201系電車と鉄道に関するブログ
SINCE 2005-01-18
201系のブログ
201系電車に排障器(2)
先日書いた記事「201系電車に排障器」を書いていろいろチェックをしていたら、もう少し書きたいことがでてきましたので、その2です。

スカート装着前に通勤特快デビュー。なんと、列選コイルがついています。


こちらはATS-Pの車上子をつけた201系

そして、試作スカートです。

クハ200-18と書かれています。

特別快速のプレートつき
そういえば、クハ19番のT102編成の映像を見ると、三相の部分がちょっと切り欠いてありました。以前、鉄道本部報さまのブログで紹介されていました

クハ201-18

三相は連結できるようになっていますので、スカートの非対称のスタイルは、エア管のコックをよけるためのように思われます。

最後になりましたが、異形スカート装備車の映像が見つかりましたので紹介します。

運行表示が幕時代のH12編成。H3やH25の晩年が有名ですが、それ以前にもあったのですね。

スカート装着前に通勤特快デビュー。なんと、列選コイルがついています。


こちらはATS-Pの車上子をつけた201系

そして、試作スカートです。

クハ200-18と書かれています。

特別快速のプレートつき
そういえば、クハ19番のT102編成の映像を見ると、三相の部分がちょっと切り欠いてありました。以前、鉄道本部報さまのブログで紹介されていました

クハ201-18

三相は連結できるようになっていますので、スカートの非対称のスタイルは、エア管のコックをよけるためのように思われます。

最後になりましたが、異形スカート装備車の映像が見つかりましたので紹介します。

運行表示が幕時代のH12編成。H3やH25の晩年が有名ですが、それ以前にもあったのですね。
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もっと中央線らしくあるために(~2009-01-30)
今週も撮影できました。昭和30年代から続く朱色一色塗りの通勤形電車、これぞ中央線の中の中央線の姿。
今週は日曜日にも遭遇しました。

今週もなぜか00Tではじまりました。



今年の誕生祝は連日の00Tとなりました。




もう一本は53Tでした。




もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
今週は日曜日にも遭遇しました。

今週もなぜか00Tではじまりました。



今年の誕生祝は連日の00Tとなりました。




もう一本は53Tでした。




もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
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201系電車に排障器
ファイルを整理していたらこんな記事が出てきました。

1993年3月23日、交通新聞「201系電車に”排障器”」
一般的にはスカートと呼ばれていますが、正式には前部機器覆いだったように思います。本記事によれば簡易型排障器(国鉄・JRでは型はあまり使われないようですが本記事では型が使われております)と書かれており、ATS-P車上子の保護を目的としているとのことです。東京地域本社武蔵小金井電車区の社員の提案なのだそうです。92年11月から試作品を3ヶ月試験し、全車への取り付けが決まったとのことです。同年度末までに14両に施工予定と書かれています。

大学祭の準備に向かう途中で発見、11月からの試行という記事と記憶は一致しました。最初に見たときには、つり金具はグレーでした。

その後、つり金具は黒になり、スカートにナンバーが書き込まれました。

そして、量産タイプの登場です。記事にもありますが、中央部が丸みを帯びています。

さらに、中央総武緩行線にも拡大

武蔵野線用の6連2編成にも装着。これにより、朱色のオリジナルの顔は見られなくなってしまいました。

中間に連結されるクハの自動電連装備車には中央部が低くなったスカートが取り付けられました。

既に廃車された車両には自動電連では無い車両にも中央部が低くなったスカートを装備した車両がありました。
余談ですが、エレベーターの下部についている覆いはエプロンと呼ばれているそうです。

1993年3月23日、交通新聞「201系電車に”排障器”」
一般的にはスカートと呼ばれていますが、正式には前部機器覆いだったように思います。本記事によれば簡易型排障器(国鉄・JRでは型はあまり使われないようですが本記事では型が使われております)と書かれており、ATS-P車上子の保護を目的としているとのことです。東京地域本社武蔵小金井電車区の社員の提案なのだそうです。92年11月から試作品を3ヶ月試験し、全車への取り付けが決まったとのことです。同年度末までに14両に施工予定と書かれています。

