■平成24年1月28日(土)午後3時から、毎年恒例の第110回群馬県立高崎高等学校同窓会新年総会が高崎ビューホテルで開催されました。
いつもの新年総会では、若干の空席がある高崎ビューホテル2階の榛名の間ですが、今回はぎっしり満席のうえに、後方の通路も立ち見の参列者がひしめき、部屋の外の受付ロビーも中に入れない同窓生でぎっしり埋まり、早々と見切りをつけて3階の懇親会場に足を運ぶ同窓生も沢山いました。
■それもそのはず、第84回センバツ高校野球大会(3月21日~12日間、甲子園で開催予定)の出場32校を決める選考委員会が前日大阪市内で開催され、高崎高校野球部にセンバツ出場決定通知が来たからでした。上毛新聞と毎日新聞は高崎市内から2校が参加するということで号外を出すほどでした。
午後3時から開催された同窓会新年総会には、昨年10月28日に群馬県名誉県民として顕彰を受けた大勲位こと中曽根康弘元首相(93)がひな壇の中央部に陣取り、いつもと違う雰囲気で行われましたが、前述のとおり、立錐の余地もない状況だったので、何がどうなっていたのか外からではよくわかりませんでした。
しかし、総会が終わりかけると、一部のかたがたが3階の懇親会場に移動したため、少し立ち見席が空いたので覗いてみたところ、一番最後にやっぱり野球部の甲子園センバツ出場による寄付金募集の話が出ました。
↑3階の懇親会場にしつらえられた舞台。↑
■高崎高校の同窓会は、毎年、卒業後31年目の同期生が行うことになっています。今年は第81期卒業生の番でした。この卒業生の時、まさにセンバツに出場した3年生らがいたわけです。これは明らかに奇跡的な偶然と言えるでしょう。今年の同校の同窓会総会新年総会が盛り上がる理由はそこにもありました。
そのため、総会では、通常はアトラクションとして歌謡ショーやジャズ演奏、あるいは生徒らによる和太鼓の演技などですが、今年はセンバツ初出場時の試合を報じたNHKの放送映像をベースに、当時の選手だった方々へのインタビューを織り交ぜたビデオ番組が会場の大型スクリーン3基に映し出されました。製作をしたのはテレビドラマ「海猿」や映画「アンフェア」などでしられる演出家・映画監督の小林義則氏だということです。
■約20分の懐かしい映像を交え、31年後の昨年11月下旬に初めて高崎高校のグラウンドにナインら全員が集まってインタビューをした番組が終わった後、当時、甲子園でセンターを守っていた選手であり、現在の高崎高校野球部の監督でもある境原尚樹氏(48)が壇上にあがり次のように挨拶をしました。
「今紹介がありましたように、現在野球部の監督をやっている者です。先程のDVDでもあったように、スクイズのサインを見逃したのは私です。先程も紹介があったように、81期生は、最後に映像が出ていたように、いろいろな分野で運動部が大活躍をした年でした。その中で、今まで一回しか甲子園を出ていない野球部が、今年のアトラクションやれよ、ということでこのDVDを作らせてていただきました。映画監督でバスケット部出身の小林義則氏です。彼にこのDVDを作っていただきました。このたび、第2回目の選抜出場が決まりました。本当に有り難うございました。ただ、さっきの映像を見てもらうとわかるとおり、1回目の出場時は11対1で大敗して帰ってきました。自分たち選手も複雑な思いで帰ってきました。ただ、野球は、点が入らないと面白くないスポーツでして、トータルで12点入ったので、それはそれでよいと思っていますが、出来れば今度はこちらの方が多く得点を入れて帰ってきたいな、と思っています。選手たちは今、合宿中です。今度は家に帰さずに、今は合宿場に監禁状態で、テレビも見ていなければ、新聞も読んでいません。見たのはさっきの映像です。練習をしっかり頑張らないと、こういうようになる、ということで、今度は頑張ってくれると思います。ぜひ応援をよろしくお願いします」
↑壇上で、98歳の来賓OBから激励を受ける境原監督。↑
境原監督のユーモアを交えた力強い挨拶に会場からは大きな拍手が沸き起こりました。そして、今年98歳になる最高齢のOBからの激励の言葉もあり、会場内では、3月15日の抽選会で初回戦の試合の日取りが確定次第、バスを仕立てて観戦ツアーを早くも計画している同期会もあちこちで現れ、会場の雰囲気は熱気に包まれました。
そのため空調が追い付かず、会場の外より明らかに室内温度は10度近く高くなり、あちこちで気持ちが悪いとしゃがむ中高年の姿が見られました。例年開催されている高崎ビューホテルの榛名や赤城の間では、今年は明らかに狭すぎたようです。
■さて、ここまで同窓会新年総会と懇親会の成り行きを見る限り、31年前のセンバツ初出場で瞬く間に集まった巨額の浄財の内、野球部後援会に亘った約3000万円の大半が使途不明になっている件について、誰も説明する者がいないのが気になりました。
現役選手がこれほど頑張って朗報をもたらしてくれたのに、1000人をはるかに超える立派なOBたちが集まったのに、誰も巨額の浄財の3割を占める金額が使途不明になっている件について、誰も触れないのがやはり群馬県の政官財の重鎮を輩出してきた高校の持つ特性を感じさせます。
↑早くも募金に応じるOBら。↑
■そのため、会場内でいろいろと関係者に聞いてまわり情報収集に努めました。その結果、おぼろげにわかった事はつぎのことです。
(1) 31年前のセンバツ初出場では、約1億円の寄付が集まり、初戦敗退したため大会後、余った8000万円のうち、約3000万円が高崎高校野球部後援会に引き継がれた。
(2) 後援会は約15年前から休眠状態だったが、野球部が強くなってきたため、2010年に、後援会を復活させようとした。
(3) ところが、諸経費を差し引いても約2000万円程度まだ残っているはずの資金を確認したところ、通帳や決算資料が見当たらず、2010年11月に開催された臨時総会で、資金の所在が不明になっていることが報告されたが、当時の役員からは明確な説明が得られなかった。
(4) そこで、その後、内部調査をしても真相が明らかにならなかったため、野球部OB会が、当時の後援会役員を相手取り、弁護士を立てて、返還請求の訴訟を起こした。
(5) 当時の役員はどうやら物故しているらしく、その遺族が応訴してきた。
(6) 全額返還させようと、最近まで訴訟を継続していたが、高崎高校野球部が関東大会でベスト4になり、急遽甲子園出場が決まりそうだという状況になってきたため、このまま、裁判を継続していると週刊誌のネタにされかねないという懸念がでてきた。
(7) そのため、急遽、裁判で双方の弁護士を通じて和解交渉がなされ、和解金約550万円で手打ちがなされた。
■また、今回の31年ぶりのセンバツ出場に至った経緯について、内情に詳しい関係者の説明によると、次のとおりです。
(a) 例年、関東大会のベスト4に入ると関東枠というのがあり、大体4から5つあるので、甲子園出場がほぼ決定する。
(b) ところが、今年に限っては、常連校の横浜高校がベスト8となってしまい、ベスト4には入れなかったので、高野連としては興業上、横浜高校を出したいという思惑があった。
(c) そのため、高崎高校(高高)が、なぜか21世紀枠という枠に入ってしまった。この21世紀枠というのは全国で3つ確保されている。
(d) 当然、昨年3.11の東日本大震災があったので、東北勢が絶対に選ばれるだろうと関係者の間では言われていた。あとは東と西で1つずつとなる。
