てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

姉弟の不思議な縁(えにし)

2012-04-24 22:09:00 | ファミリー

わがルーツの写真(一番右が母方の祖父母)

 母が逝って丸3年になる。涼しいうちにと(もうそんな言葉が口を衝く季節)朝一番に墓参りを済ませた。

 帰宅すると早々にS叔父(母の末弟)宅から電話が入った。S叔父に代わって叔母から、「今日はおとうさん(S叔父)がデイケアが休みなので一緒にお参りさせて頂きたい。」との有難くも嬉しいお言葉。

 数年前に肺気腫を患って以来、片時も携帯酸素ボンベが手放せないS叔父は、今日も車から降りて暫く呼吸を整えなければ玄関までの僅か10㍍ほどの歩行がままならない状態。
 やっとの思いで座敷に上がって貰うと、掲げてある両親(母方の祖父母)の写真が一番に目に留まり「うちにも両親の写真は飾っていないのに、こうして我が両親を祭って貰い感謝に堪えない」と相好を崩して喜んでくれる。
 かと思えば「今日は何をしに来たのかな? 緑さん(母親の名)は? 太郎さん(父の名)は?」と、数分おきに尋ねる。
 ことの経緯を説明をすると、その場は納得して頷く。どうもS叔父の心の中には未だに姉(私の母親)が生きているらしく、何時来ても居ないから不思議で堪らぬといった風情で。 

 話の合間には、S叔父と私に纏わる昔話を聞かせてくれる。私が年端もいかない頃のこと、病み上がりのS叔父をつかまえて馬になって貰い、「ハイシドウドウ パカパカ」とやり、しかも座敷を何周もさせたそうだ。痔の術後の痛みに堪えて、腕白坊主の相手をしてくれたその様を想像すると、物心も付かない頃のこととは言え、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 3年ほど前に、S叔父は母と同じ病名アルツハイマー病と診断された。姉弟でも症状の出方は、多少違っている。昔のことはよく憶えているが、直近の事柄が記憶に留まる間もなく、インプットされる先から数分後には完全に消滅する有様。
 今日は昔話で盛り上がり、暇を告げられた時には4時間が経過していた。S叔父もよほど居心地が良かったようだ。先程の写真をA4判にプリントアウトして差し上げたら、「額に入れて自分の部屋に掲げる」と殊の外喜んで我が家を後にされた。

 昨年の暮れ、映画『おとうと』をDVDで観て甚く感動したばかり。縁は切っても切れない。兄弟(姉弟)というのは、きっと特別な何かで繋がっているのだと確信した母の祥月命日であった。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする