201系電車と鉄道に関するブログ
SINCE 2005-01-18
201系のブログ
2003年の京葉線撮影日記について
2003年に京葉線を訪れた際の日記を追加しました。
これは、
GW中に試作車の撮影に訪れる方もいらっしゃるのではないかと思い、何らかの参考になればとの考えから、とある掲示板にてご紹介したものを一部修正して載せることにいたしました。
ちなみに、2003年の潮見で撮影した通勤快速は見ての通り失敗(行先が読めない)に終わり、2004年に改めて新木場で撮影しました。これに付いても、いずれご紹介する予定でおります。
とりあえず今回は、その時の写真だけご紹介します。
8月でこの状態ですので、まだ、今の時期だと暗いと思います。
2003年のほかの写真はこちらに収録してあります。
http://onda201.hp.infoseek.co.jp/03KEIYO/
これは、
GW中に試作車の撮影に訪れる方もいらっしゃるのではないかと思い、何らかの参考になればとの考えから、とある掲示板にてご紹介したものを一部修正して載せることにいたしました。
ちなみに、2003年の潮見で撮影した通勤快速は見ての通り失敗(行先が読めない)に終わり、2004年に改めて新木場で撮影しました。これに付いても、いずれご紹介する予定でおります。
とりあえず今回は、その時の写真だけご紹介します。
8月でこの状態ですので、まだ、今の時期だと暗いと思います。
2003年のほかの写真はこちらに収録してあります。
http://onda201.hp.infoseek.co.jp/03KEIYO/
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夏休みの日記(3)~京葉線2003~
【いよいよ201系と・・・】
海浜幕張で03Yから降りる。向かい側のホームには始発の205系が停まっている。ツインタワーをバックに2本並んだ205系を撮影。
2面4線の構造で外側が本線。案内表示を見る限り折り返し電車は下りホームの内側を武蔵野線、いま205系が停まっている上りの内側が京葉線の折り返しホームのようだ。10分後には83Yがやってくるので、それまでにどうにかしなければ。東京方の見通しはあまり良くなく、10両全体は画面には収まりそうもない。とりあえずシーサスクロッシングを渡るシーンを撮ることに。待つこと10分、予想通り83Yはシーサスを渡って向かい側のホームにやってきた。K2編成だった。
この編成が今日の夕方の通勤快速になる列車である。20分ほどの折り返し時間があるのでじっくり下り方に歩きながら観察することに。中間車も撮影したくなりモハ201-224の写真を撮影。すると、上り本線にも201系がやってきたのであわてて下り先端まで行って2本の201系を撮影する。唯一の初期型編成の71番編成だった。この編成はTc、Tc'-23を含む編成で、これは現ムコ30編成と組替えられたもの。分割編成ではあるが貫通扱いの70番代の編成番号がつけられており、いろいろ観察したいところだがホームの反対側に停まっているのでどうしようもなく見送る。
【試作車との再会・・・】
一段落して出庫準備中の201系追跡の計画を練り始める。しかし、時刻表を見てもなかなか出庫電車がなく絞り込めない。そうこうしているうち、後続の63A快速蘇我行がやってきた。なんと試作車組み込みの72番編成だった。出庫電車の件は後回しにしてまずはこれに乗って蘇我でTcM'c901の撮影をすることにした。せっかく乗るのだから4号車のクモハに乗車する。稲毛海岸まではなかなかの乗車率で、カメラを体のあちこちにさげたまま身動きできない。乗務員室仕切りに接近することができずしばらく我慢。稲毛海岸ではほとんどが下車してしまいガラガラになった。早速仕切りに張り付いてVTRで運転台を撮影。運転台の映像+モーター音の組合せはここでしか撮れないのでしばらく流しっ放しで撮影した。向かいのTcの前面は西船橋表示で止まっており、こちらの表示幕部分には幕ははずしてある旨の紙が貼ってあった。機器収納の扉があいたままで、加速減速するとばたばたしながら開いたり閉まったりしていた。防護無線もなく先頭には出られない中間運転台となってしまった。中間に押し込められてしまった一番の原因はATS-Pの装備がないということで、クモハに装置を装備するスペースがなかったためと聞く。もし試作もクモハではなくクハだったらPを装備してまだ先頭にたっていただろうか。でも、中央線時代にクモハが先頭に立っていた時代を堪能できたのだから、これも致し方ないのかも知れない。
