■ロシアが国家の威信をかけて開催準備をしているAPECですが、日本でも11月7日から14日までの8日間、横浜で開催されます。APECとは、アジア太平洋経済協力会議の略称で、1989年に日本、韓国、中国、台湾、香港、アセアン諸国(但しラオス、ミャンマー、カンボジアを除く)、米国など21の国。地域の首脳らが参加し、貿易や投資の自由化、経済協力などを話し合うもので、日本では過去、1995年に大阪市で開かれたことがあります。
来月7日からの横浜のAPECでは、海外の首脳らの警備に、警察官が約2万1千人投入予定だといいます。ロシアからも、再来年のAPEC開催に備えて、警備のノウハウや開催要領などを予め学んでおくため、8月20日、ロシア沿海州のセルゲイ・ダリキン知事ら一行が、横浜を訪問しています。
↑京成上野駅にあるAPEC横浜のポスター。↑
■要人の警護の観点からは、ロシアは島の方でAPECを開催したほうが、市民生活に影響が少ないと考えたのかも知れません。また、APEC開催を契機に、それまで海賊や密輸団の巣窟と言われていたルースキー島を大規模開発して、極東連邦大学やリゾート開発、スポーツ施設などを整備して、APEC後に備える計画です。
↑東ボスポラス海峡横断橋の完成想像図。↑
ルースキー島(Russky Island)はウラジオストク市あるムラビヨフ・アムールスキー半島の南に位置する島で、面積は97.6平方kmです。ウラジオストクとは狭い東ボスポラス海峡で隔てられています。ムラビヨフ・アムールスキー半島とルースキー島がピョートル大帝湾を二分しており、西はアムール湾、東はウスリー湾となっています。同島の南西にはポポフ島、レイネケ島、リコルダ島などの島々が連なり、さらに小さな島々の連なるイェフゲニー諸島がピョートル大帝湾の沖合に向かって40kmにわたって伸びています。
ルースキー島は起伏が多く、高さ300m弱の峯が連なっており最高峰ルースキー山は標高291mです。海岸は険しい断崖が多くみられます。ルースキー島の中央には、北西から南東に向けて細長いノヴィク湾が入っており、これによって同島はほぼ二分されている。対岸のウラジオストク市街との間は現在は、フェリーが往復していますが、現在、2012年のAPEC開催に間に合わせるためにルースキー島との連絡橋が建設されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Russky_island_topographic_map-en.svg
■前回、9月後半にウラジオストクを訪問した際、当会取材班は、ルースキー島を船で一周して調査したので、報告します。
9月下旬の時点では、まだ気温もさほど低くなく、海も穏やかでした。調査当日は、風もなく絶好の日和です。早朝9時半に宿泊所を出て、午前10時にウラジオストク郊外のアムール湾沿いのボート係留場から午後5時の帰着まで7時間のクルーズでしたが、料金は1万2000ルーブルでした。
日本の中古のヤマハ製10人乗りモーターボートは、まずアムール湾をウラジオストク市を左に見ながら南下します。ボートのオーナーは福島県に出稼ぎに行っていたことがあり、そこで蓄えた金で日本の中古ボートを購入して持ち帰り、釣りやレジャーなど観光の仕事をしているのだそうです。釣り船としての仕事は気温がマイナスになる11月半ばまでやっているのだとか。
■ボートはまもなく、東ボスポラス海峡の出口を通過し、ルースキー島の一部であるイェレーナ島をぐるりと回ってノビック湾に入ります。このイェレーナ島はもともとルースキー島と繋がっていましたが、ウラジオストクへのアクセスを良くするために運河が切り開かれて「島」となっています。
ノビック湾はルースキー島の懐深く入り込んでおり、奥に向かって右手が細長いサピョルヌイ半島になっていて、APECの施設はここに建設されています。ただし、半島の反対側なので、湾の内側からは外側で進行中の工事風景はうかがい知ることはできません。静かな入り江と言った佇まいです。
