これから涌蓋山(わいたさん)に行って来ます。周辺の温泉で遊んできます。硫黄臭を嗅いできます。ブログはしばらくお休みです。でも、どうも空模様が怪しいなあ。雨になるのかなあ。ぶらぶらする分には雨でもいいか。
ブッダンサラナンガッチャーミー、ダンマンサラナンガッチャーミー、サンガンサラナンガッチャーミー。三帰依文がこれである。南伝小乗仏教国、北伝大乗仏教国の、仏教徒共通である。
(大乗・小乗:大きな乗り物と小さな乗り物の謂。大乗は多くの人を乗せていけるが、小乗は自分一人を乗せるしかない。後の革新的仏教教団が自己宣伝をするために用いた。何を乗せている乗り物か、仏智見を乗せる己という乗り物である)
さぶろうはぼそぼそぼそぼそこれを呟いている。声になるかならないか分からないくらいのぼそぼそ声である。いつということはない。何処ということはない。蟹の泡のようなつぶやきだから。水面にまで上がっては消える。
「わたしは仏陀に帰依する者です、わたしは仏陀の説いた法に帰依する者です、わたしは仏陀を信奉するお弟子衆(サンガ)に帰依する者です」という表明である。誰に対してそうしているか。わたし自らに対してである。帰依をすることで自分の定位置を、その都度、確認している。
さぶろうの帰依は、しかし、すぐに崩れる。乾いた土のようである。崖の土のようである。危うい。崩れて埃を舞い上げる。ぼそぼそぼそぼそのつぶやきは、だから、ときには嘆き節のようにも聞こえる。断固たるところがない。堅強さがない。
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仏陀の別称に「調御丈夫(じょうごじょうふ)」という呼び名がある。己という暴れ馬を調教してこれを御している逞しい丈夫(御者)の謂だろう。仏陀もまた己という暴れ馬に苦しまれたのである。そしてこれを克服されたのである。もちろん、仏陀はこれで自己満足をされたのではなく、活動を開始された。誰もがこの暴れ馬の己に苦しんでいたからである。
仏陀の暴れ馬を調御したのは何か。菩提である。涅槃である。悟りである。悟りの内容である法(ダンマ)である。
さぶろうは未だ以て己の暴れ馬を調御できていない。馬は跳ねて回る。逆立ちをする。暴走をする。この暴走を止める手綱がブッダンサラナンガッチャーミーである。ダンマンサラナンガッチャーミーである。サンガンサラナンガッチャーミーである。仏陀に従って生きようという呪文である。
おはようございます。昨日は日が暮れるまで農作業をしました。幾つかの広めのプランターに不断草の種蒔きをしました。それから畑に、やや大きくなったズッキーニの苗を植えました。未就学児童がする(公園の砂場の)砂遊びにそっくりです。なんにも考えずに過ごせます。こんなに楽しいものかと思います。そしてまあ、充実感までもらえます。感覚的に過ぎませんが、日暮れまで働く「働き者」になります。お金になることではありませんし、社会に貢献しているわけでもないのに、です。独善です。