【あっというまの19分・・・】
蘇我には15:51着、折り返しまで19分あるのでかなりゆっくりと撮影ができる。まずは反対側のホームへ向かうが外房線からの113系がすぐに入ってきてしまい2分ほど待機する。発車後さっそく各車の写真を撮影しながら進む。その後今度はVTRを回したまま床下や台車を中心に撮影しながら戻ることにする。あらためてじっくり眺めると車体のすそは波打っており、101系末期の頃を思い出す。VTRだと見えるもの全て撮影ができるので、昔のようにちょっとした部品を撮るべきか迷う必要は無くなった。発車前に69Yが反対側に入り(これも201系54編成)、2本並べて撮影。さらに255系もその向こう側にやってきて記念撮影。発車時の加速音を収めようと東京方先頭部まで来たが、気が付いたらもう発車ベルが鳴っている。セットする間がないので写真撮影だけになってしまった。よくよく考えたら車検票の検査年月の確認や自重の調査もすっかり忘れており、いろいろとやり残しの多い19分だったことに気づいた。
【再び潮見へ・・・】
時計はもう16時をまわった。蘇我での運転間隔はかなりあり、次の発車まで15分もある。そろそろ上ることを考え、せっかく201系が止まっているのでひとまずこれで折り返すことにした。千葉みなと付近では船の姿がかなり大きく見え、201系に乗っていることを忘れてしまうような車窓だった。そのまましばらく上り、ケヨ電の脇を通過すると、さっきの試作編成はもう出庫してしまっていた。もう、出庫しそうな201系もいないので新習志野での撮影も取りやめを決定。つぎつぎと次回の宿題が増えていく。そして、舞浜で問題の試作編成とすれ違う、64Yだった。葛西臨海公園では武蔵野線の通過待ちで時間があり、その瞬間を撮影しようと準備する。東京方先頭車にはもう夕日があたりはじめ、前面のガラスには大観覧車のシルエットが見事に映し出された。よりシルエットのきれいな位置をさぐり武蔵野線の通過を待つ。201系の前面が画面の半分以上を占めており、通過線の様子はほとんど見えないが、しばらくすると架線が揺れ始め103系らしき走行音も聞こえてきた。やや201系の車内が暗くなったような感じがしたらオレンジ色の103系が突然顔を出した、一瞬の出来事。武蔵野線にも201系がいたらなぁ・・・。
新木場では先行して東京に向かった試作車編成の折り返しを再び撮影するため降車して待つ。わずか1分の間ではあったが今度はVTRのセットが間に合った。そして夕日を浴びて試作車編成が鉄橋を渡ってやってきた。あと何年この姿が見られるだろうか。
【いよいよ・・・】
再び潮見へ。着いた時はまだ十分に明るかったが、ホームタウンわかしおがやってくる頃には街灯が点き始めた。君津行きの205系快速が通過していったのでここまでの時間を逆算し、東京18:17発の成東・勝浦行きは18:24頃通過と見積もる。そしてついに18:24、上りホームから今日撮り逃し続けている73編成が発車。しかし、83Yはなかなかやってこない。205系より少し時間がかかるのか、18:25になりやっと姿を現した。2カットシャッターを切る。マリンドリームを思わせる赤い通勤快速表示で、前4両が成東行、後ろ6両が勝浦行。なので、後追いでも1カット撮影、こちらはタイミングが合わなかったのでおそらくピンボケ間違いない。いつか、成東や勝浦まで追っかけてみたいと思いながら本日の撮影は終了した。
【お帰りは・・・】
タイミングよく東京行がやってきたのでこれに乗ることに。ヤテから転属してきた「なんちゃって205系」だった。ブレーキ改造がされていないためそう呼ばれているらしい。東京では今日逃がし続けているM'c902にやっと追いついた。反対ホームにいるのですぐに階段を登った。ホームに急いで降りたがもぬけのからだった。またまた逃げられた、3回目。気を取り直して元のホームに戻ると、71番編成が停まっており、急いで分割部へ向かう。T'c7+Tc23の分割面は、自動電連はなくジャンパ連結で、両車ともATSはB型のみ、T'c7は当初S型も装備していたはずだが撤去されてしまったようだ。
地底奥深くから一気に中央線の高架ホームへ、ちょうどライナーのグリーンは満席というアナウンスが流れていた。同じ183でも本家の房総特急からはグリーンは撤退し、なんだか変な感じである。特急グリーン料金が高すぎるということを物語っているようにも思われる。私は201系のシートはふかふかなのでこれで十分とばかりに、国分寺までの約1時間をうつらうつらと過ごしたのであった。
おしまい!
