光雲無碍如虚空 一切の有碍(うげ)にさはり(障り)なし 光沢(こうたく)かふらぬものぞなし 難思議に帰命せよ 親鸞聖人の「浄土和讃」より
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光も雲も無碍であるので、無碍が虚空を行くが如し。智慧の光や慈悲の雲が無碍であるから、有碍(うげ)のわれら凡夫をも障りとはなさらない。その証拠に、この明るい光明を蒙(こうむ)らない者などはいない。これは何故か。なぜわたしが光を受けていられるか。何故の思議などできるものではない。ただこの光の働きに帰命するばかりでいいのだ。帰命している者は日々を明るく耀いて暮らしていけるから、これも難思議である。(さぶろうの我流解釈)
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難思議の当体、われらの思いや言葉の及ばない人は阿弥陀如来を指していることは言うまでもない。
仏の智慧も光も無碍である。無碍は虚空、大宇宙そのものの特質である。無碍の対極にある有碍はわれら凡夫である。仏と光と智慧が無碍だから、われらが有碍でよかったのである。これに照らされて無碍に同化させられるからである。