「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」という芭蕉の言を待つまでも無く、日々様々な出来事が起こり明日のことは予想も付かないが、確実に世の中は変遷を遂げ、まさに光陰矢の如しを実感する。
27日は義母の祥月命日にあたり墓参を済ませた。黄泉の世界へ旅立ったのはつい昨日のような気がするが、もう10年にもなる。
独り残された義父は、義母の分まで長生きし、今日に至っているが、果たして両親のどちらが幸せなのかと問われると、今のところどちらとも言い難い。人生、棺を覆うて定まるということ。
義妹が亡くなり、日毎に寂しさが募るうちに、明日はごく親しい身内だけで偲ぶ会(忌明けの食事会)をすることになっている。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」というが、とうとうと流れ行く、その水の流れは河がなくならない限り絶えることはない。しかし、母も妹もともに再び戻って来ることはない。
「朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。」と続く。
今日は明日の義妹の偲ぶ会に備えて次男宅に前泊する。そして、孫息子の誕生日会をする予定である。
27日は義母の祥月命日にあたり墓参を済ませた。黄泉の世界へ旅立ったのはつい昨日のような気がするが、もう10年にもなる。
独り残された義父は、義母の分まで長生きし、今日に至っているが、果たして両親のどちらが幸せなのかと問われると、今のところどちらとも言い難い。人生、棺を覆うて定まるということ。
義妹が亡くなり、日毎に寂しさが募るうちに、明日はごく親しい身内だけで偲ぶ会(忌明けの食事会)をすることになっている。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」というが、とうとうと流れ行く、その水の流れは河がなくならない限り絶えることはない。しかし、母も妹もともに再び戻って来ることはない。
「朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。」と続く。
今日は明日の義妹の偲ぶ会に備えて次男宅に前泊する。そして、孫息子の誕生日会をする予定である。