(e) そこに高高が入るはずだったが、いろいろな政治力が絡んでいる関係で、結局21世紀枠からは外れた。
(f) 21世紀枠というのは、昨年の甲子園でもあったとおり、あの学校に負けたのは恥だとか、今一歩だったとか、いろいろ言われかねないため、高高としては、本当は一般で選ばれたいと思っていた。
(g) そのため、結果的には21世紀枠ではなく、一般で選ばれたので関係者は喜ばしいと思っている。
(h) 今回、高崎市から健大高崎と高高の2校がセンバツに選出されたが、健大高崎は選手を神奈川とか兵庫とか、激戦区である県外からの出身者がほとんどを占めている。
(i) 高高の場合は、最近はスポーツ推薦という制度もあり、いろいろな努力の結果、クリーンアップにはかなり強い選手が揃っている。
(j) 野球部員も30年以上前とは雲泥の差で、現在2年生が20人、1年が14人在籍している。昔は3年も含めて10数人だった。
(k) こうして高高は、現在群馬県下でも野球の有力校になっている。その他のスポーツでも、たとえば陸上競技においても、今年は農大二高が駅伝で全国に行ったが、高高は県予選で2位だった。
(l) 関東大会で準優勝すると2チームがセンバツに行けることから、とくに今年の秋は群馬県内で関東大会が開催されるため、群馬県から3校が参加できる。そのため今年の秋もチャンスがある。
■31年前は、野球部後援会を母体に同窓会・PTA・野球部OB会・野球部父兄会が参加して「高崎高校野球部選抜甲子園大会出場特別後援会」(会長 小山禧一)が組織され募金活動が行われました。これは当時の高崎高校同窓会長だった小山禧一氏の個人的な関係を軸に、急遽募金活動が行われたにもかかわらず、瞬く間に約1億円が集金されました。
今回の募金活動では、前回の原因究明と再発防止の説明責任の上に立って、募金がスタートされないと、同窓生の中には不信感を持つ方々も多数いるため、前回のようにスムースな募金活動が行えないかもしれません。
一方、何事にもポジティブな校風を象徴して、既に起きたことをいちいち詮索するより、現在の高揚感に酔いしれて、募金だ、甲子園だと騒ぐことに重点を置くかたがたもおられます。
■ここはやはり、実力でセンバツ出場を勝ち取った現役選手の皆さんの功績に傷が付かないように、同校OBらとしては、きちんと前回の浄財の使途を巡る不祥事件の顛末を明らかにして、募金の際にはその経緯をきちんと同窓生に報告をしたうえで募金活動を行うことが必須条件だと思われます。
募金の趣旨を綴った挨拶状と振込用紙の入った手紙が、1月末に、高崎高校の全同窓生に発送されるという話もありますが、ぜひ、不祥事件の顛末と再発防止のための対策も記しておかないと、同窓生すべての理解を得ることは困難だと思われます。
【ひらく会情報部】
※参考資料
【高崎高校野球部データ】
<部員紹介>
○2年生(20名)
氏 名 / 出身中学 /身長・体重/投・打/ポジション
浅沼俊介/高崎倉賀野/167・64/右・左/外野手
荒井皓士/藤岡鬼石/175・66/右・右/マネージャー
五十嵐咲季也/伊勢崎四/174・63/右・左/外野手
内堀雄斗/松井田東/172・72/右・右/捕手
小柏秀平/甘楽一/172・72/右・右/捕手
岡村圭祐/高崎佐野/180・77/右・右/内野手
鬼形京佑/高崎塚沢/167・65/右・右/外野手
金子裕紀/榛東/171・68/右・右/内野手(主将)
倉金宏輔/伊勢崎四/163・68/右・右/内野手
佐藤雅彦/高崎片岡/180・72/右・右/投手
佐鳥翔平/高崎高南/170・63/右・右/外野手
佐鳥悠平/高崎高南/173・64/右・左/内野手
茂原博明/高崎吉井西/166・68/右・右/内野手
島田智史/高崎倉賀野/170・64/右・右/投手
清水貞光/高崎長野郷/174・68/右・右/外野手
田村豪/高崎中尾/176・65/右・右/内野手
藤村泰輔/高崎高松/179・69/右・右/外野手
眞下弘毅/高崎並榎/178・67/右・左/外野手
黛壱歩/吾妻六合/181・75/右・右/投手
横田大樹/高崎箕郷/161・60/右・左/内野手
○1年生(17名)
氏 名 / 出身中学 /身長・体重/投・打/ポジション
伊藤琢真/高崎長野郷/175・70/右・右/外野手
井上智彰/高崎高南/162・65/右・右/内野手
梅田雄太/高崎佐野/178・72/右・左/投手
大塚瞬也/高崎吉井西/172・63/右・右/投手
大塚郁弥/前橋一/161・58/右・左/内野手
木暮雅海/高崎新町/170・68/右・右/捕手
静野壮人/高崎長野郷/176・67/右・左/投手
塚越友也/高崎佐野/173・62/右・右/内野手
塚越陸/高崎大類/173・73/右・左/外野手
中里彰吾/高崎佐野/176・68/右・右/内野手
中澤信哉/高崎吉井中央/176・68/右・右/内野手
松井亮憲/高崎群馬中央/170・72/右・右/外野手
松本一聖/高崎中尾/178・75/右・左/外野手
三浦隼人/高崎吉井西/175・68/右・左/外野手
森田岳/高崎群馬中央/171・67/右・右/投手
柳澤奨/藤岡鬼石/167・70/右・右/捕手
吉岡尚輝/高崎高南/175・70/右・右/投手
<平成23年度秋季高校野球群馬大会>
■2回戦(初戦) 平成23年9月5日 高崎城南球場 第1試合
伊勢崎商 000010000 計1
高 崎 000100002x 計3◎サヨナラ2ランホームラン
■3回戦 平成23年9月10日 高崎城南球場 第1試合
高 崎 000010100 計2◎完封勝利
伊勢崎清明 000000000 計0
■4回戦 平成23年9月17日 高崎城南球場 第1試合
明和中央 000000000 計0
高 崎 40010000× 計5
◎連続完封勝利
■準々決勝戦 平成23年9月24日 桐生球場 第2試合
高 崎 2100000001 計4
前橋育英 0010010010 計3
◎延長戦で強豪育英に粘勝
■準決勝戦 平成23年10月1日 桐生球場 第1試合
沼 田 0000000 計0
高 崎 104011× 計7
◎関東出場をかけた公立対決にコールド勝ち
■決勝戦 平成23年10月2日 桐生球場 第1試合
健大高崎 130100020 計7
高 崎 000200000 計2
●惜しくも敗戦、準優勝
<平成23年度秋季高校野球関東大会>
■初戦 平成23年10月30日 小瀬スポーツ公園野球場
高 崎 000210010 計4
東海大望洋 200000000 計2
◎初回戦制されても、あわてず逆転勝ち
■準々決勝戦 平成23年11月2日 小瀬スポーツ公園野球場
高 崎 000003010 計4
東海大甲府 100000010 計2
◎関東ベスト4をかけた決戦に勝利、上毛新聞のセンバツ当確の号外が発行される
■準決勝戦 平成23年11月3日 小瀬スポーツ公園野球場
作新学院 002200101 計5
高 崎 000002100 計3
●強豪作新に対し粘り強く戦うも力負け
【関連報道記事】
**********
センバツ21世紀枠 高崎を推薦
2011年11月15日記事
群馬県高野連は来春の選抜大会(3月21日開幕、甲子園)の21世紀枠県推薦校に高崎を選び、境原尚樹監督(48)が14日、部員に報告した。高崎は今秋県大会で準優勝、関東大会では4強まで勝ち進んだ。同校の推薦は初めて。関東1都7県の推薦8校を1校に絞り、全国の他の8地区とともに12月15日、関東地区推薦校が発表される。