大学祭の準備に向かう途中で発見、11月からの試行という記事と記憶は一致しました。最初に見たときには、つり金具はグレーでした。

その後、つり金具は黒になり、スカートにナンバーが書き込まれました。

そして、量産タイプの登場です。記事にもありますが、中央部が丸みを帯びています。

さらに、中央総武緩行線にも拡大

武蔵野線用の6連2編成にも装着。これにより、朱色のオリジナルの顔は見られなくなってしまいました。

中間に連結されるクハの自動電連装備車には中央部が低くなったスカートが取り付けられました。

既に廃車された車両には自動電連では無い車両にも中央部が低くなったスカートを装備した車両がありました。
余談ですが、エレベーターの下部についている覆いはエプロンと呼ばれているそうです。
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スハネフ15
富士・はやぶさが14系になって、東京でもスハネフ15を見ることが時折あります。東京でスハネフ15を見るとこの写真を思い出します。

△東京駅でさくら、スハネフ15を撮影、昭和61年頃撮影
正確な月日は不明ですが、すぐ後のアルバムにこんな映像がありました。分割民営化直前ということになります。

東京でスハネフ15を見つけたときはとても驚きました。もともとは関西~九州間の列車に使われていましたので、東京で見ることは出来ない系列でした。今でこそ14形も15形も同様に使われておりますが、デビュー時は14形は3段寝台、15形は2段でした。
25形100番台とほぼ同形の15形ですが、前頭部の形状は200番台を模しています。25形100番台の前頭は完全な切り妻で、200番台は若干後退角をつけた折妻と呼ばれる形態となっています。

オハネフ25-100番台

オハネフ25-200番台、裾の帯が短いのが特徴
昭和55年頃撮影、熊本にて
この200番台の顔も東京では見ることが出来ませんでした。当時のはやぶさは東京~西鹿児島の間を結んでいましたが、付属編成は熊本駅で分割します。この付属編成の連結側にのみ200番台が入っていました。
25形を含む24系客車は必ず電源車が連結されるため、オハネフは電源車とは反対向きに固定して連結すればよいということで方向転換が出来ない構造になっていました。これでは分割面に向かい合ってオハネフを連結することができませんので、方向転換可能な200番台を作ったとされています。
100番台同士が連結面で背中を向けていても組成は可能ですし、方転した200番台が最後尾になって運転されることもありませんので、なぜそんなにまでして方転可能な200番台を作ったのか不思議に思いますが、中学生だった当時は前頭部が向かい合うことが当然と思っており何の不思議も思っておりませんでした。
なぜ、折妻になったかについては、切り妻同士が向かい合っていると、分割・併合時の作業スペースが狭いからだとか、これは最近知りましたがもっともだと思いました。前頭形状のデザインは見た目だけではないのですね。
同じアルバムを見ると、さくらの牽引機にEF70が使われていました。

EF7086、さくら、博多にて
ニューブルートレイン全盛の時代。

△東京駅でさくら、スハネフ15を撮影、昭和61年頃撮影
正確な月日は不明ですが、すぐ後のアルバムにこんな映像がありました。分割民営化直前ということになります。

東京でスハネフ15を見つけたときはとても驚きました。もともとは関西~九州間の列車に使われていましたので、東京で見ることは出来ない系列でした。今でこそ14形も15形も同様に使われておりますが、デビュー時は14形は3段寝台、15形は2段でした。
25形100番台とほぼ同形の15形ですが、前頭部の形状は200番台を模しています。25形100番台の前頭は完全な切り妻で、200番台は若干後退角をつけた折妻と呼ばれる形態となっています。

オハネフ25-100番台

オハネフ25-200番台、裾の帯が短いのが特徴
昭和55年頃撮影、熊本にて
この200番台の顔も東京では見ることが出来ませんでした。当時のはやぶさは東京~西鹿児島の間を結んでいましたが、付属編成は熊本駅で分割します。この付属編成の連結側にのみ200番台が入っていました。
25形を含む24系客車は必ず電源車が連結されるため、オハネフは電源車とは反対向きに固定して連結すればよいということで方向転換が出来ない構造になっていました。これでは分割面に向かい合ってオハネフを連結することができませんので、方向転換可能な200番台を作ったとされています。
100番台同士が連結面で背中を向けていても組成は可能ですし、方転した200番台が最後尾になって運転されることもありませんので、なぜそんなにまでして方転可能な200番台を作ったのか不思議に思いますが、中学生だった当時は前頭部が向かい合うことが当然と思っており何の不思議も思っておりませんでした。
なぜ、折妻になったかについては、切り妻同士が向かい合っていると、分割・併合時の作業スペースが狭いからだとか、これは最近知りましたがもっともだと思いました。前頭形状のデザインは見た目だけではないのですね。
同じアルバムを見ると、さくらの牽引機にEF70が使われていました。

