サーリプッタよ、極楽国土には、衆生にして生まれん者は皆、是、アビバッチにして、その中に多く、一生補処(いっしょうふしょー)(の菩薩)有り。その数、甚だ多くして、是、算数(さんじゅー)の能く之を知る所に非ず。但だ無量無辺、阿僧祇(あそうぎ)劫を以て説くべしや。 「仏説阿弥陀経」より抜粋
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アビバッチ:サンスクリット語アヴィニヴァルタニーヤの音写語。不退転と漢訳される。仏に成ることが決定したこの位置に辿り着けば、迷いの世界に二度と後退しない。
阿僧祇(あそうぎ)劫:どんなに長い時間をかけても数量では計算できないほどの、時間の単位。
一生補処(いっしょうふーしょー):仏に成る修行が進んで来て、補う処が今回のこの生の一生だけでよくなっていること、またはその段階にまで到達した人(つまり菩薩)。
菩薩:仏の智慧に到達した段階の修行者。利他の実践者。彼らはいつでも仏になれるが、衆生救済の利他行に留まって、代受苦(苦しんでいる人に代わって苦しみを受ける修行実践)をしていることができる。観音菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩などの有名人だけではない。その数が数えることが不可能なほどに、桁外れに多いと記述されている。
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極楽国土に生まれている者は、先の一生涯が最後の流転の生涯で、もう二度と迷いの世界(六道)には戻らないのである。彼らは修行を積み重ねてきたので、菩薩と呼ばれている。仏の智慧を具えるまでになっているのだから、いつ仏の位に昇進してもいいのだが、なおも衆生済度を己の任務としている。そういう人ばかりである。
菩薩は利他行をしている修行者である。衆生という患者から苦の棘を抜いている、いわばお医者さん、内科医外科医である。あんまり痛い痛いと泣き叫ぶ人がいたら、そこですかさずその人に代わって苦を受けることもできる能力・神通力があるから、マジシャン、或いはスーパーマンでもある。
苦の衆生は苦界に居るわたしたちである。苦界は、菩薩たちにとっては異界である。そこを難なく飛び越えて来て、人間の姿を取って救済業務・済度に明け暮れる。この集団は地上かではサンガと呼ばれている。僧の集まりである。仏・法・僧の、僧である。仏法の実践者である。彼らが存在しなければ、仏も仏法も活動できないので、その任務はまことに重大である。
仏陀(お釈迦様)は法を説くこの僧を菩薩中の菩薩、アビバッチとして讃えられたのである。この故に彼らは退転(利己の欲求を満たさんとして迷い込む迷界への退転)などしてはいられなかったのである。
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阿弥陀経を、今朝のさぶろうは、このように読んでみた。阿弥陀経は阿弥陀仏の教えである。これを解き明かしているのは仏陀、お釈迦様である。「苦しんでいる者・さぶろうを救うぞ救うぞ」と書いてある。