県高野連は高崎の推薦理由として(1)秋季県大会ベスト8以上(2)礼儀、あいさつ、マナー、服装など学校内外の生活面を重視(3)「自主自立」をモットーに練習(4)常に県大会上位にあり、全力疾走、全力プレーが高校生らしい―を挙げた。
推薦を受けた境原監督は練習中の選手を集め、「一生懸命の取り組みが評価されたことを誇りにし、これからも磨いてほしい」と激励。自身の31年前の選抜出場時を振り返り、「(甲子園で)大敗を喫したが、その大半は浮かれたことが原因。今まで通り地に足を着け、原点に戻ってやっていこう」と話した。
金子裕紀主将(2年)は「候補になれて、甲子園が近づいている感じがしてうれしい。今のままでは通用しないので、一段上のチームになりたい」と力を込めた。
同校は関東大会で4強入りし、一般選考で選ばれる可能性も十分あるが、選抜出場のチャンスがさらに広がった。
◎21世紀枠
選抜の独自色を出すため、2001年の大会から導入。一般選考とは別に、部員不足や自然災害など困難を克服したチームや他校の模範になるようなチームが対象となる。各都道府県が1校を推薦し、関東地区など全国9地区からそれぞれ1校を選出。さらに来年1月27日の選考委員会で東日本、西日本から各1校、残る7校からさらに1校を決定する。過去に本県から選ばれたことはない。
**********
進学校・高崎、合格通知待つ!/センバツ
2012年1月27日7時51分サンケイスポーツ配信
第84回選抜高校野球大会(センバツ、3月21日から12日間・甲子園)の出場32校を決める選考委員会が27日、大阪市内で開かれる。関東勢は昨秋の関東大会覇者・浦和学院(埼玉)や都大会を制した関東一の出場がほぼ当確。群馬で県内屈指の進学校として知られる高崎は、東大志望の主将・金子裕紀内野手(2年)を中心に31年ぶりの出場となるか、注目される。
伝統ある進学校のグラウンドに、元気いっぱいの声が響いていた。センバツの出場校発表を翌日に控え、甲子園出場を夢見る球児たちの練習は午後7時過ぎまで続いた。
「どこよりも、練習時間は短いと思いますよ。効率的にやるよう、心掛けています」と説明するのは境原尚樹監督(48)。授業後の約3時間半の練習に、選手は集中して取り組んだ。文武両道こそが、高崎のモットーだからだ。
毎年東大や京大などに多くの学生が進み、進学率は100%。OBには元首相の福田赳夫氏や中曽根康弘氏がいる名門だ。前回のセンバツ出場は“タカタカ旋風”と呼ばれた1981年で、境原監督も当時のメンバーだった。最近は甲子園出場から遠ざかっていたが、昨秋の関東大会で4強入り。31年ぶりの切符がグッと近づいた。
主将の金子も勉強と野球の両立に励んでいる。毎日、授業以外にも2時間の自習は欠かさない。「野球も大事だけど、勉強も大事です」。学年トップ10に入ることもあるほど成績優秀で、目標は東大進学だ。
エース島田(2年)は、慶大進学が目標。直球は130キロ台前半ながら頭脳的な配球で、チームをけん引する。「甲子園で投げてみたい」と島田。文武両道の進学校が、31年ぶりの朗報を待つ。
**********
元首相2人輩出…31年ぶり高崎 東大志望の主将は「野球と勉強にメリハリ」
2012年1月27日15時24分スポニチ配信
県内屈指の進学校・高崎の卒業生には、福田赳夫氏、中曽根康弘氏と、2人の元首相がいる。金子主将(2年)の志望校は「東大」。早朝や練習後の午後10時まで学校の自習室に残る生徒もいる。「野球と勉強にメリハリをつけています。勉強する時の集中力は野球にもつながると思うので」(金子)。文武両道を貫きながら、昨秋の関東大会で4強入り。21世紀枠の推薦校にも選ばれた。
センバツ初出場を果たした81年、中堅のレギュラーだったのが境原尚樹監督だ。「今年のチームカラーはあの時と似ている。強いとは思わないが、まとまりがあるし、運も持っている代ですね」と分析する。練習メニューは部員が決める。境原監督は「言われたことだけをこなすと、どうしても受け身になってしまう。ある程度まで力は付いても、その先の壁は破れない。グラウンドで戦うのは選手ですから」とナインを大人扱いしながら、自立させる指導法を取り入れている。
31年前は秋の関東大会で「タカタカ(高崎高校の愛称)旋風」を巻き起こし、スポーツライターの山際淳司氏の著作「スローカーブを、もう一球」でも取り上げられた。だが、境原監督の中では、決して輝かしい思い出ではなかった。「センバツ出場が決まると大騒ぎで、マスコミからの取材も多くなった。浮足だって冬の過ごし方を間違えた結果が、甲子園で出たと思います。光と影を味わいました」。星稜(石川)に1―11の大敗。夏は県大会で敗れた。
31年ぶりの切符を前に、チームに浮かれムードはない。目標は「出ること」ではなく「勝つこと」。秀才軍団が、今度こそ甲子園で「タカタカ旋風」を起こす。
**********
高崎、31年ぶり春切符!81年初戦敗退の雪辱だ!…センバツ
2012年1月28日06時00分 スポーツ報知配信
第84回センバツ高校野球大会(3月21日から12日間・甲子園)の出場32校が決定。花巻東の151キロ右腕・大谷翔平(2年)は、聖地で高校生史上初の160キロを叩き出し、09年に先輩の菊池雄星(現西武)を擁しても届かなかった東北勢初優勝を成し遂げると宣言した。
空っ風が強く吹こうが歓喜に沸く高崎の熱気は冷めない。80年、秋季関東大会の快進撃が故・山際淳司氏のノンフィクション「スローカーブを、もう一球」で描かれて以来、名門“タカタカ”に31年ぶりの春切符が届いた。
「悔いが残って31年間、過ごしてきた。彼らがそれを取り返すチャンスをくれた」。境原尚樹監督(48)は81年センバツ出場時の「7番・中堅」だ。初戦で星稜に1―11で大敗。「試合中からふがいなさ、恥ずかしさ、申し訳なさの2時間だった。帰るとみんな枯れてしまった」。挫折感は強く、作品を読めるようになるまで20年を要した。卒業後も仲間とは、今年まで集うことがなかった。
当時のエース・川端俊介から背番号1を継承する島田智史(2年)は「スローカーブは投げられないんで」と笑う。だが、甲子園は子供の頃からの夢か?との問いに「別に…」と応えるなど、クールな表情は山際氏が描いた川端と重なる。同校OBの“大勲位”中曽根康弘元首相(93)にも「誇りです。来てほしいですね」と応援を熱望する右腕。悲願の初勝利はスローカーブではなく、真っ向勝負で奪い取る。
**********
選抜出場、中曽根元首相も祝う 群馬・高崎高で同窓会
2012年1月29日0時41分アサヒコム配信
群馬県の健大高崎と高崎が選抜高校野球大会の代表校に決まり、一夜明けた28日。高崎の第110回同窓会が高崎市内であり、31年前に甲子園に初出場した元選手らが幹事を務めた。昨年、名誉県民として顕彰を受けた中曽根康弘元首相(94)も出席。出席者からは喜びの言葉が相次いだ。
高崎は今年で創立115年。1897年に県尋常中学群馬分校として設立され、1900年に旧制高崎中に。48年の学制改革で現在の名称となった。福田赳夫、中曽根康弘両氏の歴代首相を輩出した県内屈指の伝統校だ。
28日午後、高崎市内のホテルで開かれた同窓会には、OB約千人が参加。前日に母校の選抜大会出場が決まったこともあって、例年以上の盛り上がりとなった。
数年ぶりに総会に出席した中曽根元首相は、同窓会の名誉顧問。杖をついて自ら歩き、健在ぶりをアピール。あいさつでは「(今回は)何としても行かなくちゃいかん、と思った」。母校の躍進を喜び、自らの青春時代に思いをはせた。