EF7086、さくら、博多にて
ニューブルートレイン全盛の時代。
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最近のニュースから
サイト上の情報を見ていてとても気になった話題がいくつかあります。
一つ目は、東海のEF58122解体。とっくの昔に本来の役割は終えたものの、その人気から廃車を免れイベント列車などの牽引で活躍しましたが廃車となり、保存されることなく解体が始まったそうです。その一方で西日本のEF58150は検査出場したというニュースが報じられております。東海では博物館の設立も決まり、そこで保存されるのではと思っておりました。これだけの歴史のある花形機関車でも、機関車1両保存することの大変さ、困難さというものが今回のニュースから想像できます。
東日本のEF5861お召し指定機は保管されていますが、同じ仕様だった60号機は国鉄時代にあっさりと廃車・解体となったのも対象的でした。
EF551も先日お伝えしたように運転を終えました。その一方で、九州の58654は新車並みの姿となって、EF81411に牽引されて本線を走った姿は、どちらも思い出のある車両なので感慨深いものがあります。電気機関車の保存というのは、部品確保などの面から難しいのでしょう。
201系四季彩に編成番号札が取り付けられたとか。なかなか手の込んだデザインで、有志で作ったのではないかなどの噂も聞かれます。そういえば、クハ201-1の乗務員室内の記念プレート、理由はわかりませんがどっか行っちゃったままでしたので、我々201系をこよなく愛する有志で作って送ったこともありましたが、使ってもらえなかったようです。あそこのプレートが度々無くなること、そして無くなったままであることがいかに恥ずかしいことか、そう感じたのは私たちだけだったようで・・・。
一つ目は、東海のEF58122解体。とっくの昔に本来の役割は終えたものの、その人気から廃車を免れイベント列車などの牽引で活躍しましたが廃車となり、保存されることなく解体が始まったそうです。その一方で西日本のEF58150は検査出場したというニュースが報じられております。東海では博物館の設立も決まり、そこで保存されるのではと思っておりました。これだけの歴史のある花形機関車でも、機関車1両保存することの大変さ、困難さというものが今回のニュースから想像できます。
東日本のEF5861お召し指定機は保管されていますが、同じ仕様だった60号機は国鉄時代にあっさりと廃車・解体となったのも対象的でした。
EF551も先日お伝えしたように運転を終えました。その一方で、九州の58654は新車並みの姿となって、EF81411に牽引されて本線を走った姿は、どちらも思い出のある車両なので感慨深いものがあります。電気機関車の保存というのは、部品確保などの面から難しいのでしょう。
201系四季彩に編成番号札が取り付けられたとか。なかなか手の込んだデザインで、有志で作ったのではないかなどの噂も聞かれます。そういえば、クハ201-1の乗務員室内の記念プレート、理由はわかりませんがどっか行っちゃったままでしたので、我々201系をこよなく愛する有志で作って送ったこともありましたが、使ってもらえなかったようです。あそこのプレートが度々無くなること、そして無くなったままであることがいかに恥ずかしいことか、そう感じたのは私たちだけだったようで・・・。
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浜松町にて
浜松町の跨線橋から撮影してみました。新幹線とモノレールが撮れました。





ドクターイエローがやってきました。パンタグラフが2基ついています。



どうしたことか、500系の時にはシャッターが切れませんでした。仕方なく集電装置まわりを撮って・・・

反対側にまわりました。





ドクターイエローがやってきました。パンタグラフが2基ついています。



どうしたことか、500系の時にはシャッターが切れませんでした。仕方なく集電装置まわりを撮って・・・

反対側にまわりました。
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E331系
まだ1本だけのE331系ですが、休日の95運用にだけ使用されるため、運転されていれば比較的容易につかまえることができます。