湾の奥には軍事施設があるため、警備艇らしき船舶も複数、湾の中央部で停泊しています。
うかつに入り込むとロシア海軍憲兵隊およびsウラジオストク警察に拘束を受けることもあり注意が必要なので、オーナー兼操舵手は、付近の海岸に見える水産加工施設の跡地の前でUターンして、運河を通過して一旦、東ボスポラス海峡に出ました。
そのあと、再び、イェレーナ島を迂回すると、ボートはルースキー島を反時計方向に回りはじめました。
■ウシ島沖を通過し、イグナチェフ岬を回って、リンダ湾に入りました。
↑手前の岩がウシ島。↑
↑レーダーサイトがひょっこり現れた。↑
ここで昼食です。海賊マークのはためく木製桟橋には、昼食の食材用のホタテ貝がぎっしり詰まった網袋が結わえられていました。
昼食の準備が整うまで、付近を散歩しました。湾の奥に向かって浜辺を10分ほど歩くと、今は使われていないコンクリート製の桟橋がありました。多数のウミネコが休んでいました。
この辺りは夏場は海水浴やキャンプを楽しむ人で賑わうようですが、海岸には彼らの残した飲料ビンや殺虫スプレー、プラスチック袋などが散乱しており、バーベキューのあとがそのまま残っていました。ゴミの投棄に関する後ろめたさは、まだロシア人には身についていないようです。
さらに10分ほど入り江の奥に向かうと、バンガローが見えました。ここまで来るまでも来られるようです。管理人が一人いましたが、既に夏のバカンスは過ぎており、客の姿は見えませんでした。
その向こうに大きな建物の屋根が見えました。水産加工場か何かのようですが、今は使われていない様子で人の気配がありませんでした。
■もと来た浜辺をたどって戻ると、昼食の用意ができていました。昼食は海鮮の炊き込みご飯とホタテのバター焼きです。ウオッカは昼食には重すぎるのでビールを頼んだところ、定番のロシア産ビールの「ボーチカ」は置いておらず、あるのは、アサヒスーパードライとサッポロ黒ラベルのロング缶だけでした。我々取材班は皆170ルーブルの黒ラベルを注文しましたが、ロシアのこんな離島で日本製缶ビールを飲むことになろうとは思いもよりませんでした。
ロシア人に言わせると、日本のビールの味は最高で、皆大好きなのだそうです。そういえば、根室で聞いた話ですが、北方四島が目の前にある貝殻島で潜水漁をしていたロシア人が、日本のビールが飲みたくなってそのまま泳いで根室に上陸して、酒屋でビールを買って飲んでいたら、不法入国で捕まったというエピソードもあるほどです。
長粒米の炊き込みご飯は今一つでしたが、ホタテのバター焼きは絶品でした。
↑ロシア人もワサビ醤油が好きらしい。何も言わなくても出してkた。よく見るといずれも中国製。醤油はワダカンとあり日系資本を想像させるが、ワサビはひらがなこそ書いてあるが完全な中国製。合成品らしくワサビの強烈な人工的刺激臭が鼻を突き、鮮やか過ぎる緑色の着色に背筋が寒くなる。早く日本製を普及させないと和食のイメージダウンが心配だ。↑
腹ごしらえを終えて、再びモーターボートは反時計回りにルースキー島を回りだしました。
■外洋に出て、ボイェボダ湾の沖合を通過し、バシェリフ岬をめぐると、ルースキー島の南側にあるポポフ島との間のスタルク水道を通過しました。
↑上:岬の灯台と水鳥たち。下:プーチン大統領も滞在したことのあるという高級幹部用ビーチ別荘。↑
↑ポポフ島(左)とルースキー島のスタルク水道を抜ける。↑
すると、ラブロフ島やエンゲルム島などが点在する風光明媚な湾に出ます。ここは、日本海に直接面していますが、当日は風もなく、穏やかで波もほとんどありませんでした。
↑上:ラブロフ島。下:釣り船があちこちに見える。↑
ロシア人のボートオーナーは、ここで釣りをやろう、と言ってエンジンを止めると、錨をおろしました。付近には他にも釣り船が見えます。オーナーによると、ここはヒラメの漁場で、よく釣れるとか。さっそく、持参した貝を割って、中身を小さく切り分け、餌の準備に取り掛かりました。