今年幹事を務めたのは、甲子園に唯一出場した31年前に3年生だった第81期だ。同窓会長の佐藤和徳さん(72)も「えにしを感じる」と感慨深げだ。
午後4時からあった懇親会には、当時の野球部員らの姿もあった。
前回はミスもあり、初戦敗退。左翼手として甲子園に出場した、代表幹事の岩井均県議(48)は「31年前の失敗から、やっと未来に向かっていける」と後輩たちに感謝した。エースだった、小学校教諭の川端俊介さん(48)は「彼らがこのチャンスを生かすも殺すも、大会までの過ごし方次第」と助言した。
部長だった田端穣さん(75)は、出場が決まった27日、当時の部員から「先生、長生きしてて良かったね」と電話を受けたという。31年前は取材対応などで、喜ぶ暇もなかったという田端さん。「長かった。今回は手放しで喜べました」。(伊藤弘毅)
**********
第84回センバツ高校野球:高崎高、出場決定 同窓会に1000人 後輩の活躍に期待/群馬
1月29日毎日新聞
◇「気を引き締めて」
センバツ出場決定から一夜明けた28日、高崎市内のホテルで高崎高校の卒業生が集う「第110回同窓会」が開かれた。81年のセンバツ初出場時の2年生が幹事を務め、当時のセンバツを振り返るビデオを上映。会場はOBや学校関係者など約1000人であふれ、母校への誇りを胸に、甲子園での後輩たちの活躍に期待を寄せていた。【角田直哉】
ビデオはセンバツ初出場時の試合を撮影した映像に、当時の選手たちへのインタビューを交えて構成し、上映時間は約20分。31年前の甲子園に出場した境原尚樹監督によると、「甲子園組」は卒業後、一度も顔をそろえたことがなかったが、昨年11月下旬に初めて一堂に集まりインタビューを収録した。撮影したのは同校OBで、映画「きな子~見習い警察犬の物語」(10年公開)などで知られる演出家・映画監督の小林義則さん。
撮影にあたり、試合の映像を初めて見た当時の野球部OBも多く、主将・佐藤誠司さん(48)もその一人。夢舞台は1-11で初戦敗退しただけに、佐藤さんは「今振り返っても、もっと勝負できたはずだと悔しさを感じる。後輩たちは精いっぱい戦って、高崎の名を全国にとどろかせてほしい」と話した。
当時のエース・川端俊介さん(48)もビデオ映像に見入った。川端さんの関東大会での活躍はノンフィクション作家、故山際淳司氏の「スローカーブを、もう一球」に描かれたことで有名なだけに、甲子園で大敗した悔しさは「誰よりも大きかった」と振り返る。川端さんは「今はまだおめでとうと言えない。このチャンスを生かすも殺すも選手次第。一層気を引き締めて練習に取り組んでほしい」と語った。
また当時の部長、田端穣さん(75)は「今のチームは31年前のチームと似ていて、自主的に野球に取り組む姿勢には目を見張るものがある。気を緩めなければ、きっと甲子園でも活躍してくれるはずだ」と期待した。
ビデオ上映後に境原監督が壇上に立ち「今回は高崎がたくさんの得点を奪う試合を甲子園で見せられるように頑張るので、応援よろしくお願いします」とあいさつした。
この日の総会では、甲子園に向けて選手たちの活動をサポートする後援会の発足が正式に決まった。一方、選手たちはセンバツ出場が決まった27日から3泊4日の合宿に入り、この日はグラウンドで汗を流した。
**********
健大高崎初出場、高崎31年ぶり
2012年1月28日読売新聞
高崎市からダブル出場――。第84回選抜高校野球大会の出場校が27日発表され、健大高崎と高崎が選ばれた。健大高崎は初、高崎は31年ぶり2度目の選抜出場となる。県勢の2校出場は、2009年の第81回大会(高崎商、前橋商)以来3年ぶり3度目で、同じ市内からは初めて。大会は、兵庫県の甲子園球場で、3月21日から12日間の日程で開かれる。
高崎市中大類町の健大高崎高校。須藤賢一校長から出場決定の報告を受けると、選手たちは一様に安堵(あんど)の表情を浮かべた。昨秋関東大会4強の実績から夏春連続出場が有力視され、選抜を意識した練習を続けてきた。長坂拳弥主将(2年)は「夏の雪辱を果たしに行く」と表情を引き締めた。
昨夏は機動力野球を武器に県大会初優勝を果たすと、甲子園でも開幕戦で今治西(愛媛)を破るなど、旋風を起こした。ただ、2回戦の横浜(神奈川)戦では、5点差を追いつきながらもサヨナラ負け。青柳博文監督(39)は「強豪校の気迫や集中力を間近で見て、練習に対して貪欲になった」と選手たちの変化を語る。
エースの三木敬太投手(2年)も「甘く入ったら必ず打たれる。実力不足を痛感した」と振り返る。大会後、打者からボールが見えづらいフォームに改造。県大会は全6試合でわずか3失点、関東大会も2試合連続完封するなど、選抜出場の原動力になった。
選手たちは冬場の練習で、走り込みや1日3000スイングなど厳しいメニューを敢行してきた。
新鋭から強豪へ。その足場を確かなものにするためにも、選抜は大きな意味を持つ。
午後4時頃、高崎市八千代町の県立高崎高校の練習グラウンドで、選抜出場を羽鳥進一校長から伝えられても、選手たちは淡々としていた。報道陣に促され、ようやく笑みがこぼれた。チームの目標はあくまで夏の甲子園だからだ。
昨秋の県予選は、エース島田智史投手(2年)が抜群の安定感を見せて準優勝。続く関東大会も、東海大甲府(山梨県)などに競り勝って4強入りした。21世紀枠での出場の見方もあったが、実力が認められた。
境原尚樹監督(48)は、1981年の初出場時に中堅手として甲子園の土を踏んでおり、「投手中心のチーム状況は似ている」と話す。
当時、高校球界で無名だった高崎だが、エース川端俊介さん(48)を中心とした守りの野球で快進撃を続けた。山際淳司氏のノンフィクションのモデルになるなど沸かせたチームに、プレースタイルが重なる。現在、小学校教諭の川端さんは「この日を待っていた」と喜ぶとともに、「ただ出るだけではダメだ」と力を込める。春で燃え尽きてしまった後悔もあるからだ。
「春は通過点。夏に向けて力をつけたい」と金子裕紀主将(2年)。31年越しの思いは、「高高生」に確実に伝わっていた。
高崎市から2校出場という県内初の快挙に、市民からは喜びの声が上がった。
午後4時過ぎ、JR高崎駅構内には、東西2か所に、健大高崎、高崎両校の横断幕(縦80センチ、横400センチ)がそれぞれ設置された=写真=。通りかかった高崎市綿貫町の無職綿貫英治さん(62)は「高崎高は息子の母校。テレビの前での応援に力が入りそうです」と笑った。
同市高松町の市役所本庁舎前にも両校の懸垂幕(縦900センチ、横90センチ)が掲げられた。高崎高OBの富岡賢治市長は「2校が選抜甲子園への切符を手にしたことは素晴らしいことで本当にうれしい」とのコメントを発表。同じく高崎高OBの中曽根康弘元総理も「文武両道の我が母校の面目躍如と言ったところで、活躍を期待しています。心から『がんばれ高々』のエールを送りたいと思います」とのコメントを寄せた。
**********
※2011年高校野球秋季関東地区大会データ
組み合わせ:
http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/2011/autumn/kumiawase/kanto.html
成績:
http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/2011/autumn/result/kanto.html
※1981年センバツの高高VS星陵のスコア
