予告編でフランソワ・オゾンの作品を紹介していた。
いろいろな作品があるが、特に好きな監督ではない。
だがその最後のシーンでサングラスを外した顔が
この作品を見る一番の理由になった。
17歳は繊細なお年ごろといったところだろう。
まさに少女から思春期を経て、大人の女性へと成長する狭間
「ちょっとかわっている」イザベルに興味をもつドイツ人青年。
何かと姉を観察する、これも青春ばく進中の弟。
ある日を境に
娼婦のような生活を始めるイザベル
そうして、だんだんと複雑な家庭の様子が見えてきた。
避暑地の別荘で過ごす一家は裕福で
母はキャリアあるドクター
普段は両親はおらず、家政婦も時間になれば帰ってゆく。
弟と二人で過ごす場面が多かった。
仲の良い姉弟というだけではなかったのだ。
休日は母と義父がいてごく普通の家庭の雰囲気を保っている。
でも彼女は実父とはほとんど交流がないようだ。
別れて暮らす父には若い妻との間に1歳の子がいるようだ。
カウンセリングを受ける母と娘。
母は娘の事がやはりわからない。
汚らわしいとさえ思う。
イザベルの事を理解してくれたのは精神科医と、
そして彼女の常連客で
いつも愛情を持って接してくれた老人 の妻。
妻は彼女に会って話す。
夫と知り合ったのも17歳だったと・・・
浮気癖のある夫と連れ添い続けた妻の
「私もあなたのようにしたかった。
でも勇気がなかった」という言葉が重かった。
そして何だか嬉しかった。
それでも「一度娼婦をすれば一生娼婦さ」と
笑う客の親父のことばも残っているはずだ。
シャーロット・ランプリングが
素敵な役でこの作品をきっちり締めてくれたのが
とてもうれしかった。
彼女たちはいつも自分をどこかで見ている少女のままなのかもしれない。
見終えて、
通路を歩いていると視界に何となく入った
椅子の女性が気にかかった。
視線をおろすと
私にある朝、電話をかけてきて
見た映画の女優が私に似ていると言ってきた彼女だった。
これから話題作を観るらしい。