垣根にシャガの花が咲き出しました。白に薄い青の紋が入っています。いかにも清楚で清純です。これはわたしが植えたものではありません。種が山から飛来して来て自然に育ったものです。庭のあちこちにも蔓延(はびこ)っています。「きみはきれいだ」の声かけをします。風の仕業でしょうが、「有り難う」を返しているように体を揺らして応じます。老人とシャガのふたりままごと遊びです。
午後から園芸店に行きました。透かし百合の苗(赤と黄色と白)をそれぞれ数本ずつ買いました。帰宅してすぐに庭に植え込みました。それから長方形のプランターに蔓なしインゲン豆の種蒔きをしました。3種類3袋も。施肥は鶏糞を使いました。これは病気にも強く、割と作りやすいです。たくさん収獲が望めます。毎朝摘んで回れます。三尺ササゲ豆も種蒔きをしました。これは芽が出たら高く棚を作っている畑に移植します。それから、成長が著しいテッポウユリが丸鉢の中ではいかにも窮屈そうでしたので、鉢から出して地植えにしてあげました。
今日の外気温は、特に夕方になるほど、冷たくて、鼻から鼻水が垂れて困るほどでした。寒さにもめげず作業をしました。麻痺の脚をいたわりながらですから、大した作業量ではありませんが、それでも満足です。最後に畑へ行き、30cm以上に成長した蕗を、株元近くに包丁を入れて摘みました。近所の方が昼間に筍を掘って持って来て下さいましたので、これといっしょに料理をしてもらいます。どちらも初物です。今夜の夕食にいただきます。
サーリプッタよ、衆生にして(阿弥陀仏と極楽国土のことを)聞く者あらば、まさに願いを起こして、彼の国に生まれんと願うべし。ゆえ如何となれば、是(かく)の如き諸の上善人と俱に一処に会うを得ればなり。 「仏説阿弥陀経」より
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彼の国(極楽浄土)に往生したらどうかなるか。そこでは(あなたを愛し守り導いてきた)たくさんのよい人たちと俱に(もう一度)一処に会うことができる。
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お墓の石塔には「俱会一処(ぐえいっしょ)」の文字が刻まれていることがある。またお浄土で会えますから、心配はいりませんよ、と。そこは阿弥陀仏の建立した極楽国土である。ここで仏の教えを聞いて仏と仏の弟子たちと仲良く一緒にいることができるのである。いな、わたしを生んだ父母たち、先祖のみなみなと再会を果たして喜び合うのだ。彼らは無量寿を生きている霊的存在である。壊れ物の肉体を卒業している。
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物質界の娑婆には物質の終焉があるけれど、ここは非物質界の霊界である。終焉はない。無量寿如来と等しく往生成仏していて、ここには永遠の命しかない。
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阿弥陀経を説いて聞かせているのはお釈迦様(釈迦如来)である。死後の行き先を説き、行き先の極楽浄土の有様を説き、そこでの暮らしぶりを説いて、心配はいらないよ、安心をしていいよ、一切合切は阿弥陀仏が取り仕切って一人働きをしてくれるから、あなたが自力を持ち込んだりはしなくていいのだよ、新たな誕生が完了するまではただ念仏して仏を念っているだけでいいのだよ、と懇切丁寧を究めている。
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そこへ辿り着けばぐうたらぐうたらして過ごしていいかと思うとそうではなく、ガンジス川の砂の数ほどの仏国土を飛び回り、ガンジス川の砂の数ほどの仏たちの説法を聞いて活発に行動を起こしている。極楽浄土が終点かと思うとそうでもなくて、それから後もあり、いやそこからが本番で、われわれの命の向上は果てしなく続いている。
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こういうふうに懇切丁寧に説かれていても、われわれは疑い深い。そんなことはあるものかくらいにふんと鼻であしらっている。われわれはどこまでも迷いに迷う。迷いに徹することこそが近代現代の知識人だと思って高を括る。仏も神もないと嘯くのだが、その後の対応策は持ち合わせてはいない。だから死後の行き先は決まらないままになる。無神論をかざすことはいかにもインテリ風なのだが、自力の結論には際限がある。死はわたしの仕事ではないからである。死ぬことはわたしにはできないのだ。大きな大きな力にあずかって死なされていくしかないのだ。
少女よ/美しい少女よ/東の空から昇ってきた朝の光をうけて/そこに耀いているひとりの少女よ/眩しい幻影よ/きみとわたしは語ろう/この世にいる間に/わたしはきみと語ろう/四月のライラックのように/すんなりと伸びたきみの肢体を/幻影にして放置しておくのは/残酷な仕打ちだ/わたしはこの残酷には耐えられない/
少女よ/奈良に東大寺が造営され/大仏が建立されたいきさつを/きみがしずかに語り出したので/わたしはそれをしばらく大きな耳に聞きながら/するうちに目を閉じてしまっていた/わたしは少年だった/きみはわたしの少年の手を取って/手に手を取って/畝傍山に続く野原を駆けて行った/
少女よ/美しい少女よ/2000年を少女のままで生きている神秘の秘法は/この先の2000年にも続いていくのだろうか/今は天女のようにここに降り立って/きみはわたしの瞳の中を住み処としようとしているけれど/眩しい幻影よ/衣擦れの音よ/霞の空の明るさをきみはわたしのもとへ連れて来る/
少女よ/近づいてくるマンダラバーの花の匂いよ/きみと語るときが満ちている/海の潮のようにわたしの港に満ちている
おはようさん。東から昇ってきた朝日が庭先の姫林檎の木を射して、咲いている花が明るく浮かび上がってきます。寒さが戻って来ました。炬燵のスイッチをオンにして温まります。
昨日このブログを訪ねてきて下さった方が92人になっていました。閲覧数は400を越えていました。これまでの最高のようです。有り難うございました。ご訪問に感謝します。
美しい季節の、表情豊かな草花の写真を撮って、これをここにアップしたらいいだろうなと思いますが、わたしにはそうする技術力がありません。カメラは箪笥の引き出しに眠っています。タブレットで写真撮影ができるはずですが、撮ったことがありません。面倒がります。でも、操作方法を教えて頂けたら、現代へ乗り出して行けそうです。