http://www2.asahi.com/koshien/game/1981/300/9780/
いつもの新年総会では、若干の空席がある高崎ビューホテル2階の榛名の間ですが、今回はぎっしり満席のうえに、後方の通路も立ち見の参列者がひしめき、部屋の外の受付ロビーも中に入れない同窓生でぎっしり埋まり、早々と見切りをつけて3階の懇親会場に足を運ぶ同窓生も沢山いました。
■それもそのはず、第84回センバツ高校野球大会(3月21日~12日間、甲子園で開催予定)の出場32校を決める選考委員会が前日大阪市内で開催され、高崎高校野球部にセンバツ出場決定通知が来たからでした。上毛新聞と毎日新聞は高崎市内から2校が参加するということで号外を出すほどでした。
午後3時から開催された同窓会新年総会には、昨年10月28日に群馬県名誉県民として顕彰を受けた大勲位こと中曽根康弘元首相(93)がひな壇の中央部に陣取り、いつもと違う雰囲気で行われましたが、前述のとおり、立錐の余地もない状況だったので、何がどうなっていたのか外からではよくわかりませんでした。
しかし、総会が終わりかけると、一部のかたがたが3階の懇親会場に移動したため、少し立ち見席が空いたので覗いてみたところ、一番最後にやっぱり野球部の甲子園センバツ出場による寄付金募集の話が出ました。
↑3階の懇親会場にしつらえられた舞台。↑
■高崎高校の同窓会は、毎年、卒業後31年目の同期生が行うことになっています。今年は第81期卒業生の番でした。この卒業生の時、まさにセンバツに出場した3年生らがいたわけです。これは明らかに奇跡的な偶然と言えるでしょう。今年の同校の同窓会総会新年総会が盛り上がる理由はそこにもありました。
そのため、総会では、通常はアトラクションとして歌謡ショーやジャズ演奏、あるいは生徒らによる和太鼓の演技などですが、今年はセンバツ初出場時の試合を報じたNHKの放送映像をベースに、当時の選手だった方々へのインタビューを織り交ぜたビデオ番組が会場の大型スクリーン3基に映し出されました。製作をしたのはテレビドラマ「海猿」や映画「アンフェア」などでしられる演出家・映画監督の小林義則氏だということです。
■約20分の懐かしい映像を交え、31年後の昨年11月下旬に初めて高崎高校のグラウンドにナインら全員が集まってインタビューをした番組が終わった後、当時、甲子園でセンターを守っていた選手であり、現在の高崎高校野球部の監督でもある境原尚樹氏(48)が壇上にあがり次のように挨拶をしました。
「今紹介がありましたように、現在野球部の監督をやっている者です。先程のDVDでもあったように、スクイズのサインを見逃したのは私です。先程も紹介があったように、81期生は、最後に映像が出ていたように、いろいろな分野で運動部が大活躍をした年でした。その中で、今まで一回しか甲子園を出ていない野球部が、今年のアトラクションやれよ、ということでこのDVDを作らせてていただきました。映画監督でバスケット部出身の小林義則氏です。彼にこのDVDを作っていただきました。このたび、第2回目の選抜出場が決まりました。本当に有り難うございました。ただ、さっきの映像を見てもらうとわかるとおり、1回目の出場時は11対1で大敗して帰ってきました。自分たち選手も複雑な思いで帰ってきました。ただ、野球は、点が入らないと面白くないスポーツでして、トータルで12点入ったので、それはそれでよいと思っていますが、出来れば今度はこちらの方が多く得点を入れて帰ってきたいな、と思っています。選手たちは今、合宿中です。今度は家に帰さずに、今は合宿場に監禁状態で、テレビも見ていなければ、新聞も読んでいません。見たのはさっきの映像です。練習をしっかり頑張らないと、こういうようになる、ということで、今度は頑張ってくれると思います。ぜひ応援をよろしくお願いします」
↑壇上で、98歳の来賓OBから激励を受ける境原監督。↑
境原監督のユーモアを交えた力強い挨拶に会場からは大きな拍手が沸き起こりました。そして、今年98歳になる最高齢のOBからの激励の言葉もあり、会場内では、3月15日の抽選会で初回戦の試合の日取りが確定次第、バスを仕立てて観戦ツアーを早くも計画している同期会もあちこちで現れ、会場の雰囲気は熱気に包まれました。
そのため空調が追い付かず、会場の外より明らかに室内温度は10度近く高くなり、あちこちで気持ちが悪いとしゃがむ中高年の姿が見られました。例年開催されている高崎ビューホテルの榛名や赤城の間では、今年は明らかに狭すぎたようです。
■さて、ここまで同窓会新年総会と懇親会の成り行きを見る限り、31年前のセンバツ初出場で瞬く間に集まった巨額の浄財の内、野球部後援会に亘った約3000万円の大半が使途不明になっている件について、誰も説明する者がいないのが気になりました。
現役選手がこれほど頑張って朗報をもたらしてくれたのに、1000人をはるかに超える立派なOBたちが集まったのに、誰も巨額の浄財の3割を占める金額が使途不明になっている件について、誰も触れないのがやはり群馬県の政官財の重鎮を輩出してきた高校の持つ特性を感じさせます。
↑早くも募金に応じるOBら。↑
■そのため、会場内でいろいろと関係者に聞いてまわり情報収集に努めました。その結果、おぼろげにわかった事はつぎのことです。
(1) 31年前のセンバツ初出場では、約1億円の寄付が集まり、初戦敗退したため大会後、余った8000万円のうち、約3000万円が高崎高校野球部後援会に引き継がれた。
(2) 後援会は約15年前から休眠状態だったが、野球部が強くなってきたため、2010年に、後援会を復活させようとした。
(3) ところが、諸経費を差し引いても約2000万円程度まだ残っているはずの資金を確認したところ、通帳や決算資料が見当たらず、2010年11月に開催された臨時総会で、資金の所在が不明になっていることが報告されたが、当時の役員からは明確な説明が得られなかった。
(4) そこで、その後、内部調査をしても真相が明らかにならなかったため、野球部OB会が、当時の後援会役員を相手取り、弁護士を立てて、返還請求の訴訟を起こした。
(5) 当時の役員はどうやら物故しているらしく、その遺族が応訴してきた。
(6) 全額返還させようと、最近まで訴訟を継続していたが、高崎高校野球部が関東大会でベスト4になり、急遽甲子園出場が決まりそうだという状況になってきたため、このまま、裁判を継続していると週刊誌のネタにされかねないという懸念がでてきた。
(7) そのため、急遽、裁判で双方の弁護士を通じて和解交渉がなされ、和解金約550万円で手打ちがなされた。
■また、今回の31年ぶりのセンバツ出場に至った経緯について、内情に詳しい関係者の説明によると、次のとおりです。
(a) 例年、関東大会のベスト4に入ると関東枠というのがあり、大体4から5つあるので、甲子園出場がほぼ決定する。
(b) ところが、今年に限っては、常連校の横浜高校がベスト8となってしまい、ベスト4には入れなかったので、高野連としては興業上、横浜高校を出したいという思惑があった。
(c) そのため、高崎高校(高高)が、なぜか21世紀枠という枠に入ってしまった。この21世紀枠というのは全国で3つ確保されている。
(d) 当然、昨年3.11の東日本大震災があったので、東北勢が絶対に選ばれるだろうと関係者の間では言われていた。あとは東と西で1つずつとなる。
(e) そこに高高が入るはずだったが、いろいろな政治力が絡んでいる関係で、結局21世紀枠からは外れた。
