に同一して存在しているということを知るようになった。それぞれの次元をチェンジするレバーが手元にあって次元変更をすると映像がスクリーンに映し出された。スクリーンの映像の中で、役者姿の男が泣いたり笑ったりした。もちろん地上を生きていた頃の男の泣き笑いも観賞できた。

進化がどんどん繰り広げられて行った。男はマスター(修士号獲得者)となった。いわゆる通力、神通力が操れるような段階にまで進んでいたので、利他の実践を展開した。求められれば、大局的観点からの力を貸すことができるようになっていたのである。もちろん、このマスターの活動も地上の今日と同時に存在した。

男は何度も何度もスピリットの霊体脱皮を重ねて行った。彼はもう限りなく光に近くなった。耀いて耀いていた。耀いていることで耀かせる実践活動ができた。耀いていることも耀かせることもともに彼のよろこびだった。それでもなお彼は永遠の現在の中で過去と同居した。こうすることで彼は自分の座標を失わないでいられた。

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強者弱者の差

2015年04月02日 06時49分29秒 | Weblog

人の社会を生きている間はどうしたって人と競争するような場面が出て来ます。運動会のように顕わな競争ではないにしても押したり押されたりします。力尽くだと力が弱い者は強い者に場外へ放り出されます。場外に出た弱い者は我が身を悲しみます。勇気を出してもう一度土俵に上がって来て、そこで揉み合いをしますが、戦闘意欲に開きがありますからまた負けを喫します。

闘争は嫌です。老人になってよかったことの一つに、嫌な闘争から離れていられるということがあります。ところがひょいひょいと過去の闘争が思い出されてきます。負けの場面は心の傷として残っています。すると「もういいよ」とぼそりと声が出ます。「もう闘争をしなくてすむところへ来ているよ」と自分を宥めます。

戦闘意欲消失者と平和主義者とは同一ではないでしょう。闘わないと闘えないは別物です。種族を維持する立場のオスとしてはだらしないです。弱いオスはメスからも排除されます。惨めです。でももういいのです。すべて終わったのです。老いれば強弱の差も縮小して来ます。強者も弱者もともに老と病に冒されて小さくなります。

力を誇った者も肉体が死を迎えます。するとやっと強弱の差はゼロになります。お金持ちと貧乏人の差もゼロになります。権力行使者と被行使者の差、優秀者と劣敗者の差もゼロになります。階級ピラミッド社会の頂点を形成して、多くの下層者に差を見せつけたい勝者側は、ここへ来てがっかりするかもしれませんね。

強い者は強くしてしか生きられないほどに弱く、弱い者は弱くしてでも生きられるほど強し。これはだらしない生き方をしたさぶろうが考案した詭弁です。

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ジャガタライモおにょろおにょろ

2015年04月02日 06時15分57秒 | Weblog

ジャガタラ芋が土を割っておにょろろおにょろとおん出て来ました。もう霜も降りないでしょう。種類はアンデスの赤芋です。植物の内包する生命力が証明されてくるので嬉しくなります。蕗も力強い成長を見せています。黄緑の丸葉が畑の一隅を占拠しています。陣地をどんどん拡大侵入して来るので、隣接地に発芽したばかりの透かし百合までが呑み込まれてしまいます。午前6時を過ぎました。聞き慣れない声の小鳥の鳴き声がしています。きょろりくるりというふうに聞こえます。

4月1日が過ぎてしまい、4月2日になりました。昨日は、花を着けだしたミヤコワスレ(赤紫)を株分けして丸形の鉢に鉢植えする作業を夕暮れまでしました。そのうちの1鉢をお風呂の飾り棚に飾りました。花数は3つです。入浴しながら観賞しました。きれいです。2日の今日もこの作業(赤紫を増殖する作業)をもう少し続けようと思っています。ミヤコワスレの白が赤紫を淘汰しています。赤紫の列に白を加えたらこれが優勢になって赤紫を駆逐してしまいそうです。赤紫はお淑やかなのですが、白が葉も花も断然羽振りがいいのです。

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