仕掛けは、先端に錘を付けたテグス糸に、錘から10センチと40センチのところに長さ20センチのそれぞれ枝糸を結び、その先に針を付けたもので、底魚を狙います。これを細長い木切れに巻きつけたものを手に持って、錘をボートから下ろしながら、木切れに巻きつけた釣糸を繰り出して、水深18mの砂地の海底に錘が着地したら、少したるませ気味にしながら、釣糸をゆっくりと上下にしゃくります。すると、底魚たちには、餌が2つ砂地の表面を跳ねているように見える、という仕掛けです。
午後1時半から3時半までおよそ2時間近く釣りをしましたが、釣果はご覧のとおりでした。時期によっては、1日でアイスボックスが満杯になることもあるそうです。
■午後3時過ぎになると、次第に日本海からの南東風が強くなってきました。釣糸を片づけ、錨を上げて、再びルースキー島を反時計報告に回りました。
ルースキー島から砂州で繋がっているシュコト島の最南端を通過し、日本海に面したルースキー島の東側を海岸にそって、トビジン岬、ビャトリン岬を見ながら、一気に北上しました。
シュトコ島南端
ルースキー島最東南端
奇岩が続く東海岸
トビジン岬
ピャトリン岬
アクロスティシェフ岬をまわり、東ボスポラス海峡の東の入り口にあるスクリュトフ島が右手見えると、間もなく前方に、海峡横断橋の工事現場が遠くに見えだしました。
↑上:アクロスティシェフ岬。下:以前は囚人の監獄だったスクリュトフ島。↑
左手のルースキー島のアヤスク湾を見ると、APEC会場となる連邦極東大学、国際会議場、スポーツコンプレックス、その他関連施設の建設が盛んに行われていました。
あと1年半後には全て完成していなければなりませんが、我々取材班が見たところ、全部が仕上がるとは到底思えません。しかし、当事者のロシア側では楽観的な見方がされています。いずれにしても、直接APEC開催に関係する空港と空港からルースキー島までのアクセス道路、それに会場の建設は何としても間に合わすのでしょうが、それ以外の事業は優先順位が後回しにされるかもしれません。
■ところで、APECの会場建設には、膨大な作業員が動員されています。共同通信の報道では、ロシア内務省の発表として、平成22年6月上旬の時点で、APEC関連の建設現場で、約1万2千人のロシア人と、中央アジア出身者を中心に約1200人の外国人が作業に従事しており、外国人労働者は今年中に約7500人に増える予定で、うち約3600人を北朝鮮、約3300人を中国から動員する計画だそうです。
そういえば、先日、帰国する際に、ウラジオストクの国際空港のロビーで、胸に首領様のバッジをつけた幹部らに引き連れられた北朝鮮の労働者と思しき一行が、膨大な荷物の山とカートに乗せて待機していた光景に出くわせました。
↑労働者の一団を輸送する北朝鮮の高麗航空(Air Koryo)機。ウラジオストクからピョンヤンには週1便、木曜日のみ運航される。↑
北朝鮮労働者は低賃金なため、旧ソ連時代から、両国政府の協定によって、ロシア極東に多数派遣されてきましたが、今回のように数千人単位の動員規模は異例です。北朝鮮にとっては外貨獲得のためにも願ってもない話なのでしょうが、最近、ロシア極東では北朝鮮労働者の亡命申請が頻発しており、ロシア治安当局は今後の連鎖的な発生を警戒していることも事実です。
■東ボスポラス海峡横断橋の工事現場を海上から視察し、左手のルースキー島側に建設中の貨物ターミナルの建設現場と、右手にウラジオストク商業港を右手に見ながら海峡を通過し終えると、アムール湾に入りました。
後は海岸にそって北上すると間もなく、8月に宿泊したアムールスキー・ザリフ・ホテルや9月に宿泊したその姉妹ホテルのウラジオストク・ホテル、そしてAPEC用に建設中の五つ星ホテルの建設現場が見えました。
そこを通過して間もなく出発地点のボート係留桟橋に到着しました。
