<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

立て札は立てましたが

2015年04月18日 16時53分51秒 | Weblog

我が家の門の位置に立て札を立てましたよ。(門はありませんけど、ここにモミジの若木と山茶花の老木があります。これに結び付けました)段ボール箱の上蓋を切り取って2mx30cmの立て札にしました。門の位置の左右に。「牡丹が咲いています。どうぞお立ち寄り下さい」とマジックで大きく書いて。「お出でになったらお茶を差し上げよう、そうだ蓬団子を作っておいて食べていただこう」ということになって、団子を練って蒸かして、とりあえず6人分をお皿に盛って来客を待っていました。残念でした。誰もお出でにはなりませんでした。立て札を見た人がいなかったのか、立て札を見ても牡丹を見る気持ちにはなれなかったのか、分かりません。呼び込みをすべきだったかもしれませんが、そこまでは躊躇しました。入場料を取られるのではと思われたかもしれません。それとも牡丹くらいはどこの家の庭にもあるからそれだけの魅力に欠けていたのかも。ともかく、ゼロ人。お笑いでした。

わたし以上に、咲いている満開の牡丹が残念がったかもしれません。赤紫、濃いピンク、薄いピンク、白、赤、朱、赤白混じりと色とりどりにたくさん咲いています。花虻が来て盛んに飛び回っています。いい匂いがそこら中にしています。精一杯美しく咲いたのに見てもらえないのは悲しいですよね。でも、大丈夫。牡丹は顔色を変えてはいないようです。わたしは何度も前に立って褒めましたよ。牡丹は大きな心をしていて偉いので、わたしだけでよしとしてくれたのかもしれません。

 

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小説家は凄いなあ

2015年04月18日 16時40分50秒 | Weblog

原稿用紙500枚とか1000枚とかの小説を書く小説家は凄いなあ。それを読者に一気に読ませるとなるとますます凄いなあ。そういう結末まで読み取れるのだから、凄く緻密な頭なんだろうなあ。せめて50枚くらいの短編小説でも書けないものかなあ。ぼんやり書いても、しかし、読み手が皆無だろうなあ。

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読んでもらえる記事とは

2015年04月18日 16時07分05秒 | Weblog

読んでもらえるものを書いたらいいのに、読んでもらえそうもないようなことをクドクドと書いている。改良工夫したらいいのだが、それをしない。ブログ「おでいげにおいでおいで」に誘って、お出でいただいた方が、がっかりして帰られるだろうと思うと情けなくなる。読んでもらえそうな記事とは、ではどんな記事なのか。1,読んで面白い記事。1,読んでためになる記事。(「ああ、賢くなった」という感想がもらえる記事かな?)3,読んでハートがときめく記事。4,読んで感動を覚える記事。(文学性に富んでいる記事かな?)5,読んでリラックスできる爽やかな記事。6,読んで愉快になれる記事。7,読んで元気になれる記事。8,読んで興味をそそられてつい誰かに話して聞かせてやりたくなる記事。(ニュース性がある記事かな?)9,読んで新しい発見ができる記事。10,読んでうふふと嬉しくなってしまう記事)11,笑い出したくなる記事。12,泣きたくなる記事。13,よろこびをもらえる記事。14,肩の荷物が降りる記事。15,安心が生まれてくる記事。16,甘くておいしいケーキのような記事。17,続きを早く読みたくなる記事。18,少々エッチな記事。・・・そのどれかに当て嵌まるのを書けたらいいけどなあ。

雨になりました。雨音がしています。春雨だからいいかと思ってちょっとは濡れていましたが、さっき畑から戻ってきました。晴れが三日ともちません。日照時間が少ないのでお店に列んだ野菜が高騰しているそうです。今日は友人が我が家の畑の蕗をもらいにきました。(毎年今頃に顔を見せます)家内が友人宅に蕗を摘んで届けました。蕗は今が旬です。

これじゃありきたりで読んでもらえそうもないなあ。(笑い)

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有明海の沙魚を料理

2015年04月18日 15時52分18秒 | Weblog

有明海の水底に棲む沙魚(はぜ)を料理した。くにょくにょするのを左手で押さえつけて、右手で包丁を使って丹念に捌いた。すんなりの細身だ。白身だ。うっすら透いて見える。今日はこれを天麩羅にしてもらおう。うふ、酒の肴になりそうだ。しかし、さぶろうは残酷だなあ。腹には真子(卵塊)が詰まっていた。孵化した稚魚が明日は春の海を泳ぐというのに。

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うつくしききみをうつくしく見て

2015年04月18日 13時04分54秒 | Weblog

大好きといわまほしきを言わざれば悔いは霞の空のごとしも  

老いを来てほのぼのすらし わぎもこをおいてけぼりの空のかすめる

大好きを1000回言っていわざりし昔戻してみる 水の上

きみは少女われは少年 これしきのたったこれしきの絵にも棲まざりき

老獪のわれの狡猾 うつくしききみうつくしく見てかなしめる

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我が聚落の移動図書館

2015年04月18日 12時32分44秒 | Weblog

わが聚落の公民館で毎週土曜日は移動図書館になります。現公民館長の発案でもう数年も継続されています。ここへ行って来ました。貸出業務は老人会の方が手伝ってもおられます。いこいの広場にもなっています。三冊借りて来ました。1,河合隼雄著「老いの道」 2,俵万智著「101個目のレモン」 3,上野正彦著「死体論」 これから読んでみます。「101個目のレモン」は前にも読んだことがありますけど、もう一度読みたくなりました。