(f) 21世紀枠というのは、昨年の甲子園でもあったとおり、あの学校に負けたのは恥だとか、今一歩だったとか、いろいろ言われかねないため、高高としては、本当は一般で選ばれたいと思っていた。
(g) そのため、結果的には21世紀枠ではなく、一般で選ばれたので関係者は喜ばしいと思っている。
(h) 今回、高崎市から健大高崎と高高の2校がセンバツに選出されたが、健大高崎は選手を神奈川とか兵庫とか、激戦区である県外からの出身者がほとんどを占めている。
(i) 高高の場合は、最近はスポーツ推薦という制度もあり、いろいろな努力の結果、クリーンアップにはかなり強い選手が揃っている。
(j) 野球部員も30年以上前とは雲泥の差で、現在2年生が20人、1年が14人在籍している。昔は3年も含めて10数人だった。
(k) こうして高高は、現在群馬県下でも野球の有力校になっている。その他のスポーツでも、たとえば陸上競技においても、今年は農大二高が駅伝で全国に行ったが、高高は県予選で2位だった。
(l) 関東大会で準優勝すると2チームがセンバツに行けることから、とくに今年の秋は群馬県内で関東大会が開催されるため、群馬県から3校が参加できる。そのため今年の秋もチャンスがある。
■31年前は、野球部後援会を母体に同窓会・PTA・野球部OB会・野球部父兄会が参加して「高崎高校野球部選抜甲子園大会出場特別後援会」(会長 小山禧一)が組織され募金活動が行われました。これは当時の高崎高校同窓会長だった小山禧一氏の個人的な関係を軸に、急遽募金活動が行われたにもかかわらず、瞬く間に約1億円が集金されました。
今回の募金活動では、前回の原因究明と再発防止の説明責任の上に立って、募金がスタートされないと、同窓生の中には不信感を持つ方々も多数いるため、前回のようにスムースな募金活動が行えないかもしれません。
一方、何事にもポジティブな校風を象徴して、既に起きたことをいちいち詮索するより、現在の高揚感に酔いしれて、募金だ、甲子園だと騒ぐことに重点を置くかたがたもおられます。
■ここはやはり、実力でセンバツ出場を勝ち取った現役選手の皆さんの功績に傷が付かないように、同校OBらとしては、きちんと前回の浄財の使途を巡る不祥事件の顛末を明らかにして、募金の際にはその経緯をきちんと同窓生に報告をしたうえで募金活動を行うことが必須条件だと思われます。
募金の趣旨を綴った挨拶状と振込用紙の入った手紙が、1月末に、高崎高校の全同窓生に発送されるという話もありますが、ぜひ、不祥事件の顛末と再発防止のための対策も記しておかないと、同窓生すべての理解を得ることは困難だと思われます。
【ひらく会情報部】
※参考資料
【高崎高校野球部データ】
<部員紹介>
○2年生(20名)
氏 名 / 出身中学 /身長・体重/投・打/ポジション
浅沼俊介/高崎倉賀野/167・64/右・左/外野手
荒井皓士/藤岡鬼石/175・66/右・右/マネージャー
五十嵐咲季也/伊勢崎四/174・63/右・左/外野手
内堀雄斗/松井田東/172・72/右・右/捕手
小柏秀平/甘楽一/172・72/右・右/捕手
岡村圭祐/高崎佐野/180・77/右・右/内野手
鬼形京佑/高崎塚沢/167・65/右・右/外野手
金子裕紀/榛東/171・68/右・右/内野手(主将)
倉金宏輔/伊勢崎四/163・68/右・右/内野手
佐藤雅彦/高崎片岡/180・72/右・右/投手
佐鳥翔平/高崎高南/170・63/右・右/外野手
佐鳥悠平/高崎高南/173・64/右・左/内野手
茂原博明/高崎吉井西/166・68/右・右/内野手
島田智史/高崎倉賀野/170・64/右・右/投手
清水貞光/高崎長野郷/174・68/右・右/外野手
田村豪/高崎中尾/176・65/右・右/内野手
藤村泰輔/高崎高松/179・69/右・右/外野手
眞下弘毅/高崎並榎/178・67/右・左/外野手
黛壱歩/吾妻六合/181・75/右・右/投手
横田大樹/高崎箕郷/161・60/右・左/内野手
○1年生(17名)
氏 名 / 出身中学 /身長・体重/投・打/ポジション
伊藤琢真/高崎長野郷/175・70/右・右/外野手
井上智彰/高崎高南/162・65/右・右/内野手
梅田雄太/高崎佐野/178・72/右・左/投手
大塚瞬也/高崎吉井西/172・63/右・右/投手
大塚郁弥/前橋一/161・58/右・左/内野手
木暮雅海/高崎新町/170・68/右・右/捕手
静野壮人/高崎長野郷/176・67/右・左/投手
塚越友也/高崎佐野/173・62/右・右/内野手
塚越陸/高崎大類/173・73/右・左/外野手
中里彰吾/高崎佐野/176・68/右・右/内野手
中澤信哉/高崎吉井中央/176・68/右・右/内野手
松井亮憲/高崎群馬中央/170・72/右・右/外野手
松本一聖/高崎中尾/178・75/右・左/外野手
三浦隼人/高崎吉井西/175・68/右・左/外野手
森田岳/高崎群馬中央/171・67/右・右/投手
柳澤奨/藤岡鬼石/167・70/右・右/捕手
吉岡尚輝/高崎高南/175・70/右・右/投手
<平成23年度秋季高校野球群馬大会>
■2回戦(初戦) 平成23年9月5日 高崎城南球場 第1試合
伊勢崎商 000010000 計1
高 崎 000100002x 計3◎サヨナラ2ランホームラン
■3回戦 平成23年9月10日 高崎城南球場 第1試合
高 崎 000010100 計2◎完封勝利
伊勢崎清明 000000000 計0
■4回戦 平成23年9月17日 高崎城南球場 第1試合
明和中央 000000000 計0
高 崎 40010000× 計5
◎連続完封勝利
■準々決勝戦 平成23年9月24日 桐生球場 第2試合
高 崎 2100000001 計4
前橋育英 0010010010 計3
◎延長戦で強豪育英に粘勝
■準決勝戦 平成23年10月1日 桐生球場 第1試合
沼 田 0000000 計0
高 崎 104011× 計7
◎関東出場をかけた公立対決にコールド勝ち
■決勝戦 平成23年10月2日 桐生球場 第1試合
健大高崎 130100020 計7
高 崎 000200000 計2
●惜しくも敗戦、準優勝
<平成23年度秋季高校野球関東大会>
■初戦 平成23年10月30日 小瀬スポーツ公園野球場
高 崎 000210010 計4
東海大望洋 200000000 計2
◎初回戦制されても、あわてず逆転勝ち
■準々決勝戦 平成23年11月2日 小瀬スポーツ公園野球場
高 崎 000003010 計4
東海大甲府 100000010 計2
◎関東ベスト4をかけた決戦に勝利、上毛新聞のセンバツ当確の号外が発行される
■準決勝戦 平成23年11月3日 小瀬スポーツ公園野球場
作新学院 002200101 計5
高 崎 000002100 計3
●強豪作新に対し粘り強く戦うも力負け
【関連報道記事】
**********
センバツ21世紀枠 高崎を推薦
2011年11月15日記事
群馬県高野連は来春の選抜大会(3月21日開幕、甲子園)の21世紀枠県推薦校に高崎を選び、境原尚樹監督(48)が14日、部員に報告した。高崎は今秋県大会で準優勝、関東大会では4強まで勝ち進んだ。同校の推薦は初めて。関東1都7県の推薦8校を1校に絞り、全国の他の8地区とともに12月15日、関東地区推薦校が発表される。
県高野連は高崎の推薦理由として(1)秋季県大会ベスト8以上(2)礼儀、あいさつ、マナー、服装など学校内外の生活面を重視(3)「自主自立」をモットーに練習(4)常に県大会上位にあり、全力疾走、全力プレーが高校生らしい―を挙げた。