海浜幕張で03Yから降りる。向かい側のホームには始発の205系が停まっている。ツインタワーをバックに2本並んだ205系を撮影。
2面4線の構造で外側が本線。案内表示を見る限り折り返し電車は下りホームの内側を武蔵野線、いま205系が停まっている上りの内側が京葉線の折り返しホームのようだ。10分後には83Yがやってくるので、それまでにどうにかしなければ。東京方の見通しはあまり良くなく、10両全体は画面には収まりそうもない。とりあえずシーサスクロッシングを渡るシーンを撮ることに。待つこと10分、予想通り83Yはシーサスを渡って向かい側のホームにやってきた。K2編成だった。
この編成が今日の夕方の通勤快速になる列車である。20分ほどの折り返し時間があるのでじっくり下り方に歩きながら観察することに。中間車も撮影したくなりモハ201-224の写真を撮影。すると、上り本線にも201系がやってきたのであわてて下り先端まで行って2本の201系を撮影する。唯一の初期型編成の71番編成だった。この編成はTc、Tc'-23を含む編成で、これは現ムコ30編成と組替えられたもの。分割編成ではあるが貫通扱いの70番代の編成番号がつけられており、いろいろ観察したいところだがホームの反対側に停まっているのでどうしようもなく見送る。
【試作車との再会・・・】
一段落して出庫準備中の201系追跡の計画を練り始める。しかし、時刻表を見てもなかなか出庫電車がなく絞り込めない。そうこうしているうち、後続の63A快速蘇我行がやってきた。なんと試作車組み込みの72番編成だった。出庫電車の件は後回しにしてまずはこれに乗って蘇我でTcM'c901の撮影をすることにした。せっかく乗るのだから4号車のクモハに乗車する。稲毛海岸まではなかなかの乗車率で、カメラを体のあちこちにさげたまま身動きできない。乗務員室仕切りに接近することができずしばらく我慢。稲毛海岸ではほとんどが下車してしまいガラガラになった。早速仕切りに張り付いてVTRで運転台を撮影。運転台の映像+モーター音の組合せはここでしか撮れないのでしばらく流しっ放しで撮影した。向かいのTcの前面は西船橋表示で止まっており、こちらの表示幕部分には幕ははずしてある旨の紙が貼ってあった。機器収納の扉があいたままで、加速減速するとばたばたしながら開いたり閉まったりしていた。防護無線もなく先頭には出られない中間運転台となってしまった。中間に押し込められてしまった一番の原因はATS-Pの装備がないということで、クモハに装置を装備するスペースがなかったためと聞く。もし試作もクモハではなくクハだったらPを装備してまだ先頭にたっていただろうか。でも、中央線時代にクモハが先頭に立っていた時代を堪能できたのだから、これも致し方ないのかも知れない。
【あっというまの19分・・・】
蘇我には15:51着、折り返しまで19分あるのでかなりゆっくりと撮影ができる。まずは反対側のホームへ向かうが外房線からの113系がすぐに入ってきてしまい2分ほど待機する。発車後さっそく各車の写真を撮影しながら進む。その後今度はVTRを回したまま床下や台車を中心に撮影しながら戻ることにする。あらためてじっくり眺めると車体のすそは波打っており、101系末期の頃を思い出す。VTRだと見えるもの全て撮影ができるので、昔のようにちょっとした部品を撮るべきか迷う必要は無くなった。発車前に69Yが反対側に入り(これも201系54編成)、2本並べて撮影。さらに255系もその向こう側にやってきて記念撮影。発車時の加速音を収めようと東京方先頭部まで来たが、気が付いたらもう発車ベルが鳴っている。セットする間がないので写真撮影だけになってしまった。よくよく考えたら車検票の検査年月の確認や自重の調査もすっかり忘れており、いろいろとやり残しの多い19分だったことに気づいた。
【再び潮見へ・・・】
時計はもう16時をまわった。蘇我での運転間隔はかなりあり、次の発車まで15分もある。そろそろ上ることを考え、せっかく201系が止まっているのでひとまずこれで折り返すことにした。千葉みなと付近では船の姿がかなり大きく見え、201系に乗っていることを忘れてしまうような車窓だった。そのまましばらく上り、ケヨ電の脇を通過すると、さっきの試作編成はもう出庫してしまっていた。もう、出庫しそうな201系もいないので新習志野での撮影も取りやめを決定。つぎつぎと次回の宿題が増えていく。そして、舞浜で問題の試作編成とすれ違う、64Yだった。葛西臨海公園では武蔵野線の通過待ちで時間があり、その瞬間を撮影しようと準備する。東京方先頭車にはもう夕日があたりはじめ、前面のガラスには大観覧車のシルエットが見事に映し出された。よりシルエットのきれいな位置をさぐり武蔵野線の通過を待つ。201系の前面が画面の半分以上を占めており、通過線の様子はほとんど見えないが、しばらくすると架線が揺れ始め103系らしき走行音も聞こえてきた。やや201系の車内が暗くなったような感じがしたらオレンジ色の103系が突然顔を出した、一瞬の出来事。武蔵野線にも201系がいたらなぁ・・・。
新木場では先行して東京に向かった試作車編成の折り返しを再び撮影するため降車して待つ。わずか1分の間ではあったが今度はVTRのセットが間に合った。そして夕日を浴びて試作車編成が鉄橋を渡ってやってきた。あと何年この姿が見られるだろうか。
【いよいよ・・・】
再び潮見へ。着いた時はまだ十分に明るかったが、ホームタウンわかしおがやってくる頃には街灯が点き始めた。君津行きの205系快速が通過していったのでここまでの時間を逆算し、東京18:17発の成東・勝浦行きは18:24頃通過と見積もる。そしてついに18:24、上りホームから今日撮り逃し続けている73編成が発車。しかし、83Yはなかなかやってこない。205系より少し時間がかかるのか、18:25になりやっと姿を現した。2カットシャッターを切る。マリンドリームを思わせる赤い通勤快速表示で、前4両が成東行、後ろ6両が勝浦行。なので、後追いでも1カット撮影、こちらはタイミングが合わなかったのでおそらくピンボケ間違いない。いつか、成東や勝浦まで追っかけてみたいと思いながら本日の撮影は終了した。
【お帰りは・・・】
タイミングよく東京行がやってきたのでこれに乗ることに。ヤテから転属してきた「なんちゃって205系」だった。ブレーキ改造がされていないためそう呼ばれているらしい。東京では今日逃がし続けているM'c902にやっと追いついた。反対ホームにいるのですぐに階段を登った。ホームに急いで降りたがもぬけのからだった。またまた逃げられた、3回目。気を取り直して元のホームに戻ると、71番編成が停まっており、急いで分割部へ向かう。T'c7+Tc23の分割面は、自動電連はなくジャンパ連結で、両車ともATSはB型のみ、T'c7は当初S型も装備していたはずだが撤去されてしまったようだ。
地底奥深くから一気に中央線の高架ホームへ、ちょうどライナーのグリーンは満席というアナウンスが流れていた。同じ183でも本家の房総特急からはグリーンは撤退し、なんだか変な感じである。特急グリーン料金が高すぎるということを物語っているようにも思われる。私は201系のシートはふかふかなのでこれで十分とばかりに、国分寺までの約1時間をうつらうつらと過ごしたのであった。
おしまい!
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夏休みの日記(2)~京葉線2003~
【いよいよ撮影開始・・・】
新木場に到着はサハ205の車内で待機して、ドア開扉と同時に字幕を撮影に出ましたが、既に川越行表示に。それでもVTRで撮影しておきました。新木場での乗り換えはどの社線の改札も同じ階にあり、JRへはすぐ隣の改札であり、新宿でのJR同士の乗り換えよりも早く乗り換えができます。
夕方の撮影の下見のためまずは潮見へ。各停しか停車しない駅で不便ですが、下り列車に対しては新木場だとカーブのイン側になる上、もろ逆光になる恐れがありアウト側になる潮見で撮影することにしました。開放値の明るい135mmを使う予定なので135mmでの構図をチェックし、同時撮影のVTRの設置が可能かどうかもチェックします。私は基本的には三脚を持って歩きませんので、カメラバッグの上にコンパクトカメラ用の三脚をつけたVTRを乗っけて撮ります。ですから、柵の高さや間隔によっては撮影できない場合があるので要チェックなのです。ちなみに本日の機材はDV1台、スチール2台、レンズは35-70、80-200のズーム2本と135mmの計3本。あまり京葉線らしい構図ではありませんが、そこそこの構図が得られそうなので一安心。
最初の「練習台」の1467Yはなんと数少なくなってきた103系。せっかくの103なのでこれに乗って京葉線を下ることに。大きな三脚をかかえていないとこういうときとっさに電車に乗れるのも非常に都合がよろしい。
その後上りの201系とすれ違う。本日のターゲットとなる83Y(1382Y)だ。今回、撮影のために運行番号付きのHP時刻表「えきから時刻表」のデータをすべてダウンロードし、エクセルで編集したオリジナル時刻表を持って歩くようにしました。この記事もその時刻表と書き込みを見ながらの作成でなかなか使えます。今日のこれからの撮影計画のために各運用の形式を記入しながら先に進む。後続の62Aも68Yも201系。ということは今日はDDM103系は走っていない、201系の撮影機会は増えるがちょっと残念。
そのあと12Yは205系。新浦安では相対ホームなので何か撮影できないかと途中下車。すると武蔵野線205系VVVF改造車1304Eが退避線に入線してきた。京葉線205系との競演を期待するがやってきたのは255系だけ。
このあと海浜幕張で折り返す83Yを待ち伏せするため再び下り電車に乗る。今度は205系05A快速で、車掌さんは女性だった。最後尾かぶりつきの場合、女性の車掌さんだとあまりじろじろのぞけずに少し気を使う。南船橋で下車して上りの84Y撮影に望む。K1+51編成だった。南船橋といえば人工スキー場で有名な駅なので一緒に写しこみたいとも思ったがあまり良い構図が得られず断念。後日解体が決まったというニュースを知り、やはり撮っておくべきだった。次の下りも205系03Yで、海浜幕張へ。途中新習志野でケヨ電への入出区線をみて出区風景の撮影もしたいと考えるが、ダイヤを見てもどのような出区パターンなのかよくわからず、とりあえず海浜幕張へ行く決心をする。新習志野を出ると左手にケヨ電が見える。クモハ200-902を従えた編成がパンを上げて出区準備をしている姿が見える。もうひとつ気になる情報が時刻表にあり、上りで海浜幕張発新習志野行きというわずか1駅のみの運転という電車がある。上り線を見ているとさっき乗った103系がやってきた。海浜幕張で折り返して新習志野入区らしいことが判明。回送にしないで営業するところがすごい。入出区風景の撮影と出区点検中の試作車をどうするか悩みつつ海浜幕張に到着。
つづく
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夏休みの日記(1)~京葉線2003~
2003年、京葉線を訪問した時の様子を某掲示板に掲載したものをご紹介します。
夏休みの日記(1)投稿日:2003/08/21(Thu) 21:22
【出発までが長かった・・・】
先週の水曜から8日間の休みだったのですが、ずっと天候が悪くなかなか出かけられずにいました。目的は夕方運転される
「通勤快速成東行201系の撮影」
でした。地上にでるのは18時20分頃なので、少しでも天気のよい日にと思い待っていたのですが、ずっと雨ふりの毎日でした。20日もあまり好天とはいえない状況でしたが夏季平日出かけられる最後のチャンスなので出かけることに。せっかく遠くまで行くので、少し早めに出て
「試作車やその他の車両もチェック」
もしようという目的も追加しました。
【ところが・・・】
子供がどうしても一緒に遊びたいと泣き出し、説得しきれずにやむなく中止を宣言。あまり天気もよくないし、また来年とあきらめた。その後、昼食を一緒に食べてからなら、という妥協点を見出し(おおげさな)、13時前になんとか出発にこぎ着けました。
【ホリデーパスで・・・】
国分寺でホリデーパスを購入。夏休みなので平日でも使用可能でした。都区内フリー(でしたっけ?かつての国電フリーきっぷ)のほうが安く悩みましたが、蘇我まで行く可能性があったのでホリデーパスを購入することに。券面を見ると臨海高速の表示があり、急きょ大崎・新木場経由でアクセスすることに決定。出発までいろいろあったけど、ちょっとだけわくわくしてきました。
【いきなりT4・・・】
T4編成がサハ組み込みの貫通編成に復帰したとの情報が掲示板にもあり気にしていたのですが、ホームに下りてみるとサハ201-9の姿が。なかなかの出だしとなりました。
【新宿場内・・・】
久しぶりの新宿でしたが、場内信号機の下に「8」の文字が輝いているのがひときわ目をひきました。進路表示器と思われますが独特の書体と輝き、いつから採用された方式なのでしょう。
【15分あれば・・・】
臨海線経由にしたので新宿で乗り換えです。1番線に行ってみると新木場行きの表示が出ておりましたが、20分近く待つダイヤでした。15分あれば東京まで行けるのに!と思いつつ変わり行く新宿駅を眺めて待ちました。やってきたのは205系宮ハエ第一編成で六扉車なし編成。サハ205の表示だけ字幕の新木場行でした(いずれ見られなくなるんでしょうね)。大崎からいよいよ臨海線。165系のいる大井工場を横目に地下線へ。大崎の次は大井町、ちょっと変な感じ。それとドアの開扉のタイミングが早いのにびっくり。その割には発車時はブザー合図での発車なんですね。JRとはかなり違います。やっと地上に出たと思ったらもう先行開業区間、そして新木場に到着。
つづく
夏休みの日記(1)投稿日:2003/08/21(Thu) 21:22
【出発までが長かった・・・】
先週の水曜から8日間の休みだったのですが、ずっと天候が悪くなかなか出かけられずにいました。目的は夕方運転される
「通勤快速成東行201系の撮影」
でした。地上にでるのは18時20分頃なので、少しでも天気のよい日にと思い待っていたのですが、ずっと雨ふりの毎日でした。20日もあまり好天とはいえない状況でしたが夏季平日出かけられる最後のチャンスなので出かけることに。せっかく遠くまで行くので、少し早めに出て
「試作車やその他の車両もチェック」
もしようという目的も追加しました。
【ところが・・・】
子供がどうしても一緒に遊びたいと泣き出し、説得しきれずにやむなく中止を宣言。あまり天気もよくないし、また来年とあきらめた。その後、昼食を一緒に食べてからなら、という妥協点を見出し(おおげさな)、13時前になんとか出発にこぎ着けました。
【ホリデーパスで・・・】
国分寺でホリデーパスを購入。夏休みなので平日でも使用可能でした。都区内フリー(でしたっけ?かつての国電フリーきっぷ)のほうが安く悩みましたが、蘇我まで行く可能性があったのでホリデーパスを購入することに。券面を見ると臨海高速の表示があり、急きょ大崎・新木場経由でアクセスすることに決定。出発までいろいろあったけど、ちょっとだけわくわくしてきました。
【いきなりT4・・・】
T4編成がサハ組み込みの貫通編成に復帰したとの情報が掲示板にもあり気にしていたのですが、ホームに下りてみるとサハ201-9の姿が。なかなかの出だしとなりました。
【新宿場内・・・】
久しぶりの新宿でしたが、場内信号機の下に「8」の文字が輝いているのがひときわ目をひきました。進路表示器と思われますが独特の書体と輝き、いつから採用された方式なのでしょう。
【15分あれば・・・】
臨海線経由にしたので新宿で乗り換えです。1番線に行ってみると新木場行きの表示が出ておりましたが、20分近く待つダイヤでした。15分あれば東京まで行けるのに!と思いつつ変わり行く新宿駅を眺めて待ちました。やってきたのは205系宮ハエ第一編成で六扉車なし編成。サハ205の表示だけ字幕の新木場行でした(いずれ見られなくなるんでしょうね)。大崎からいよいよ臨海線。165系のいる大井工場を横目に地下線へ。大崎の次は大井町、ちょっと変な感じ。それとドアの開扉のタイミングが早いのにびっくり。その割には発車時はブザー合図での発車なんですね。JRとはかなり違います。やっと地上に出たと思ったらもう先行開業区間、そして新木場に到着。
