てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

年輪の重み

2012-04-17 10:12:00 | 暮らしと生活
 4月11日、かつての取引先Yさんのご母堂Kさんが満107歳で逝去された。13日の葬儀は他の行事と重なっていたので、止むを得ず12日の通夜に参列させて頂いた。

 立飯に代えて頂いた「道」と題したKさんの半生記を改めて興味深く拝読し故人を偲んだ。そもそもこの半生記は、Kさんのご長男が28年前(当時Kさん79歳)に「仕事師」の母に商売から手を引いて余生を楽しんで貰うように勧めたのがきっかけとなり、よき師について日本画、彫刻、焼物などに取り組み、次々に生まれた作品を大切にし子孫に伝えたいという思いから作品集を思い立ち、折角だからそれにKさんの歩んできた道程を書き添えたらということで出版の運びとなったもの。

 明治・大正・昭和・平成と4時代を生き抜いてきた半生記は、ずっしりとした年輪の重みを伺わせるものだが、それ以上にそこから派生した作品たるや玄人跣の腕前で、謂う所の「六十の手習い」などは口が裂けても言えないほどの出来栄え。著作権問題のこともありここにお見せ出来ないのが辛い。

 国内でご存命の最高齢木村次郎右衛門氏が満115歳だから、岡山県にあっては茶寿(数えの108歳 )を越えたKさんは恐らくトップクラスであろう。
 満百歳の誕生日を前に、30年分の材料を買い込み、「六十・七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」と宣ふ晩年の平櫛田中氏(享年107)を彷彿させる。

 今日は満95歳の義父を連れ出し、岡山市瀬戸町にある宗堂桜見物をしてきた。いつもより少な目の5酌ほどの酒にも拘らず、久し振りの外歩きと車中の揺れが悪酔いを誘い、家内と二人で両脇を抱えて這う這うの体で帰って来た。
 あれほど元気と思っていた義父にも寄る年波を感じるようになった。後2年は頑張って母親の逝った年はクリアして貰いたいと願う今日この頃である。

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コメント (2)
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