201系電車と鉄道に関するブログ
SINCE 2005-01-18
201系のブログ
ケヨK2+52パンタグラフ交換
1st-trainの【JR東】201系ケヨ52+K2編成パンタ交換(2009.3.27)によれば、ケヨ52+K2編成のパンタグラフがシングルアーム式のものに交換されたそうです。
パンタグラフ交換前のケヨK2+52
パンタグラフ交換前のケヨK2+52
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30000系に乗れた
デビューしてずいぶん経ちましたが、やっと西武30000系に乗車できました。
先週は天気が不安定でしたが、この日は晴れて少し暖かでした。
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赤旗無視?
某日、某所。
特急の発車時の出来事。
発車時刻になって乗車1名。駅員は赤旗を車両に突きつけるようにしてドア扱いを待たせていたのですが、いっこうに旅客がホームに上がってきません。仕方なく駅員は旅客の方に向かって、連れてホームに戻ると既にドアが閉まっていました。
あわてて再び赤旗を掲げるのですが、その時まだ列車は発車していない状態でしたが、すぐに列車は出て行ってしまいました。
駅員はすまなそうにしている様子が、旅客はいいよいいよとそんな感じの様子が見て取れました。
でも、赤旗出してるのに、列車を出してしまってよかったのでしょうか・・・。
とても気になる出来事でした。
特急の発車時の出来事。
発車時刻になって乗車1名。駅員は赤旗を車両に突きつけるようにしてドア扱いを待たせていたのですが、いっこうに旅客がホームに上がってきません。仕方なく駅員は旅客の方に向かって、連れてホームに戻ると既にドアが閉まっていました。
あわてて再び赤旗を掲げるのですが、その時まだ列車は発車していない状態でしたが、すぐに列車は出て行ってしまいました。
駅員はすまなそうにしている様子が、旅客はいいよいいよとそんな感じの様子が見て取れました。
でも、赤旗出してるのに、列車を出してしまってよかったのでしょうか・・・。
とても気になる出来事でした。
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ずっと中央線らしくあるために(2009-03-15~)
最後の週も撮影できました。昭和30年代から続く朱色一色塗りの通勤形電車、これぞ中央線の中の中央線の姿。
ダイヤ改正後、毎朝見る通勤特快は31Tになっていました。201系でした。
通勤特快の表示も誇らしく見えます。
次の停車駅、新宿に向けて出発して行きました。
三鷹勤務最終日、H7編成が83Tでやってきました。
もう一本のH4編成は23T
もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
ずっと中央線らしくあるために、これからも201系は走り続けることでしょう。
ダイヤ改正後、毎朝見る通勤特快は31Tになっていました。201系でした。
通勤特快の表示も誇らしく見えます。
次の停車駅、新宿に向けて出発して行きました。
三鷹勤務最終日、H7編成が83Tでやってきました。
もう一本のH4編成は23T
もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
ずっと中央線らしくあるために、これからも201系は走り続けることでしょう。
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58654復活に寄せて
九州のSL58654が復活しました。
△あそBOY復活の頃の58654、この後ウエスタン調に改造されるなどいろいろと話題になりました。
私の学生時代に国鉄の分割民営化が成り、各地でSLも復活しました。九州ではハチロクがSLあそBOYとして豊肥線で運転されるようになり、何度か見に行ったり乗車したりもしました。勾配のきつい豊肥線での長年の運転により主台枠にひずみが生じるなど不具合が発生し、引退に至ったそうです。
今回、主台枠のほか、ボイラーも新製したそうで、これでは「新車」ではないかという声も聞かれたようですが、そういった大規模な修繕というものはこれまでにも結構あったのではと思います。テンダーの振替えなども結構あったようですし、いつだったかの雑誌の特集でみたD51498の部品についても、いろいろな車両のものが使われていることが示されておりました。とっくに廃車になってしまった113系電車の速度発電機が使われていたり、本当に車両の運命というのはわからないものだと思いました。
