畑の一角に蕗がぞろりと伸びてきたのでもうすぐ初物が摘めそうです。炒り子出汁で炊くと美味しいです。風味があります。冬の間に牛糞を施肥しておいたので成長が著しいです。
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お金が儲ける話は書けません。役に立つ情報も出せません。棒にも箸にもかからない類いのブログしか発信していません。読んでくださる方にはちっともプラスになれなくて、なんだか気の毒です。
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諸行無常、諸法無我、涅槃寂静は三宝印と呼ばれています。お釈迦様のお悟りの内容です。諸行無常はこの世にあるすべては変化をしながら(究極的にはよい方向に)進んでいるということです。諸法無我はわたしとすべきものはないということです。関係性の中にわたしが見いだせるということです。涅槃寂静は調和した状態の時、そこには安定が得られるということです。活動中止を理想としているのではありません。
健康体は、ですから涅槃寂静体と言えます。不健康だったらそうではないということではありません。そこに調和と安定を見いだせばその位置が涅槃寂静体になります。諸行は無常です。形に現れる現象はいつも変化をしています。でも、よい方へよい方へ、次なる新しいよい方向へ変化をしています。老いも病も死も諸法無我、すなわち関係性の中で涅槃寂静を見つければいいのです。これで調和している、安定していると受け止め得たらいい、わたしはそういうふうに理解しています。ですからこれはある意味、心の調和であり、心の安定であろうと思います。(でも形の変化に逆らって調和と平安を勝ち取ることは至難の業ですよね)
涅槃寂静は死後の世界を指しているように受け止められがちですが、この世にいる段階にもそれは当て嵌められるように思います。<わたしの現在はもっともよい状態として自ずからにしてそうなさしめられている>と理解すれば<自然法爾>が生きてくるように思います。涅槃は燃え盛る火が消えた状態を指しています。この火はわたしの煩悩の火です。荒れ狂うわたしの欲望の火です。心の安定を壊してしまう火です。
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さぶろうの解釈はわがまま流の素人解釈です。本流からずいぶんと逸れている恐れがあります。ご注意ください。