蓮華蔵世界に入るを得れば、即ち真如法性身(しんにょほっしょうしん)を証し、煩悩の林に遊んで神通(じんづう)を現じ、生死の園に入って応化(おうげ)を示さん。 「正信念仏偈」より
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このチャプターは天親菩薩が諄々とお説きになっておられる部分だ。蓮華蔵世界は蓮華より生じた仏の浄土。ここでは阿弥陀如来の極楽浄土を指している。盧舎那仏(るしゃなぶつ)の浄土の名でもある。
浄土往生をして往生成仏を果たした者は、己のみをよしとすることなく、また元の穢土に戻って来て、仏と成った者の功徳を、苦悩する者に振り向ける任務に就くことになる。
蓮華蔵世界(=極楽浄土)に入ったらどうなるか。ここは真如界だからただちに法性身になる。そうでなければここには存在しえない。法性身とは真如を体現したボデイ、つまり仏身である。
法性身を得たらどうするか。煩悩が生い茂る林=穢土=この世へ戻って来て仏と同じ力、つまり神通力を発揮する。神通力とは衆生済度、衆生利益をすることができるパワーのことだ。
発揮してどうするか。応化する。さまざまな姿を取って苦悩の衆生の前に現れてくる。そしてそこでどうするか。仏法を説いて教化する。教化したらどうなるか。教化に応じて救済が果たされる。果たされたらどうなるか。仏の世界を思って念仏申す身となることができる。
生死の園とは生まれたり死んだりする世界、ここだ。煩悩の林が生死の園である。蓮華蔵世界には肉体を持つ者特有の生死はもはやない。生死につきまとう煩悩がない。この娑婆世界(現世)では生死という煩悩に振り回されていなければならない。
応化(おうげ)は仏や菩薩が衆生を救い出すためにさまざまな姿を取って出現してくることで、応現とも応作とも呼ばれる。天親菩薩は、仏の国で仏と成っていないで、ここへ立ち返ってきて菩薩となっておられる方である。菩薩は<自らは未だ(仏の国に)渡らざるに先ず他を渡す>業務に従事している。仏様の代行業務をなさっておいでだ。
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大乗仏教は自己の往生成仏を以て目標達成としていない。我が身の往生成仏の功徳を他者に振り向けて行く(これを廻向という)ことこそが成仏者の証明であるとしている。自利から利他に進んで行く。わたしたちは、だからこの(成仏者の)利他の真っ只中に暮らしていることになる。道理でここが明るいはずだ。