■夕食は、かねてからマークしていた北朝鮮系のレストラン「カフェ・ピョンヤン」を訪ねてみました。ウェートレスは喜び組のオーディションに応募して惜しくも首領様に選ばれなかった美女人揃いだという噂でしたが、そのとおりでした。無愛想なロシア人の店員とは違い、接客態度もマナーも申し分ありません。典型的な韓国料理、もとい朝鮮料理のほかに、水餃子や焼餃子、それに、寿司や刺身などの日本食もメニューに載っていました。
↑場所は、日本領事館からさらに500m南にあるコロナホテルの1階。このホテルはロシア人専用ホテルなので日本人は宿泊できない。↑
↑上:メニューの表紙。下:メニューの一例。↑
ビールはロシア産のボーチカ等も飲めますが、ここでも、アサヒ、サッポロが人気があります。ビールは中国産の「ハルピン」ビールもいけます。北朝鮮ブランドのビールはなく、代わりに、なんと、韓国の「ハイト」ビールならあるとのこと。しかし、当会の取材班はホップの効いていないハイトの味に、2杯目を注文する者はいませんでした。
残念ながら(当然か)韓国の真露(チンロ)はなく、北朝鮮ブランドの焼酎ならあるというので試してみましたが、味にパンチがなく、焼酎党は皆最初の一口だけで、あとはウオッカに切り変えました。
お勧めのピビンパは320ルーブル(1ルーブルは約2.8円)ですが、使用している米が日本のものと遜色がなく、驚かされました。北朝鮮の人民は口にすることのできないのでしょうが、こうして貴重な外貨獲得のためのアンテナショップは、中国やベトナム、それにモスクワにもあるそうです。
↑上:ピビンパ。中:冷麺。下:水餃子がいずれもお勧め。一番下:室内の壁のタペストリー。刺繍は金剛山の滝をあしらったものか。↑
■ウラジオストクには、現代グループの経営するヒュンダイ・ホテルの中の韓国料理店のほか、ダウンタウンにコリアンハウスという店があります。ヒュンダイ・ホテル内の店には入ったことがありませんが、少なくともコリアンハウスで出すクッパやピビンパよりも、「ピョンヤン」の味が上です。
店内にはロシア人のグループのほか、北朝鮮らしき関係者の姿も見え、夜も更けるとウェートレスとカラオケに興ずる光景も見られました。こうして、国際都市ウラジオストクの秋の1日が終わるのでした。
【ひらく会情報部海外取材班・この項おわり】
来月7日からの横浜のAPECでは、海外の首脳らの警備に、警察官が約2万1千人投入予定だといいます。ロシアからも、再来年のAPEC開催に備えて、警備のノウハウや開催要領などを予め学んでおくため、8月20日、ロシア沿海州のセルゲイ・ダリキン知事ら一行が、横浜を訪問しています。
↑京成上野駅にあるAPEC横浜のポスター。↑
■要人の警護の観点からは、ロシアは島の方でAPECを開催したほうが、市民生活に影響が少ないと考えたのかも知れません。また、APEC開催を契機に、それまで海賊や密輸団の巣窟と言われていたルースキー島を大規模開発して、極東連邦大学やリゾート開発、スポーツ施設などを整備して、APEC後に備える計画です。
↑東ボスポラス海峡横断橋の完成想像図。↑
ルースキー島(Russky Island)はウラジオストク市あるムラビヨフ・アムールスキー半島の南に位置する島で、面積は97.6平方kmです。ウラジオストクとは狭い東ボスポラス海峡で隔てられています。ムラビヨフ・アムールスキー半島とルースキー島がピョートル大帝湾を二分しており、西はアムール湾、東はウスリー湾となっています。同島の南西にはポポフ島、レイネケ島、リコルダ島などの島々が連なり、さらに小さな島々の連なるイェフゲニー諸島がピョートル大帝湾の沖合に向かって40kmにわたって伸びています。
ルースキー島は起伏が多く、高さ300m弱の峯が連なっており最高峰ルースキー山は標高291mです。海岸は険しい断崖が多くみられます。ルースキー島の中央には、北西から南東に向けて細長いノヴィク湾が入っており、これによって同島はほぼ二分されている。対岸のウラジオストク市街との間は現在は、フェリーが往復していますが、現在、2012年のAPEC開催に間に合わせるためにルースキー島との連絡橋が建設されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Russky_island_topographic_map-en.svg