推薦を受けた境原監督は練習中の選手を集め、「一生懸命の取り組みが評価されたことを誇りにし、これからも磨いてほしい」と激励。自身の31年前の選抜出場時を振り返り、「(甲子園で)大敗を喫したが、その大半は浮かれたことが原因。今まで通り地に足を着け、原点に戻ってやっていこう」と話した。
金子裕紀主将(2年)は「候補になれて、甲子園が近づいている感じがしてうれしい。今のままでは通用しないので、一段上のチームになりたい」と力を込めた。
同校は関東大会で4強入りし、一般選考で選ばれる可能性も十分あるが、選抜出場のチャンスがさらに広がった。
◎21世紀枠
選抜の独自色を出すため、2001年の大会から導入。一般選考とは別に、部員不足や自然災害など困難を克服したチームや他校の模範になるようなチームが対象となる。各都道府県が1校を推薦し、関東地区など全国9地区からそれぞれ1校を選出。さらに来年1月27日の選考委員会で東日本、西日本から各1校、残る7校からさらに1校を決定する。過去に本県から選ばれたことはない。
**********
進学校・高崎、合格通知待つ!/センバツ
2012年1月27日7時51分サンケイスポーツ配信
第84回選抜高校野球大会(センバツ、3月21日から12日間・甲子園)の出場32校を決める選考委員会が27日、大阪市内で開かれる。関東勢は昨秋の関東大会覇者・浦和学院(埼玉)や都大会を制した関東一の出場がほぼ当確。群馬で県内屈指の進学校として知られる高崎は、東大志望の主将・金子裕紀内野手(2年)を中心に31年ぶりの出場となるか、注目される。
伝統ある進学校のグラウンドに、元気いっぱいの声が響いていた。センバツの出場校発表を翌日に控え、甲子園出場を夢見る球児たちの練習は午後7時過ぎまで続いた。
「どこよりも、練習時間は短いと思いますよ。効率的にやるよう、心掛けています」と説明するのは境原尚樹監督(48)。授業後の約3時間半の練習に、選手は集中して取り組んだ。文武両道こそが、高崎のモットーだからだ。
毎年東大や京大などに多くの学生が進み、進学率は100%。OBには元首相の福田赳夫氏や中曽根康弘氏がいる名門だ。前回のセンバツ出場は“タカタカ旋風”と呼ばれた1981年で、境原監督も当時のメンバーだった。最近は甲子園出場から遠ざかっていたが、昨秋の関東大会で4強入り。31年ぶりの切符がグッと近づいた。
主将の金子も勉強と野球の両立に励んでいる。毎日、授業以外にも2時間の自習は欠かさない。「野球も大事だけど、勉強も大事です」。学年トップ10に入ることもあるほど成績優秀で、目標は東大進学だ。
エース島田(2年)は、慶大進学が目標。直球は130キロ台前半ながら頭脳的な配球で、チームをけん引する。「甲子園で投げてみたい」と島田。文武両道の進学校が、31年ぶりの朗報を待つ。
**********
元首相2人輩出…31年ぶり高崎 東大志望の主将は「野球と勉強にメリハリ」
2012年1月27日15時24分スポニチ配信
県内屈指の進学校・高崎の卒業生には、福田赳夫氏、中曽根康弘氏と、2人の元首相がいる。金子主将(2年)の志望校は「東大」。早朝や練習後の午後10時まで学校の自習室に残る生徒もいる。「野球と勉強にメリハリをつけています。勉強する時の集中力は野球にもつながると思うので」(金子)。文武両道を貫きながら、昨秋の関東大会で4強入り。21世紀枠の推薦校にも選ばれた。
センバツ初出場を果たした81年、中堅のレギュラーだったのが境原尚樹監督だ。「今年のチームカラーはあの時と似ている。強いとは思わないが、まとまりがあるし、運も持っている代ですね」と分析する。練習メニューは部員が決める。境原監督は「言われたことだけをこなすと、どうしても受け身になってしまう。ある程度まで力は付いても、その先の壁は破れない。グラウンドで戦うのは選手ですから」とナインを大人扱いしながら、自立させる指導法を取り入れている。
31年前は秋の関東大会で「タカタカ(高崎高校の愛称)旋風」を巻き起こし、スポーツライターの山際淳司氏の著作「スローカーブを、もう一球」でも取り上げられた。だが、境原監督の中では、決して輝かしい思い出ではなかった。「センバツ出場が決まると大騒ぎで、マスコミからの取材も多くなった。浮足だって冬の過ごし方を間違えた結果が、甲子園で出たと思います。光と影を味わいました」。星稜(石川)に1―11の大敗。夏は県大会で敗れた。
31年ぶりの切符を前に、チームに浮かれムードはない。目標は「出ること」ではなく「勝つこと」。秀才軍団が、今度こそ甲子園で「タカタカ旋風」を起こす。
**********
高崎、31年ぶり春切符!81年初戦敗退の雪辱だ!…センバツ
2012年1月28日06時00分 スポーツ報知配信
第84回センバツ高校野球大会(3月21日から12日間・甲子園)の出場32校が決定。花巻東の151キロ右腕・大谷翔平(2年)は、聖地で高校生史上初の160キロを叩き出し、09年に先輩の菊池雄星(現西武)を擁しても届かなかった東北勢初優勝を成し遂げると宣言した。
空っ風が強く吹こうが歓喜に沸く高崎の熱気は冷めない。80年、秋季関東大会の快進撃が故・山際淳司氏のノンフィクション「スローカーブを、もう一球」で描かれて以来、名門“タカタカ”に31年ぶりの春切符が届いた。
「悔いが残って31年間、過ごしてきた。彼らがそれを取り返すチャンスをくれた」。境原尚樹監督(48)は81年センバツ出場時の「7番・中堅」だ。初戦で星稜に1―11で大敗。「試合中からふがいなさ、恥ずかしさ、申し訳なさの2時間だった。帰るとみんな枯れてしまった」。挫折感は強く、作品を読めるようになるまで20年を要した。卒業後も仲間とは、今年まで集うことがなかった。
当時のエース・川端俊介から背番号1を継承する島田智史(2年)は「スローカーブは投げられないんで」と笑う。だが、甲子園は子供の頃からの夢か?との問いに「別に…」と応えるなど、クールな表情は山際氏が描いた川端と重なる。同校OBの“大勲位”中曽根康弘元首相(93)にも「誇りです。来てほしいですね」と応援を熱望する右腕。悲願の初勝利はスローカーブではなく、真っ向勝負で奪い取る。
**********
選抜出場、中曽根元首相も祝う 群馬・高崎高で同窓会
2012年1月29日0時41分アサヒコム配信
群馬県の健大高崎と高崎が選抜高校野球大会の代表校に決まり、一夜明けた28日。高崎の第110回同窓会が高崎市内であり、31年前に甲子園に初出場した元選手らが幹事を務めた。昨年、名誉県民として顕彰を受けた中曽根康弘元首相(94)も出席。出席者からは喜びの言葉が相次いだ。
高崎は今年で創立115年。1897年に県尋常中学群馬分校として設立され、1900年に旧制高崎中に。48年の学制改革で現在の名称となった。福田赳夫、中曽根康弘両氏の歴代首相を輩出した県内屈指の伝統校だ。
28日午後、高崎市内のホテルで開かれた同窓会には、OB約千人が参加。前日に母校の選抜大会出場が決まったこともあって、例年以上の盛り上がりとなった。
数年ぶりに総会に出席した中曽根元首相は、同窓会の名誉顧問。杖をついて自ら歩き、健在ぶりをアピール。あいさつでは「(今回は)何としても行かなくちゃいかん、と思った」。母校の躍進を喜び、自らの青春時代に思いをはせた。
今年幹事を務めたのは、甲子園に唯一出場した31年前に3年生だった第81期だ。同窓会長の佐藤和徳さん(72)も「えにしを感じる」と感慨深げだ。