つづく
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電車占い(35)
今日のラッキーカラーは
灰緑色3号です。
マンセルは(1BG 3.8/2.8)
RGBでは"3C6159"
主な用途
EL・DL・EC・DC:運転室の機器
EL:運転台テーブル
TEC:機械室平面きせ
FC:ソ60、ソ300、運転室機器
この記事はIE以外のブラウザだと一部表示されない場合があります。
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電車の名前・命名法
まずは電車の種類と車体標記の話題から。
車両には1両ごとに固有の記号・番号がつけられていて、管理・運用に便利なように体系的に定められています。これにより、機能の違いや用途が分かるような仕組みになっています。
自分が最初に知った青梅線の4形式を一例として挙げます。
クモハ73
サハ78
モハ72
クハ79
両端の先頭車は「ク」が付いています。これは制御車(運転台付)を示します。
1号車と3号車には「モ」が付いています。これは電動車(モーター付き)を示しています。
次の2号車の「サ」は付随車(トレーラー)を示しています。運転台もモーターもないお客さんを乗せるだけの車両です。
どの形式も「ハ」がつきます。これは座席車(普通車)を表わします。
これらを組み合わせて機能の違いを表現しています。4号車のクハはモーターの無い制御車ということになりますが、この場合「サ」はつけず単に「クハ」と命名します。
これらに続く数字については、次回ご説明しようと思います。
車両には1両ごとに固有の記号・番号がつけられていて、管理・運用に便利なように体系的に定められています。これにより、機能の違いや用途が分かるような仕組みになっています。
自分が最初に知った青梅線の4形式を一例として挙げます。
クモハ73
サハ78
モハ72
クハ79
両端の先頭車は「ク」が付いています。これは制御車(運転台付)を示します。
1号車と3号車には「モ」が付いています。これは電動車(モーター付き)を示しています。
次の2号車の「サ」は付随車(トレーラー)を示しています。運転台もモーターもないお客さんを乗せるだけの車両です。
どの形式も「ハ」がつきます。これは座席車(普通車)を表わします。
これらを組み合わせて機能の違いを表現しています。4号車のクハはモーターの無い制御車ということになりますが、この場合「サ」はつけず単に「クハ」と命名します。
これらに続く数字については、次回ご説明しようと思います。
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JRおおみや鉄道ふれあいフェア開催日決定
こちらにJRおおみや鉄道ふれあいフェアについて発表がありました。
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基本中の基本
2001年7月からはじめた「201系のページ」は、楽しむにはちょっと知識が必要な内容でやってまいりましたが、今年からはじめた「201系のブログ」では一般の人でも理解できるような内容にしたいと考えておりました。
しかし、いざはじめてみると、簡単に書くということはなかなか難しいもので、相変わらず専門用語の羅列が続いておりまして・・・。
そこで、よく使っている用語などを中心に解説することにしました。
自分がこれまでたどってきた道筋に沿って、今後少しずつご紹介していきたいと思います。
何かお気づきの点、ご質問ご要望などありましたらお気軽にコメントをお願いします。
よろしくお願いします。
しかし、いざはじめてみると、簡単に書くということはなかなか難しいもので、相変わらず専門用語の羅列が続いておりまして・・・。
そこで、よく使っている用語などを中心に解説することにしました。
自分がこれまでたどってきた道筋に沿って、今後少しずつご紹介していきたいと思います。
何かお気づきの点、ご質問ご要望などありましたらお気軽にコメントをお願いします。