205系とE331系

短い車体の14両編成、片側3ドアになっています。

連接構造のため、台車が車体と車体の間にあり、パンタグラフは車端ぎりぎりにあります。

この部分は分割できるように台車が車端にそれぞれついています。窓配置も他車とは違う配置になっています。


205系とE331系

短い車体の14両編成、片側3ドアになっています。

連接構造のため、台車が車体と車体の間にあり、パンタグラフは車端ぎりぎりにあります。

この部分は分割できるように台車が車端にそれぞれついています。窓配置も他車とは違う配置になっています。
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4本になった京葉線201系
ついに分割編成4本体制となってしまいました。
東京駅地下に向かうと2本の201系が出迎えてくれました。


先に発車する快速はK4+54編成

後発の各停はK2+52編成

快速で新木場に向かいました。カメラを構えるにも苦労するほどの北風が吹き荒れていました。

各停の201系がやってきました。

上の写真とこちらの写真ですが、同じ電車を同じ場所から撮っています。駅の手前で90度向きが変わります。

新浦安で快速を退避します。やってきたのはK3+53編成

残る1本はケヨ区に居ました。

終点蘇我では大先輩の113系がまだがんばっています。

新浦安で乗り換えた各停が到着します。




にぎやかな蘇我駅。左(ホームの向こう側)から、E217系、E257系、205系、201系、E257系。写っていませんが右端には113系も止まっていました。
東京駅地下に向かうと2本の201系が出迎えてくれました。


先に発車する快速はK4+54編成

後発の各停はK2+52編成

快速で新木場に向かいました。カメラを構えるにも苦労するほどの北風が吹き荒れていました。

各停の201系がやってきました。

上の写真とこちらの写真ですが、同じ電車を同じ場所から撮っています。駅の手前で90度向きが変わります。

新浦安で快速を退避します。やってきたのはK3+53編成

残る1本はケヨ区に居ました。

終点蘇我では大先輩の113系がまだがんばっています。

新浦安で乗り換えた各停が到着します。




にぎやかな蘇我駅。左(ホームの向こう側)から、E217系、E257系、205系、201系、E257系。写っていませんが右端には113系も止まっていました。
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今月の鉄道の日
昨年から毎月1回ペースで活動再開しました。2009年最初の活動となります。
ケヨ72は運用離脱してしまい、まずはE331系を追いました。

583系と遭遇しました。

貿易センタービルから俯瞰しようと思い浜松町に向かいましたが、残念なことに展望室は改装中、3月まで入れませんでした。

浜松町の跨線橋から

田町で251系と新幹線
ケヨ72は運用離脱してしまい、まずはE331系を追いました。

583系と遭遇しました。

貿易センタービルから俯瞰しようと思い浜松町に向かいましたが、残念なことに展望室は改装中、3月まで入れませんでした。

浜松町の跨線橋から

田町で251系と新幹線
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もっと中央線らしくあるために(~2009-01-24)
今週も撮影できました。昭和30年代から続く朱色一色塗りの通勤形電車、これぞ中央線の中の中央線の姿。
今週は00T(コロコロテー)から始まりました。


翌日は03T


もう一本は19Tで遭遇しました。

なぜか、今週も07Tや79Tに。

久しぶりの雨の中、07Tがやってきました。


翌日も雨、78T通勤特快です。



後続の08Tを待ち受けます。




もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
今週は00T(コロコロテー)から始まりました。


翌日は03T


もう一本は19Tで遭遇しました。

なぜか、今週も07Tや79Tに。

久しぶりの雨の中、07Tがやってきました。


翌日も雨、78T通勤特快です。



後続の08Tを待ち受けます。




もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
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ケヨ72編成疎開回送で幕張へ
いつもお世話になっているイナの独り言ブログの京葉線の201系「72編成」疎開(2009-01-22)によれば、1月23日にケヨ72編成が京葉車両センターから幕張車両センターへ疎開回送されたそうです。
本日、最後の活躍を記録しようと検討しておりましたが、一足早く運用離脱となり、残念ながら及びませんでした。出かけたついでに幕張の様子もうかがってみましたが、確認できませんでした。近いうちに長野に向かうものと思われます。
本日、最後の活躍を記録しようと検討しておりましたが、一足早く運用離脱となり、残念ながら及びませんでした。出かけたついでに幕張の様子もうかがってみましたが、確認できませんでした。近いうちに長野に向かうものと思われます。
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ケヨ71編成(Tc-7)廃車回送の情報
1st-trainの【JR東】201系ケヨ71編成廃車回送においては映像が、また、いつもお世話になっているイナの独り言ブログの201系量産車「第4編成」からの8両と「第15編成」からの2両,長野へ(2009-01-22)、ではその生い立ちが紹介されております。

