武蔵野線新小平にて





201系のアルバムをスキャンしていて、そういえば最近の様子を撮っていないと思って205系の写真を撮ってみました。当時の写真を見てみると、窓の開いている映像が多いことに気付きます。そういえば、冷房を使用しますので窓閉めにご協力を、などのアナウンスも聞かなくなりました。ずいぶん時代が変わったことを実感します。

写真もきれいに撮れるようになり、技術の進歩を感じます。
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長野電鉄入場券

先日購入した長野鉄道の入場券ですが、過去のものと一緒に公開したいと思ってずっと探していました、昨日見つかりました。


昭和49年のもの、当時小学生。古い車両についてはどういう経歴なのかは私にはわかりません。


昭和57年のもの、当時高校生。右端の車両は元東急の青ガエル。左端の0系が1編成増備されているのが目を引きます。ずいぶんと車種は減っています。


平成21年。営団あり、東急あり、小田急ありと地方私鉄ならではの顔ぶれです。一段と車種は減っていますが、保有両数はやや増えています。


こちらが表面になります。現在は160円です。
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東京総合車両センター夏休みフェア


旧形国電と現役普通電車と牽引車。牽引車も次第に使われなくなってきました、いずれは姿を消すのではないでしょうか。


鶴見線の205系と幕張へ行く209系。


EF6019とオハニ3611


オハニの荷物室内部


スハフ32の室内。古いですがとてもきれいです。


車掌室にあるブレーキハンドル。いかにも緩急車らしいです。


最後に、EF60をアップで。

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大井への道

工場公開のある大井町へいく際、せっかくなので初電で上野を目指し、北陸、あけぼの、北斗星を撮ってから工場へ向かいました。


日暮里で北陸の推進回送を撮影します。ブレーキ管をつなぐために、正面貫通扉は開いています。


8月22日の牽引機は双頭連結器を装備する1031号機でした。


上野13番線であけぼのを撮影します。8月22日の牽引機は双頭連結器を装備する1030号機でした。この機関車は昭和56年製造でした。


上野到着後、直ちに回送に向けた準備が始まります。後部標識灯(テールライト)もすぐに消されてしまいますし、貫通ドアのある客車の場合はせっかくのテールマークも横を向いてしまいますので、こちらもきびきびと撮影します(この電源車の場合は扉は開かないようです)。


一方、機関車でも回送に向けた準備が進んでおり、こちらは後部標識が点灯しております。編成の両端での同時進行ですので両方の様子は追いきれません。


隣のホームの獲物をねらいながら推進で出て行くあけぼのを捉えます。


隣のホームの獲物です。E655系、クモロE654-101です。


651系とE655系。651系はちょうど折り返し整備中で、前部標識灯の交流側が消灯しています。上野らしいシーンが撮れました。


気付いた時には既に出発信号が青になっておりましたので、ホーム中ほどから望遠で撮影することにしました。なかなか予定通りにはことが運ばす、いつもその場その場で判断して決めていますが、タイミングを知る上ではそういった鉄道の仕組みを広く知っておくことは大切です。


久しぶりに2列車北斗星を出迎えました。この日はカシオペア塗装の92号機でした。


上野到着。北斗星は乗客の多くが記念撮影にやってくるため、ぎりぎりまで貫通扉を開けずに準備をなさってました。そういうサービスもできる会社になってくれてファンとしてはうれしいです。

個人的な直感なのですが、北斗星の客車を久しぶりに見て、この先あまり長くはないと感じました。この先末永く使おうという元気というか勢いというものが1両1両見ていて感じられなくなってきました。感がはずれてくれればうれしい誤算ですが。1日も長くブルートレインとして走ってくれることを願ってやみません。
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工場公開

今日は元大井工場の公開があって、出かけてきました。


ちょうど入場中の201系


電連の様子を各方向から見ることができました。


台車もありました。



最後になりますが、工場の入り口に廃線跡があります。



以前はこのように工場の玄関を保存車両が飾っていました。



2005年の公開時の様子です。こちらにその時の映像がアップしてあります。

ここに展示するのにうってつけの一両を私は知っています。ご紹介しましょうか?
豊田にクハ201-1という車両がとってありますので、推薦いたします。

他の展示車両等はおってご紹介する予定です。
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2009年8月20日

waniさまのコメント、ならびに、イナ@ペンさまのブログ記事で思い出させていただきましたが、本日は201系が営業運転を始めて30年を迎える日でした。

職を探しにハローワークへ行った帰り、お迎えに現われた電車は中央線に2本残る201系のうちH7編成と呼ばれる編成でした。








このS字カーブがまっすぐにつながった時、この電車は役目を終える予定なんだそうです。

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201系のアルバム07

201系のアルバム07の復元が完了しましたのでお知らせします。



201系のアルバム07
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ケヨK4+54入場

1st-trainの【JR東】201系ケヨK4+K54編成TK入場によれば、ケヨK4+54がTKに入場したそうです。
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201系のアルバム06