午後4時からあった懇親会には、当時の野球部員らの姿もあった。
前回はミスもあり、初戦敗退。左翼手として甲子園に出場した、代表幹事の岩井均県議(48)は「31年前の失敗から、やっと未来に向かっていける」と後輩たちに感謝した。エースだった、小学校教諭の川端俊介さん(48)は「彼らがこのチャンスを生かすも殺すも、大会までの過ごし方次第」と助言した。
部長だった田端穣さん(75)は、出場が決まった27日、当時の部員から「先生、長生きしてて良かったね」と電話を受けたという。31年前は取材対応などで、喜ぶ暇もなかったという田端さん。「長かった。今回は手放しで喜べました」。(伊藤弘毅)
**********
第84回センバツ高校野球:高崎高、出場決定 同窓会に1000人 後輩の活躍に期待/群馬
1月29日毎日新聞
◇「気を引き締めて」
センバツ出場決定から一夜明けた28日、高崎市内のホテルで高崎高校の卒業生が集う「第110回同窓会」が開かれた。81年のセンバツ初出場時の2年生が幹事を務め、当時のセンバツを振り返るビデオを上映。会場はOBや学校関係者など約1000人であふれ、母校への誇りを胸に、甲子園での後輩たちの活躍に期待を寄せていた。【角田直哉】
ビデオはセンバツ初出場時の試合を撮影した映像に、当時の選手たちへのインタビューを交えて構成し、上映時間は約20分。31年前の甲子園に出場した境原尚樹監督によると、「甲子園組」は卒業後、一度も顔をそろえたことがなかったが、昨年11月下旬に初めて一堂に集まりインタビューを収録した。撮影したのは同校OBで、映画「きな子~見習い警察犬の物語」(10年公開)などで知られる演出家・映画監督の小林義則さん。
撮影にあたり、試合の映像を初めて見た当時の野球部OBも多く、主将・佐藤誠司さん(48)もその一人。夢舞台は1-11で初戦敗退しただけに、佐藤さんは「今振り返っても、もっと勝負できたはずだと悔しさを感じる。後輩たちは精いっぱい戦って、高崎の名を全国にとどろかせてほしい」と話した。
当時のエース・川端俊介さん(48)もビデオ映像に見入った。川端さんの関東大会での活躍はノンフィクション作家、故山際淳司氏の「スローカーブを、もう一球」に描かれたことで有名なだけに、甲子園で大敗した悔しさは「誰よりも大きかった」と振り返る。川端さんは「今はまだおめでとうと言えない。このチャンスを生かすも殺すも選手次第。一層気を引き締めて練習に取り組んでほしい」と語った。
また当時の部長、田端穣さん(75)は「今のチームは31年前のチームと似ていて、自主的に野球に取り組む姿勢には目を見張るものがある。気を緩めなければ、きっと甲子園でも活躍してくれるはずだ」と期待した。
ビデオ上映後に境原監督が壇上に立ち「今回は高崎がたくさんの得点を奪う試合を甲子園で見せられるように頑張るので、応援よろしくお願いします」とあいさつした。
この日の総会では、甲子園に向けて選手たちの活動をサポートする後援会の発足が正式に決まった。一方、選手たちはセンバツ出場が決まった27日から3泊4日の合宿に入り、この日はグラウンドで汗を流した。
**********
健大高崎初出場、高崎31年ぶり
2012年1月28日読売新聞
高崎市からダブル出場――。第84回選抜高校野球大会の出場校が27日発表され、健大高崎と高崎が選ばれた。健大高崎は初、高崎は31年ぶり2度目の選抜出場となる。県勢の2校出場は、2009年の第81回大会(高崎商、前橋商)以来3年ぶり3度目で、同じ市内からは初めて。大会は、兵庫県の甲子園球場で、3月21日から12日間の日程で開かれる。
高崎市中大類町の健大高崎高校。須藤賢一校長から出場決定の報告を受けると、選手たちは一様に安堵(あんど)の表情を浮かべた。昨秋関東大会4強の実績から夏春連続出場が有力視され、選抜を意識した練習を続けてきた。長坂拳弥主将(2年)は「夏の雪辱を果たしに行く」と表情を引き締めた。
昨夏は機動力野球を武器に県大会初優勝を果たすと、甲子園でも開幕戦で今治西(愛媛)を破るなど、旋風を起こした。ただ、2回戦の横浜(神奈川)戦では、5点差を追いつきながらもサヨナラ負け。青柳博文監督(39)は「強豪校の気迫や集中力を間近で見て、練習に対して貪欲になった」と選手たちの変化を語る。
エースの三木敬太投手(2年)も「甘く入ったら必ず打たれる。実力不足を痛感した」と振り返る。大会後、打者からボールが見えづらいフォームに改造。県大会は全6試合でわずか3失点、関東大会も2試合連続完封するなど、選抜出場の原動力になった。
選手たちは冬場の練習で、走り込みや1日3000スイングなど厳しいメニューを敢行してきた。
新鋭から強豪へ。その足場を確かなものにするためにも、選抜は大きな意味を持つ。
午後4時頃、高崎市八千代町の県立高崎高校の練習グラウンドで、選抜出場を羽鳥進一校長から伝えられても、選手たちは淡々としていた。報道陣に促され、ようやく笑みがこぼれた。チームの目標はあくまで夏の甲子園だからだ。
昨秋の県予選は、エース島田智史投手(2年)が抜群の安定感を見せて準優勝。続く関東大会も、東海大甲府(山梨県)などに競り勝って4強入りした。21世紀枠での出場の見方もあったが、実力が認められた。
境原尚樹監督(48)は、1981年の初出場時に中堅手として甲子園の土を踏んでおり、「投手中心のチーム状況は似ている」と話す。
当時、高校球界で無名だった高崎だが、エース川端俊介さん(48)を中心とした守りの野球で快進撃を続けた。山際淳司氏のノンフィクションのモデルになるなど沸かせたチームに、プレースタイルが重なる。現在、小学校教諭の川端さんは「この日を待っていた」と喜ぶとともに、「ただ出るだけではダメだ」と力を込める。春で燃え尽きてしまった後悔もあるからだ。
「春は通過点。夏に向けて力をつけたい」と金子裕紀主将(2年)。31年越しの思いは、「高高生」に確実に伝わっていた。
高崎市から2校出場という県内初の快挙に、市民からは喜びの声が上がった。
午後4時過ぎ、JR高崎駅構内には、東西2か所に、健大高崎、高崎両校の横断幕(縦80センチ、横400センチ)がそれぞれ設置された=写真=。通りかかった高崎市綿貫町の無職綿貫英治さん(62)は「高崎高は息子の母校。テレビの前での応援に力が入りそうです」と笑った。
同市高松町の市役所本庁舎前にも両校の懸垂幕(縦900センチ、横90センチ)が掲げられた。高崎高OBの富岡賢治市長は「2校が選抜甲子園への切符を手にしたことは素晴らしいことで本当にうれしい」とのコメントを発表。同じく高崎高OBの中曽根康弘元総理も「文武両道の我が母校の面目躍如と言ったところで、活躍を期待しています。心から『がんばれ高々』のエールを送りたいと思います」とのコメントを寄せた。
**********
※2011年高校野球秋季関東地区大会データ
組み合わせ:
http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/2011/autumn/kumiawase/kanto.html
成績:
http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/2011/autumn/result/kanto.html
※1981年センバツの高高VS星陵のスコア
http://www2.asahi.com/koshien/game/1981/300/9780/