芋焼酎25%をお湯割りで呑んでほろ酔い気分。ああ、いい気持ち。陶器の湯飲み(やや大きめ)で一杯だけ。肴は蕗の料理。おいしい。朝昼晩食べても飽かない。肉類では炊かない。出汁の素のみだから、あっさりしている。後はお風呂に入って寝るだけ。体の蝶番(ちょうつがい)が外れてだらりとしているので、もう起きてはいられない。でも、夜中に3度~4度は目が覚める。眼が開かないままでダム放水をする。それからがしかし眠られなくなる。仕方がないので、読書タイムとなる。読経をしたり瞑想したりマントラを唱えたりもしている。寝たままの姿勢で軽く矢山式気功体操もする。朝方また眠くなる。お風呂に入ったままでも瞑想を楽しむ。今日までを元気で生きてこられたことに感謝をする。今はYouTubeでsolfeggio harmonics 528hz miracleを静かに聞いている。
小中一貫校「玄海みらい学園」の校歌を聞かしていただきました。玄海町の教育委員会の方から連絡を頂きました。さっそく「玄海教育テレビ」で検索をしました。落ち着いたいい曲になっていました。YouTubeで楽しみました。作詞を担当させていただきました。見事な新校舎です。お招きを頂いた本年四月の開校式には、あいにく用事が重なって、行けませんでした。歌を歌っているこどもたちにも会ってみたいです。玄海みらい学園の末永いご発展をお祈りいたします。有り難うございました。
午後から作業着に着替えた。落花生の種を小さなポット(4列x5列の20個)に埋めて、如雨露で水撒きをした。発芽を待つ。作業時間30分間。ああ、楽しかった。それから、三尺ササゲ豆が上っていけるように棚を拵えた。これも30分間はかかった。枯れ草の上に尻を置いて紐で固定する作業をしていたら、手の平をダンゴムシの大みたいな虫に食われてしまった。鋏で切られたような痛みがした。ダニだったかもしれない。気持ちが悪くなって、急いで服を脱ぎ捨て、裸になって、他の部位に吸い付いていないか点検をした。春はみな生き物が活動をする時節だ。ぼんやりはしていられない。
如意は宝珠(treasure)である。摩尼(サンスクリット語でmani。宝玉宝珠の謂。わがこころ、意を指している)である。摩尼は濁水を清く澄ませる不思議な働きを働かすので、さぶろうには不可欠である。説法をする導師が錫杖形の法具を振り回して、「これを見よ」といった具合にして見せる。「汝等一人一人の己の中にもこの如意宝珠(心という珠)があるぞ。この宝珠を無駄にせず、煩悩の濁りを澄ませ」と言って勧進する。不思議な働きを働かすのでこれは宝の中の宝である。首に懸けたり念珠として両手に握ったりもする。孫悟空は如意棒を身から離さない。これで宙を飛ぶ。如意(意のままになるもの)だからなんでもできるのだ。魔女は箒を如意珠にしている。宝珠は桃の実によく似ているから、桃を食べる者は仙人となる。落下寸前の雨垂れもこの宝珠の形をとる。橋の欄干にも、寺院の階段にも、この宝珠が上向きに刺してある。
我が心は如意である。摩尼である。宝珠宝玉である。心を悪に染めて是を見ればそこに悪が結実するし、心を善に染めて是を見ればそこに善が結実している。染めているだけで心そのものは清らかに澄み切っている。不染不執着である。この澄み切った春の大空は宇宙の心であり、宇宙の宝珠(treasure)である。
ウンチが出た。ウンチの元は食べた食べ物。消化器官をぐるぐるぐるっと経巡って、栄養分だけを吸収して、その残滓が直腸に送られてきて、しばらくいるうちに固形になって、肛門から廃棄された。トイレでウンチさまに有り難うを言う。役割とすべきことをすべてやり終えてくらたことに感謝する。黙々とただ黙々と、(彼らにとっての)偉大な旦那さま(さぶろうのこと)にお仕えしてますますその偉大さを高める努力をしてくれた労をねぎらう。さぶろうが彼らの願いを果たしているかどうかは不問にしておこう。それから悪臭を放つようになったウンチさん(そう仕向けたのはさぶろうの元気維持機構)を拒否せずじっと抱え込んでいてくれた細胞さん血液さん肉さん骨さん皮膚さん、ホルモンさん神経さん、脳指令さん、体内組織の諸元素のみなさんにも感謝をします。さぶろうの体内ではすべてのよき循環が、今日も滞りなく、よくなされました。
おはようございます。お変わりありませんか。昨日、さぶろうがこのブログで書いた童謡「紋付き鳥」が出来上がりました。作曲を申し出て下さった方が二人で我が家を訪ねてきて下さいました。CDにしてありました。柔らかいいい童謡を聞かせていただきました。有り難うございました。綾部神社の門前にあるぼた餅屋さんからぼた餅を買ってきて振る舞いました。作曲料も支払いませんでした。五線紙を置いて行って下さいました。ここでそのコピーをしてみなさんにも歌っていただけたらいいのですが、さぶろうにはそれをここに載せる技術がありません。もっと工夫していい作詞をするべきだったとそれが悔やまれます。長期に亘って歌を練り上げて下さった作曲方の善意に感謝します。有り難うございました。
病む。病んだ者はこれで輝き出す。苦しむからだ。苦しむと熱が出る。これが弱電気になる。発光する。
病みたくない病みたくない。その通りだけど、病むことがある。病んだら苦しむ。苦しむことができるステージへと我が身の立脚地点が上昇する。
病めば苦しむ。苦しんで苦しんで、そこで見えてくるものがある。これに出会う。いままでちっとも見えてこなかった美しいもの、尊いもの、輝きに出会う。やっと出会う。
病む力がついた者でないと病まない。ついていなければ病が無意味になってしまうからだ。病む者は苦しむ。しかし輝きを見せられることになる。希有の人になる。
輝きは人を癒やしてくれる。内面から癒やしてくれる。根本から癒やしてくれる。あついものが頬を伝って流れて来る。
熱いものの正体はなんだろう。霊妙といっていいほどの不思議だが、これで深い深いわが生命の根底から、自己信頼と自己肯定が汲み上がってくる。