201系のアルバム06の復元が完了しましたのでお知らせします。



201系のアルバム06
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201系のアルバム05

201系のアルバム05の復元が完了しましたのでお知らせします。



201系のアルバム05
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関山~新小平

最終日です。

川中島合戦場跡を見て帰るというので、長野へ出ます。

送迎バスの時間から列車の到着まで50分ほど待たされるのですが、そのおかげで下り列車の撮影ができました。今回の旅は本当に待ち時間さまさまです。


関山駅


関山駅を発車する115系


関山駅も昔はスイッチバックだったようで、左方向へ分岐する線路が残されています。となると、駅の位置が大きく移動したことになります。


列車が走る線路が直江津へ向かう本線です。


長野へは妙高で向かいます。189系6両編成で、直江津寄り最後部車両が指定席のため普通列車でも列車名が与えてあると考えられます。
乗車車両はモハ189-33で昭和53年川重製でした。前日乗車したモハ114-1001は昭和52年製でしたので、56年以降に量産された201系の廃車がいかに早かったかがわかると思います。

そして、北長野~長野にかけては、様々な車両が止まっています。廃車解体待ちの車両も。





前面貫通扉も黄土色になっているEF6467号機




幕張へ転属する209系が止まっていました。




そして、廃車待ちの車両が留置されている、見覚えのある景色が近づいてきます。


四季彩の姿はもうありません。



なんと、武蔵野線カラーの205系があります。


長野に到着すると383系しなのが止まっていました。

(今回の旅行の映像はこれが最後です。)


川中島の観光は川中島交通の路線バスを利用しました。ドアチャイムがなかなか楽しかったです。

観光後、日本一大きい(はがきくらいのサイズ)長野電鉄の入場券を160円で購入したら、地方民鉄旅ガイド<改訂版>という冊子を頂きました。これはなかなか面白い冊子でした。入場券の裏面は長野電鉄の車両の顔写真が並ぶのですが、ずいぶん車種が減ってしまい、昔の券面を知るものにとってはちょっと寂しいものになっています。

長野からは大宮まであさま532号に乗車、途中軽井沢以外は全て通過します。大宮から自宅に帰る時間と大して変わりません。しかし、ここでとんでもない目にあいました。碓氷峠を下る際、気圧が上がるのですが、急速に上がったため耳が痛み、外圧がどんどん高くなるためひとたび対応を誤るとなかなかおさまりません。何をやっても効果なく、もう新幹線を止める以外方法が無いような状況でしたが、高崎通過までなんとか我慢、耳と肩があたるくらいに首を曲げたら偶然気圧が抜けた感じがして、無事気圧調整ができました。
ネットで調べると、航空性中耳炎などの用語が見られます。やはり降下時が問題になるそうで、航空機には点鼻薬なども常備されているそうです。新幹線においても何らかの対応が必要なのではないでしょうか。
何度か長野新幹線も乗車しておりますが、こんな目にあったのは初めてで、体調なども影響するようですが、どうも私の体はEF63をつないで45km/h以下でくだらないとついていけない体になっているようです。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。今回はあまり鉄には期待していなかったのですが、思いのほかいろいろなことが学べた旅行になりました。きっぷも東京都区内から新幹線、米原、北陸、信越、長野、新幹線、大宮、北与野、武蔵野線経由で新小平という長距離片道切符の旅というのもなんとも鉄な旅行だったことを物語っています。
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直江津~関山

直江津に戻るとまだEF510が止まっていました。時間が無かったので撮影は後回しにして観光に向かいましたので、駅に戻り次第撮影に入りました。


EF510レッドサンダーと転用改造を待つ209系


毘の文字をつけた北越急行



2泊目の宿泊地、関山に向けて信越線を上ります。この区間、普通列車のみの運行で、115系1000番台トップナンバー3両編成に乗車しました。




ホームからも再度撮影してみました。機関車の全容が撮影できました。


拡大してみました。


クモハ115-1000番台のトップナンバー


クモハ475-51、北陸線の普通電車が到着します



115系で直江津を出発します。停車時間が長いため、乗降の際は半自動ドアを手で開閉します。


北陸新幹線の工事が進んでいます


まだ、スイッチバックの駅がありました。


下り列車と並びます。妙高は普通列車ですが189系で運転されています。

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加賀温泉~直江津

2日目は加賀温泉から始まります。

早めに駅についたので、家族と写真を撮ったりおみやげ物を見ていたところ、上りのトワイライトが通過したのが悔やまれます。加賀温泉という駅もなかなか撮影向きの構内でしたので。