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見る者を曼陀羅にして喜ばせる

2015年04月18日 11時43分20秒 | Weblog

昼夜六時而雨曼陀羅華 (ちゅうやろくじ にう まんだらけ) 「仏説阿弥陀経」より

極楽浄土は昼夜六時(昼夜それぞれ3回ずつ)に曼陀羅華(マンダラーゲ)が雨のように降り注いでくるところだよ。こうして見る者のこころ、受ける者のこころを曼陀羅(マンダーラ=仏の悟り)にして喜ばせてくれるのだよ。

さぶろうの庭はいま春の花で溢れている。これも天空から降り注いで来て根付いた草に違いない。こころを曼陀羅にして喜んでいたいものだ。

曼陀羅華:仏国土に咲いている華。サンスクリット語ではマンダラバア。見る者のこころを曼陀羅にして喜ばせてくれる華。この地上界では、チョウセン朝顔やムラサキケマンの別称ともなっている。曼陀羅は仏の悟りの世界を象徴する壇を指す。胎蔵界曼陀羅、金剛界曼陀羅、浄土曼陀羅、十界曼陀羅などがある。

ムラサキケマンは春の野辺に咲く草。紫華鬘。女性の髪飾りにする花。花は淡紫色。上品で清楚で美しい。黄色のキケマンも美しい。マンダラゲとも称せられる。ケシ科の多年草。チョウセン朝顔は秋の花。ナス科。乾した葉は生薬になり鎮痙剤となる。やはり淡紫色。

散華落(さんげらく)がお釈迦様や阿弥陀如来、十方諸仏の入道場の式で声明に合わせて称えられる。散華(さんげ)がお寺で行われる法会などで見かけることがある。曼陀羅華は10cm大の紙製で、蓮華の花弁が刷ってある。参会者はこれを貰って帰る。

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わたしが仏の妙果を証明する者となる

2015年04月18日 10時59分41秒 | Weblog

一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい) 至安養界証妙果(しあんにょうかいしょうみょうか)    親鸞聖人の著された「正信念仏偈」より

一生造悪(の者)も(阿弥陀仏の)弘誓(ぐぜい=本願)に値(あ)いて、安養界(=極楽浄土)に至り(阿弥陀仏の)妙果を証明する者となるであろう。この段は道綽禅師のお宣べになったところである。

阿弥陀仏の立てた本願(弘誓・衆生救済のお誓い)が原因となって衆生が極楽浄土に生まれ仏と成るという妙果が達成される。一生を全部悪で塗りつぶしてきた極悪人といえどもこの妙果(=往生成仏)に違うということはないのである。

極重の悪人は浄土往生の原因を作っていないので、この間の道程をすべて阿弥陀如来が一人働きをされるしか方法は残っていない。最後の結果の妙果(浄土往生と成仏)だけは一生造悪したわたしが(横取りをして)お頂きをするのだ。というより、わたしがそうすることで始めて阿弥陀如来の本願が正しかったと証明されるのだから、大威張りをしていいことになるのだ。この方程式(不等式?)はあまりにもあまりにも不均等すぎることなのだ。

<阿弥陀仏の妙果を証明する者=わたし>というこの構図を思うと泣けてくる。「わたしゃあなた(阿弥陀仏)に拝まれて」「念仏を称えてくれよとたのまれて」、大威張りで往生浄土を果たして行くのだ。何から何までが他力なのだ。わたしが死ぬというのはかくも凄まじいことなのだ。かくも忝(かたじけな)い摩訶不思議な実践なのだ。

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牡丹花が道路まで歩いて行くことは

2015年04月18日 08時12分29秒 | Weblog

道路にこんな立て札をしたらどうだろう。「気軽にお立ち寄り下さい。いま牡丹花が満開を迎えています。庭に入ってきてご覧下さい」 さぶろうだけが、「きれいだ、きれいだ」を100回言うよりも、100人の人に見てもらった方がいい。ともかく赤、白、紫、ピンク、赤白混じり、いろとりどりに着飾って咲いているのです。牡丹花が道路まで歩いて行くことはできないのです。

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愛想がないなあ

2015年04月18日 08時05分00秒 | Weblog

さぶろうの声は低音です。で、友達に会ったときに言われます。「きみに電話をかけるとき、きみはいつも怒っているのかい。低い声でぼそぼそ、ぼそぼそ。愛想がないなあ」

怒っているように聞こえるさぶろうの低音は、もうすこし明るく高くするべきです。愛想がないと友達ですら嫌がります。ましていわんや、初めての人なら恐がってしまいます。

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