安中市土地開発公社51億円詐欺横領事件が市役所内部で発覚した平成7年(1995年)5月18日から半月後、同年6月3日に上毛新聞に初めて記事が掲載され、私たち安中市民は驚愕しました。あれから、既に12年3ヶ月が経過しました。
タゴは12億円もの骨董品を主に栃木の古物商から買ったと供述したことから、古物商の話を聞く必要があると考えた安中市民は、事件の舞台の一部となった足利市を訪れました。1997年5月25日のことでした。その機会に、古物商の一品堂を抜き打ちで訪問、店主からタゴ事件に関する情報を次のとおり聴取しました。
この結果、驚くべき事実が判明したのです。公社元職員は、一品堂などの古物商から一度も相対で骨董品を購入したことはない、という事実です。一品堂店主の話では、仲介者が常に介在していました。しかし、警察が公表された51億円の使途には、この仲介者の名前は一切出てきません。私たちは、富岡市内に現在も在住しているこの仲介者X氏を、公社事件の共同正犯で告発しました。しかし、検察庁は私たちの告発書を全く受理しようとせず、時効にしてしまいました。
この経緯を知っていただくために、一品堂店主とのインタビューの内容をよく読んでください。事件の深淵の一部をうかがい知ることができるに違いありません。
★一品堂店主の言い分★
事件発覚直後に地方紙や週刊誌に、あたかも私がタゴに骨董品を全部売ったかのように書かれた。これはペンの暴力だ。私がタゴに直に売った骨董品は一点もない。警察も「被害者ですね」って言ってくれている。客が皆嫌がって来なくなってしまうからだ。
私は、タゴの骨董倉庫にある品物を全部見た。警察に頼まれて一緒に調べた。警察の人では骨董品をどうやって整理して良いかわからないというからだ。
3日くらいで整理を終ったが「予想より大分早く終って助かりました」と警察に感謝された。倉庫の中には、いろんなものがあった。
私から流れた品物が、タゴの骨董品の中で何パーセントくらいだったか、はっきり覚えていないが、点数として3分の1か4分の1だと思う。
週刊誌か新聞だか「大観の絵を何億で・・・」などと、私が売ったようなことを書いていた。確かに大観の絵と称するものがあった。私は陶磁器専門なので書画のことはよく分からないが、判らない私が見ても変なものだった。私が見た限りでは三つあった。
週刊誌では、私だとは書いてないけれど、私みたいな感じで書いた。週刊新潮は取材に来たが、私も店に居ないことが殆ど。ただ警察に協力して骨董品を調べた時に、たまたま警察の前で取材の記者と行きあって、ちょっと立ち話したことがある。
★タゴの仲介者X★
警察からは「誰にもあのことは言うな」と言われている。記者などに何か言うと、警察に怒られてしまう。そのため、記者には「警察で聞いてください」と言った。
ただし、記者に聞かれたとき、事実として「私はタゴに直に一点も売っていないし、その間に入った人の家にも行ったことがないし、タゴ本人の家にも行ったことない」ということは言った。
実際には、ある人を介してタゴに骨董を売った。最初に私の見せに、私の友達の一緒にその人が来て「あのう、美術館を作る人がいるので、骨董品のいいものを見つけてくれませんか」と頼まれたのが始まりだ。
その後は、もっぱらその仲介者から電話で連絡があった。その人は、いつも私に電話で「何か入りそうですか?」とか「サンプルを借りられますか?」と言うので、私の客とか業者の人手そういうものを持っていれば、借りてきたりして渡したわけだ。
ただし、その仲介者が誰にいくらで売っているかは分からない。私がよそから借りてきて、それに手数料を載せて、仲介者に渡したが、その仲介者とタゴとの間の取引は見たことはないからだ。仲介者が、実際にいくらでタゴに売ってるか、どこで売ってるかもわからなかった。
仲介者の名前は私の口から言えない。警察も最初の時は、やはりマスコミ同様に誤解していた。私は「一点も売ってませんよ」と警察にも言った、
仲介者は、タゴ本人とものすごく、昔から親しい人だったらしい。地元群馬の人だ。かなり昔から親しい様な感じだが、私もよく当人から聞いたわけではない。
警察でも「そのことについて教えてくれ」と言われたから、「いや私の口から言えないので、調べて下さい」と言ったら、ちゃんと調べていた。警察の方から「この人ですか?」と言うので、私は「いやあ、それを知っているなら結構です」と言った。
その仲介者は、骨董の業界外の人で、ふつうの勤め人だ。後で警察に聞いたら、その人は昔、骨董の許可証を持っていたという。「ちゃんとした勤め人だと、今は骨董許可証は取れないのだが」と言ったら、警察では「昔から持っていたらしい」と言う。というわけで、その仲介者は古物商許可証を持っているらしい。安中在住ではない。