■前回、9月後半にウラジオストクを訪問した際、当会取材班は、ルースキー島を船で一周して調査したので、報告します。
9月下旬の時点では、まだ気温もさほど低くなく、海も穏やかでした。調査当日は、風もなく絶好の日和です。早朝9時半に宿泊所を出て、午前10時にウラジオストク郊外のアムール湾沿いのボート係留場から午後5時の帰着まで7時間のクルーズでしたが、料金は1万2000ルーブルでした。
日本の中古のヤマハ製10人乗りモーターボートは、まずアムール湾をウラジオストク市を左に見ながら南下します。ボートのオーナーは福島県に出稼ぎに行っていたことがあり、そこで蓄えた金で日本の中古ボートを購入して持ち帰り、釣りやレジャーなど観光の仕事をしているのだそうです。釣り船としての仕事は気温がマイナスになる11月半ばまでやっているのだとか。
■ボートはまもなく、東ボスポラス海峡の出口を通過し、ルースキー島の一部であるイェレーナ島をぐるりと回ってノビック湾に入ります。このイェレーナ島はもともとルースキー島と繋がっていましたが、ウラジオストクへのアクセスを良くするために運河が切り開かれて「島」となっています。
ノビック湾はルースキー島の懐深く入り込んでおり、奥に向かって右手が細長いサピョルヌイ半島になっていて、APECの施設はここに建設されています。ただし、半島の反対側なので、湾の内側からは外側で進行中の工事風景はうかがい知ることはできません。静かな入り江と言った佇まいです。
湾の奥には軍事施設があるため、警備艇らしき船舶も複数、湾の中央部で停泊しています。
うかつに入り込むとロシア海軍憲兵隊およびsウラジオストク警察に拘束を受けることもあり注意が必要なので、オーナー兼操舵手は、付近の海岸に見える水産加工施設の跡地の前でUターンして、運河を通過して一旦、東ボスポラス海峡に出ました。
そのあと、再び、イェレーナ島を迂回すると、ボートはルースキー島を反時計方向に回りはじめました。
■ウシ島沖を通過し、イグナチェフ岬を回って、リンダ湾に入りました。
↑手前の岩がウシ島。↑
↑レーダーサイトがひょっこり現れた。↑
ここで昼食です。海賊マークのはためく木製桟橋には、昼食の食材用のホタテ貝がぎっしり詰まった網袋が結わえられていました。
昼食の準備が整うまで、付近を散歩しました。湾の奥に向かって浜辺を10分ほど歩くと、今は使われていないコンクリート製の桟橋がありました。多数のウミネコが休んでいました。
この辺りは夏場は海水浴やキャンプを楽しむ人で賑わうようですが、海岸には彼らの残した飲料ビンや殺虫スプレー、プラスチック袋などが散乱しており、バーベキューのあとがそのまま残っていました。ゴミの投棄に関する後ろめたさは、まだロシア人には身についていないようです。
さらに10分ほど入り江の奥に向かうと、バンガローが見えました。ここまで来るまでも来られるようです。管理人が一人いましたが、既に夏のバカンスは過ぎており、客の姿は見えませんでした。
その向こうに大きな建物の屋根が見えました。水産加工場か何かのようですが、今は使われていない様子で人の気配がありませんでした。
■もと来た浜辺をたどって戻ると、昼食の用意ができていました。昼食は海鮮の炊き込みご飯とホタテのバター焼きです。ウオッカは昼食には重すぎるのでビールを頼んだところ、定番のロシア産ビールの「ボーチカ」は置いておらず、あるのは、アサヒスーパードライとサッポロ黒ラベルのロング缶だけでした。我々取材班は皆170ルーブルの黒ラベルを注文しましたが、ロシアのこんな離島で日本製缶ビールを飲むことになろうとは思いもよりませんでした。