廃車前に様子を見られないかと、先日同期会が新宿であったのでほんのわずかな時間しかありませんでしたが東京まで足をのばしたのですが、残念ながらケヨ71編成は会いにきてはくれませんでした。先日の記事が最後となりました。





廃車前に様子を見られないかと、先日同期会が新宿であったのでほんのわずかな時間しかありませんでしたが東京まで足をのばしたのですが、残念ながらケヨ71編成は会いにきてはくれませんでした。先日の記事が最後となりました。




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ケヨ71、72シングルアームパンタに
いつも参考にさせていただいている国電総研様の情報等によると、ケヨ71、72編成のパンタグラフがシングルアームパンタに交換されたそうです。近々長野へ旅立つものと思われます。
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平成5年5月5日のEF55
さよならEF55碓氷号では鶯谷での撮影に失敗しましたので、過去の映像から探してきました。平成5年(1993年)5月5日の映像です。
※推進回送なので本当は逆順なのですが、機関車を先にもってきたいので逆順にしてあります。


この時は次位にEF641001が連結されていました。
客車も旧客、しかも1両と約半分はお客さんを乗せない車両という、贅沢な編成でした。

スハフ322357

オハ472246

オハフ332555

オハニ3611

スエ7815
スエについては以前ご紹介しています。この日の映像でした。
※推進回送なので本当は逆順なのですが、機関車を先にもってきたいので逆順にしてあります。


この時は次位にEF641001が連結されていました。
客車も旧客、しかも1両と約半分はお客さんを乗せない車両という、贅沢な編成でした。

スハフ322357

オハ472246

オハフ332555

オハニ3611

スエ7815
スエについては以前ご紹介しています。この日の映像でした。
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会議の往復
毎週毎週会議ですが、通勤は楽しみです。

高田馬場で乗り換え、いきなり485系がやってきました。

上野地平ホームに朝日がさしこみます、14番線から211系が発車。普段は撮らないような普通の写真をなぜかこの日は撮りたくなってしましました。

スーパーひたちとフレッシュひたち

スーパーひたち

13番線にE231系入線

スーパーひたちとフレッシュひたち

上野から東京方電留線へ引き上げる211系

E233系とE231系

御徒町で211系2階建グリーン車

小窓が並ぶ平屋のグリーン車

209系も数が減ってきました。何気ない写真もいつかは貴重な記録になります。

先ほどのE231系も引き上げてきました。

この電車は更に秋葉原付近の留置線に向かいます。横では線路の工事をやっていました、東京直通運転への工事でしょうか。

神田から東京に向かうE233系

青梅特快
帰宅時には緩行で秋葉原に向かったところ、御茶ノ水場内手前で485系「彩」に割り込まれました。

車内から撮りましたがそこそこ写ってました。

高田馬場で乗り換え、いきなり485系がやってきました。

上野地平ホームに朝日がさしこみます、14番線から211系が発車。普段は撮らないような普通の写真をなぜかこの日は撮りたくなってしましました。

スーパーひたちとフレッシュひたち

スーパーひたち

13番線にE231系入線

スーパーひたちとフレッシュひたち

上野から東京方電留線へ引き上げる211系

E233系とE231系

御徒町で211系2階建グリーン車

小窓が並ぶ平屋のグリーン車

209系も数が減ってきました。何気ない写真もいつかは貴重な記録になります。

先ほどのE231系も引き上げてきました。

この電車は更に秋葉原付近の留置線に向かいます。横では線路の工事をやっていました、東京直通運転への工事でしょうか。

神田から東京に向かうE233系

青梅特快
帰宅時には緩行で秋葉原に向かったところ、御茶ノ水場内手前で485系「彩」に割り込まれました。

車内から撮りましたがそこそこ写ってました。
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