タゴは12億円もの骨董品を主に栃木の古物商から買ったと供述したことから、古物商の話を聞く必要があると考えた安中市民は、事件の舞台の一部となった足利市を訪れました。1997年5月25日のことでした。その機会に、古物商の一品堂を抜き打ちで訪問、店主からタゴ事件に関する情報を次のとおり聴取しました。
この結果、驚くべき事実が判明したのです。公社元職員は、一品堂などの古物商から一度も相対で骨董品を購入したことはない、という事実です。一品堂店主の話では、仲介者が常に介在していました。しかし、警察が公表された51億円の使途には、この仲介者の名前は一切出てきません。私たちは、富岡市内に現在も在住しているこの仲介者X氏を、公社事件の共同正犯で告発しました。しかし、検察庁は私たちの告発書を全く受理しようとせず、時効にしてしまいました。
この経緯を知っていただくために、一品堂店主とのインタビューの内容をよく読んでください。事件の深淵の一部をうかがい知ることができるに違いありません。
★一品堂店主の言い分★
事件発覚直後に地方紙や週刊誌に、あたかも私がタゴに骨董品を全部売ったかのように書かれた。これはペンの暴力だ。私がタゴに直に売った骨董品は一点もない。警察も「被害者ですね」って言ってくれている。客が皆嫌がって来なくなってしまうからだ。
私は、タゴの骨董倉庫にある品物を全部見た。警察に頼まれて一緒に調べた。警察の人では骨董品をどうやって整理して良いかわからないというからだ。
3日くらいで整理を終ったが「予想より大分早く終って助かりました」と警察に感謝された。倉庫の中には、いろんなものがあった。
私から流れた品物が、タゴの骨董品の中で何パーセントくらいだったか、はっきり覚えていないが、点数として3分の1か4分の1だと思う。
週刊誌か新聞だか「大観の絵を何億で・・・」などと、私が売ったようなことを書いていた。確かに大観の絵と称するものがあった。私は陶磁器専門なので書画のことはよく分からないが、判らない私が見ても変なものだった。私が見た限りでは三つあった。
週刊誌では、私だとは書いてないけれど、私みたいな感じで書いた。週刊新潮は取材に来たが、私も店に居ないことが殆ど。ただ警察に協力して骨董品を調べた時に、たまたま警察の前で取材の記者と行きあって、ちょっと立ち話したことがある。
★タゴの仲介者X★
警察からは「誰にもあのことは言うな」と言われている。記者などに何か言うと、警察に怒られてしまう。そのため、記者には「警察で聞いてください」と言った。
ただし、記者に聞かれたとき、事実として「私はタゴに直に一点も売っていないし、その間に入った人の家にも行ったことがないし、タゴ本人の家にも行ったことない」ということは言った。
実際には、ある人を介してタゴに骨董を売った。最初に私の見せに、私の友達の一緒にその人が来て「あのう、美術館を作る人がいるので、骨董品のいいものを見つけてくれませんか」と頼まれたのが始まりだ。
その後は、もっぱらその仲介者から電話で連絡があった。その人は、いつも私に電話で「何か入りそうですか?」とか「サンプルを借りられますか?」と言うので、私の客とか業者の人手そういうものを持っていれば、借りてきたりして渡したわけだ。
ただし、その仲介者が誰にいくらで売っているかは分からない。私がよそから借りてきて、それに手数料を載せて、仲介者に渡したが、その仲介者とタゴとの間の取引は見たことはないからだ。仲介者が、実際にいくらでタゴに売ってるか、どこで売ってるかもわからなかった。
仲介者の名前は私の口から言えない。警察も最初の時は、やはりマスコミ同様に誤解していた。私は「一点も売ってませんよ」と警察にも言った、
仲介者は、タゴ本人とものすごく、昔から親しい人だったらしい。地元群馬の人だ。かなり昔から親しい様な感じだが、私もよく当人から聞いたわけではない。
警察でも「そのことについて教えてくれ」と言われたから、「いや私の口から言えないので、調べて下さい」と言ったら、ちゃんと調べていた。警察の方から「この人ですか?」と言うので、私は「いやあ、それを知っているなら結構です」と言った。
その仲介者は、骨董の業界外の人で、ふつうの勤め人だ。後で警察に聞いたら、その人は昔、骨董の許可証を持っていたという。「ちゃんとした勤め人だと、今は骨董許可証は取れないのだが」と言ったら、警察では「昔から持っていたらしい」と言う。というわけで、その仲介者は古物商許可証を持っているらしい。安中在住ではない。