あっ、この前の四羽が・・・、もぐった、また、もぐったよ。
カモもカワウも水中に潜るけど、あの潜り方はおそらく水くぐり鳥、オオバンだよ。
この時季恒例、赤川堤の桜の剪定作業中ですが、ちょっと気になる。
もうこの辺りの数本だけになった古木にチェーンソーを入れているよ。
手前には、いつ伐採したのか切り株が残っているし・・・
人の手で植えられた桜は、人の手で終わらせるってことなんですかねえ。
そのままにしておいても問題ないように見えるけどね、素人目には。
荷台に載せられたキミ等に自分を投影してしまうのかなあ、なんか寂しさよ。
夕方、この辺では普段放送していない番組でしたが、そこに思いがけない「山」が登場した。
奈良県と大阪府の境にある二上山(ニジョウザン、フタカミヤマ)です。
二十一歳のボクが一週間ただただ歩き通した大和路の旅の最終日に登った山です。
あの時「山」を写した写真が・・・と探し出したのが、右の老夫婦が写った一枚。
老夫婦が腰を落とし遠くを眺めている先に二上山が・・・、色が落ちて消えてしまってた。
この道は、日本最古の道と云われる「山の辺の道」です。
1975年の元旦を天理市駅前の小さな旅館で迎え、早朝すぐに石上神社に向かいました。
石上神社から大神神社まであっち寄りこっち寄りしながら、桜井駅に着いたのは正午頃。
老夫婦はこんなふうに眺めていたんでしょうね・・・微笑ましくって、つい撮った写真です。
右のセピア色した写真は、当時のボクが撮った二上山登山道。
つづら折りの薄暗い山道をただただ登った記憶が、今じんわりと蘇ってきた。
やっぱり、お参りしますよね・・・え? なんかここであるでしょう・・・ないの?
そうか、番組の主題は歴史探訪じゃないもんね、「登山で頂きメシ」だもんね。
1975年1月6日の二上山山頂、ここに眠るのは大津皇子。
皇位を巡る親族同士の血生臭い闘争が、あんな狭い大和盆地で繰り広げられていたんだよね。
史実は小説より奇なり・・・えっ!そこまでするか?!の思いで行を追っていたね。
この国の創成期は物凄い時代だったんだね。「大河」になったら欠かさず観るよ
飛鳥時代のある一面を象徴する大津皇子や有馬皇子への思いがボクを二上山に登らせたんです。
自分でも驚くほど衝動的に思いが膨らんで、極寒の中のバイトで運賃だけは稼いで・・・
純情というか単純、今のボクには考えられない実行力。言いたかないけど歳喰ったなあ。
ふとしたきっかけで遠い思い出を辿りながら日記を書いたあとは、妙~に切ないよ。
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