よろしくお願いします。
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101系で検索してみる
gooブログの検索機能で
「101系」
と入力して検索してみた。
たった21件しかない(2005/04/22現在)
全部チェック可能な数。そして、これらのブログのほとんどは、私がパソコンに向かった時にはたいていチェックしているサイトばかりで、面白いものが多い。
一方、webサイトについても
「101系」
で検索してみた。
約190,000件とのこと。(2005/04/22現在)
これらのうち上位のいくつかには、定期的にチェックしているサイトが含まれているが、それ以外でよく見かけるパターンとしては、電車図鑑みたいなものの一ページとして公開されているものが非常に多いことに気づく。
そんなにたくさん図鑑は必要なのだろうか。
もちろんあると便利なのは事実、ちょっとした調べモノなど特に。しかし、こんなにこぞって皆で図鑑を開かなくてもいいのではないかと。
自分にとっては魅力が感じられないのかもしれないけど、サイトを見る人にとっては、毎日使っているふつーの電車の日々の情報が一番価値があると思うのです、だって毎日使っているふつーの電車の日々の情報を書けるのは、
あなただけ
なのですから。
webサイトを公開している鉄道ファンの方に、ぜひ、その点に気づいて欲しいのです。
「101系」
と入力して検索してみた。
たった21件しかない(2005/04/22現在)
全部チェック可能な数。そして、これらのブログのほとんどは、私がパソコンに向かった時にはたいていチェックしているサイトばかりで、面白いものが多い。
一方、webサイトについても
「101系」
で検索してみた。
約190,000件とのこと。(2005/04/22現在)
これらのうち上位のいくつかには、定期的にチェックしているサイトが含まれているが、それ以外でよく見かけるパターンとしては、電車図鑑みたいなものの一ページとして公開されているものが非常に多いことに気づく。
そんなにたくさん図鑑は必要なのだろうか。
もちろんあると便利なのは事実、ちょっとした調べモノなど特に。しかし、こんなにこぞって皆で図鑑を開かなくてもいいのではないかと。
自分にとっては魅力が感じられないのかもしれないけど、サイトを見る人にとっては、毎日使っているふつーの電車の日々の情報が一番価値があると思うのです、だって毎日使っているふつーの電車の日々の情報を書けるのは、
あなただけ
なのですから。
webサイトを公開している鉄道ファンの方に、ぜひ、その点に気づいて欲しいのです。
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S28年製の103系?
銘板がいっぱいあるのは、幾度も改造工事を受けて今日まで生き延びてきた証。
しかし、
103系の製造初年は昭和38年のはず、なぜ。
この電車、マニアの方はご存知ですが、103系以前のオンボロ車両の客室部分だけを103系と同等の車体を新製して載せ替えて走っていた車両です。したがって、車体は新しいが車籍上の製造はS28年のままとなっていました。
その後旧型車の置き換えが始まった時に、まだ車体は廃棄するほど古くなっていなかったため、今度は足回りを103系のものを付け替えて改造し、いつのまにか本当の103系になってしまった、というもの。
そうなると、この銘板、一体何に対する銘板なのか、ふしぎです。
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電車占い(34)
今日のラッキーカラーは
灰緑色2号です。
マンセルは(10G 5.5/2)
RGBでは"6D8881"
主な用途
EL・DL:機械室の機器、取付わく及び保護網
TFC:軌きよう敷設車の車体外部
FC:事故救援用操重車の車体外部(旋回歯車を除く)及び機械部分
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205系5000代組替え情報
M17編成にMM'5009と5039が
M20編成にMM'5010と5034が入ってました。
M20編成にMM'5010と5034が入ってました。
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