しらさぎ51号、米原始発のしらさぎ号です。683系の尖った先頭車の編成でした。


荷だなに読書灯が組み込まれ、内装も壁紙、荷だな共に柄ありとなっています。


金沢到着、最後尾は貫通タイプの先頭車です。

直江津へは特急を乗り継ぎとなり、ちょっと不便です。ここからはくたか9号に乗車します。時間の都合もあり、降車する直江津で撮影することとしました。金沢を発車すると、早朝金沢に到着した北陸が止まっていましたが撮影できませんでした。そんな訳で、富山ではちょっと気をつけて除雪車などを撮影できました。通路側から手をのばしての撮影のためかなり傾いており、車両部分のみ修正しております。













糸魚川には有名な機関庫とキハ52があり、車内からですが撮影を試みました。





こうして、直江津に到着しました。国鉄色の急行形電車が止まっていましたので、まずはそちらを撮影します。




そうこうしているうちに、はくたかも発車。


信越線の普通列車と北越急行の普通列車が止まっていました。115系は1500番台のトップナンバーでした。直江津駅はレールで組まれたホーム上屋と青い屋根が特徴的です。

直江津では春日山城跡を見に頸城自動車株式会社の路線バスに乗って観光に出かけました。リンク先のホームページを見るとコッペル2号蒸気機関車も紹介されており、これまたちょっと調べたい線路事情があるようです。
以前、西武山口線で謙信号と呼ばれるSLが走っておりましたので、何か関連があると思いますが、ホームページにはその辺のところは書いてないようです。
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もう一つのしらさぎ

再び同行者の方々と泊まるこの日の宿は山中温泉でした。

どうやって行くのかも知らないので、ネットで調べていたら、路線バスのバスセンターがあり、そこにはかつて鉄道があったことを知りました。何かまた線路に呼ばれたような気がします。そんな訳で、送迎バスも運行されているのですが、路線バスで向かうことにしました。



山代温泉経由、しかも温泉街をぐるっと一回りして、同じバス停をもう一回通ったり、診療所に入ってスイッチバックしてきたり、行きつ戻りつといった感じの路線でした。


ここには昔北陸鉄道加南(かなん)線のホームがあったそうです。駅舎も残っていたそうですが、現在はスーパーになってしまったそうです。スーパーの入り口部分の屋根が三角屋根になっているのはひょっとすると駅をイメージしたデザインなのかもしれません。

そして、ネットを調べてもう一つ発見したのが、そこで使われていた車両が道の駅に保存されているという情報でした。どこかで見たことのある電車だと思ったら、廃止後は大井川鉄道で使われていたのだそうです。


約1.5kmの道のりを歩いて道の駅に到着しました。
1両ではなく、2両編成で保存したのはすばらしいことです。


車内にも入れるようですが、時間が遅かったせいか鍵がかかっていました。




昭和38年製、廃止が昭和46年ですので、8年間しか走っていません。






転換クロスシートでしょうか




パンタグラフも健在です。

電車「しらさぎ」について、という説明があります。
 「しらさぎ」は昭和38年の製造で、日本初のアルミ車体です。旧北陸鉄道加南線の山中温泉~大聖寺(だいしょうじ)間を運行し、当時はロマンスカーとして観光客をはじめ大勢の通勤、通学者に親しまれてきました
 昭和45年に北陸本線加賀温泉駅が営業を始め、観光客の流れに変化が見られるようになり、昭和46年に北陸鉄道加南線が廃止されました。これに伴い「しらさぎ」は静岡県の大井川鐵道(株)に引き取られ、その後平成13年7月まで現役で運行されていました。車齢は40数年になりますが、当時の「しらさぎ」というプレートもそのままの状態で保存されており、山中町民をはじめ沿線の住民には思い出の多い電車です。
 このたび、大井川鐵道(株)ほか多くの方々のご厚意によって里帰りし、道の駅に保存されることになりました。山中町は、平成17年10月1日に加賀市と合併し、新しい加賀市となり、郡や町の名前が歴史に埋もれようとしています。懐かしい「しらさぎ」を保存することによって、歴史の生き証人として、子供たちや観光でこの地を訪れる皆様に町の歴史や温泉の歩みを少しでも知っていただければ幸いです。

このように記されておりました。昭和46年の廃止のみならず、平成17年のこともいろいろ考えさせられました。まさに生き証人です。
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