ロシア人に言わせると、日本のビールの味は最高で、皆大好きなのだそうです。そういえば、根室で聞いた話ですが、北方四島が目の前にある貝殻島で潜水漁をしていたロシア人が、日本のビールが飲みたくなってそのまま泳いで根室に上陸して、酒屋でビールを買って飲んでいたら、不法入国で捕まったというエピソードもあるほどです。
長粒米の炊き込みご飯は今一つでしたが、ホタテのバター焼きは絶品でした。
↑ロシア人もワサビ醤油が好きらしい。何も言わなくても出してkた。よく見るといずれも中国製。醤油はワダカンとあり日系資本を想像させるが、ワサビはひらがなこそ書いてあるが完全な中国製。合成品らしくワサビの強烈な人工的刺激臭が鼻を突き、鮮やか過ぎる緑色の着色に背筋が寒くなる。早く日本製を普及させないと和食のイメージダウンが心配だ。↑
腹ごしらえを終えて、再びモーターボートは反時計回りにルースキー島を回りだしました。
■外洋に出て、ボイェボダ湾の沖合を通過し、バシェリフ岬をめぐると、ルースキー島の南側にあるポポフ島との間のスタルク水道を通過しました。
↑上:岬の灯台と水鳥たち。下:プーチン大統領も滞在したことのあるという高級幹部用ビーチ別荘。↑
↑ポポフ島(左)とルースキー島のスタルク水道を抜ける。↑
すると、ラブロフ島やエンゲルム島などが点在する風光明媚な湾に出ます。ここは、日本海に直接面していますが、当日は風もなく、穏やかで波もほとんどありませんでした。
↑上:ラブロフ島。下:釣り船があちこちに見える。↑
ロシア人のボートオーナーは、ここで釣りをやろう、と言ってエンジンを止めると、錨をおろしました。付近には他にも釣り船が見えます。オーナーによると、ここはヒラメの漁場で、よく釣れるとか。さっそく、持参した貝を割って、中身を小さく切り分け、餌の準備に取り掛かりました。
仕掛けは、先端に錘を付けたテグス糸に、錘から10センチと40センチのところに長さ20センチのそれぞれ枝糸を結び、その先に針を付けたもので、底魚を狙います。これを細長い木切れに巻きつけたものを手に持って、錘をボートから下ろしながら、木切れに巻きつけた釣糸を繰り出して、水深18mの砂地の海底に錘が着地したら、少したるませ気味にしながら、釣糸をゆっくりと上下にしゃくります。すると、底魚たちには、餌が2つ砂地の表面を跳ねているように見える、という仕掛けです。
午後1時半から3時半までおよそ2時間近く釣りをしましたが、釣果はご覧のとおりでした。時期によっては、1日でアイスボックスが満杯になることもあるそうです。
■午後3時過ぎになると、次第に日本海からの南東風が強くなってきました。釣糸を片づけ、錨を上げて、再びルースキー島を反時計報告に回りました。
ルースキー島から砂州で繋がっているシュコト島の最南端を通過し、日本海に面したルースキー島の東側を海岸にそって、トビジン岬、ビャトリン岬を見ながら、一気に北上しました。
シュトコ島南端
ルースキー島最東南端
奇岩が続く東海岸
トビジン岬
ピャトリン岬
アクロスティシェフ岬をまわり、東ボスポラス海峡の東の入り口にあるスクリュトフ島が右手見えると、間もなく前方に、海峡横断橋の工事現場が遠くに見えだしました。
↑上:アクロスティシェフ岬。下:以前は囚人の監獄だったスクリュトフ島。↑
左手のルースキー島のアヤスク湾を見ると、APEC会場となる連邦極東大学、国際会議場、スポーツコンプレックス、その他関連施設の建設が盛んに行われていました。
あと1年半後には全て完成していなければなりませんが、我々取材班が見たところ、全部が仕上がるとは到底思えません。しかし、当事者のロシア側では楽観的な見方がされています。いずれにしても、直接APEC開催に関係する空港と空港からルースキー島までのアクセス道路、それに会場の建設は何としても間に合わすのでしょうが、それ以外の事業は優先順位が後回しにされるかもしれません。
■ところで、APECの会場建設には、膨大な作業員が動員されています。共同通信の報道では、ロシア内務省の発表として、平成22年6月上旬の時点で、APEC関連の建設現場で、約1万2千人のロシア人と、中央アジア出身者を中心に約1200人の外国人が作業に従事しており、外国人労働者は今年中に約7500人に増える予定で、うち約3600人を北朝鮮、約3300人を中国から動員する計画だそうです。
そういえば、先日、帰国する際に、ウラジオストクの国際空港のロビーで、胸に首領様のバッジをつけた幹部らに引き連れられた北朝鮮の労働者と思しき一行が、膨大な荷物の山とカートに乗せて待機していた光景に出くわせました。
↑労働者の一団を輸送する北朝鮮の高麗航空(Air Koryo)機。ウラジオストクからピョンヤンには週1便、木曜日のみ運航される。↑
北朝鮮労働者は低賃金なため、旧ソ連時代から、両国政府の協定によって、ロシア極東に多数派遣されてきましたが、今回のように数千人単位の動員規模は異例です。北朝鮮にとっては外貨獲得のためにも願ってもない話なのでしょうが、最近、ロシア極東では北朝鮮労働者の亡命申請が頻発しており、ロシア治安当局は今後の連鎖的な発生を警戒していることも事実です。
■東ボスポラス海峡横断橋の工事現場を海上から視察し、左手のルースキー島側に建設中の貨物ターミナルの建設現場と、右手にウラジオストク商業港を右手に見ながら海峡を通過し終えると、アムール湾に入りました。
後は海岸にそって北上すると間もなく、8月に宿泊したアムールスキー・ザリフ・ホテルや9月に宿泊したその姉妹ホテルのウラジオストク・ホテル、そしてAPEC用に建設中の五つ星ホテルの建設現場が見えました。
そこを通過して間もなく出発地点のボート係留桟橋に到着しました。
■夕食は、かねてからマークしていた北朝鮮系のレストラン「カフェ・ピョンヤン」を訪ねてみました。ウェートレスは喜び組のオーディションに応募して惜しくも首領様に選ばれなかった美女人揃いだという噂でしたが、そのとおりでした。無愛想なロシア人の店員とは違い、接客態度もマナーも申し分ありません。典型的な韓国料理、もとい朝鮮料理のほかに、水餃子や焼餃子、それに、寿司や刺身などの日本食もメニューに載っていました。
↑場所は、日本領事館からさらに500m南にあるコロナホテルの1階。このホテルはロシア人専用ホテルなので日本人は宿泊できない。↑
↑上:メニューの表紙。下:メニューの一例。↑
ビールはロシア産のボーチカ等も飲めますが、ここでも、アサヒ、サッポロが人気があります。ビールは中国産の「ハルピン」ビールもいけます。北朝鮮ブランドのビールはなく、代わりに、なんと、韓国の「ハイト」ビールならあるとのこと。しかし、当会の取材班はホップの効いていないハイトの味に、2杯目を注文する者はいませんでした。
残念ながら(当然か)韓国の真露(チンロ)はなく、北朝鮮ブランドの焼酎ならあるというので試してみましたが、味にパンチがなく、焼酎党は皆最初の一口だけで、あとはウオッカに切り変えました。
お勧めのピビンパは320ルーブル(1ルーブルは約2.8円)ですが、使用している米が日本のものと遜色がなく、驚かされました。北朝鮮の人民は口にすることのできないのでしょうが、こうして貴重な外貨獲得のためのアンテナショップは、中国やベトナム、それにモスクワにもあるそうです。
↑上:ピビンパ。中:冷麺。下:水餃子がいずれもお勧め。一番下:室内の壁のタペストリー。刺繍は金剛山の滝をあしらったものか。↑
■ウラジオストクには、現代グループの経営するヒュンダイ・ホテルの中の韓国料理店のほか、ダウンタウンにコリアンハウスという店があります。ヒュンダイ・ホテル内の店には入ったことがありませんが、少なくともコリアンハウスで出すクッパやピビンパよりも、「ピョンヤン」の味が上です。
店内にはロシア人のグループのほか、北朝鮮らしき関係者の姿も見え、夜も更けるとウェートレスとカラオケに興ずる光景も見られました。こうして、国際都市ウラジオストクの秋の1日が終わるのでした。
【ひらく会情報部海外取材班・この項おわり】