そういえば、103系3000番台についても以前記事を書いています。古くなった車両の車体だけ新製して走らせていた電車を、後に新性能車の足回りと交換して本当の新型にしてしまった車両ですが、銘板は最初の電車のもの、という内容でした。
お座敷電車などの改造でも、ほとんど車体は新製していても、足回りは流用品ということで、改造車という扱いも多々見られます。
最近の例では、青梅線でのE233系の事故車を廃車にせず、車体を新規にこしらえて復旧させた例もあります。部品を製造・購入したか流用したかの違いで、新製扱いにはしなかったということです。おそらく、こういった類例は書類上、あるいは税制上そうしたほうが有利だという判断なのだろうと思います。
△熊本の様子も新幹線開業に向けてずいぶん様子が変わったそうです
話がそれましたがもとにもどって
どんな車両でも使っていれば磨り減ったり壊れたりします。その時の対応は修繕するか廃車にするか2つにひとつ。修繕の場合には、部品を新調したり、他車のものを融通してもらったりするしかありません。今回の58654においても、単純に部品を新調したに過ぎません。新車として作ることも技術的には可能ですが、平成生まれのハチロク最新ナンバーというのも、それはそれで面白かったかもしれません。いずれにしても、これまでになく性能の良いハチロクデビューということになるでしょう。今後も末永く走り続けてもらいたいものです。
△あそBOY復活の頃の58654、この後ウエスタン調に改造されるなどいろいろと話題になりました。
私の学生時代に国鉄の分割民営化が成り、各地でSLも復活しました。九州ではハチロクがSLあそBOYとして豊肥線で運転されるようになり、何度か見に行ったり乗車したりもしました。勾配のきつい豊肥線での長年の運転により主台枠にひずみが生じるなど不具合が発生し、引退に至ったそうです。
今回、主台枠のほか、ボイラーも新製したそうで、これでは「新車」ではないかという声も聞かれたようですが、そういった大規模な修繕というものはこれまでにも結構あったのではと思います。テンダーの振替えなども結構あったようですし、いつだったかの雑誌の特集でみたD51498の部品についても、いろいろな車両のものが使われていることが示されておりました。とっくに廃車になってしまった113系電車の速度発電機が使われていたり、本当に車両の運命というのはわからないものだと思いました。
そういえば、103系3000番台についても以前記事を書いています。古くなった車両の車体だけ新製して走らせていた電車を、後に新性能車の足回りと交換して本当の新型にしてしまった車両ですが、銘板は最初の電車のもの、という内容でした。
お座敷電車などの改造でも、ほとんど車体は新製していても、足回りは流用品ということで、改造車という扱いも多々見られます。
最近の例では、青梅線でのE233系の事故車を廃車にせず、車体を新規にこしらえて復旧させた例もあります。部品を製造・購入したか流用したかの違いで、新製扱いにはしなかったということです。おそらく、こういった類例は書類上、あるいは税制上そうしたほうが有利だという判断なのだろうと思います。
△熊本の様子も新幹線開業に向けてずいぶん様子が変わったそうです
話がそれましたがもとにもどって
どんな車両でも使っていれば磨り減ったり壊れたりします。その時の対応は修繕するか廃車にするか2つにひとつ。修繕の場合には、部品を新調したり、他車のものを融通してもらったりするしかありません。今回の58654においても、単純に部品を新調したに過ぎません。新車として作ることも技術的には可能ですが、平成生まれのハチロク最新ナンバーというのも、それはそれで面白かったかもしれません。いずれにしても、これまでになく性能の良いハチロクデビューということになるでしょう。今後も末永く走り続けてもらいたいものです。
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たくさんの励ましありがとう
ここ数日、たくさんの励ましをいただきました、本当に感謝いたします。
メールを下さったかた、コメントを下さったかた、私のためにブログの記事を書いてくださったかた、お守りを作ってくださったかた、そしてすばらしい写真を下さったかた、本当にありがとうございます。
こんなにも多くの人に支えられていたのだと、気付きました。
ありがとうございます。
メールを下さったかた、コメントを下さったかた、私のためにブログの記事を書いてくださったかた、お守りを作ってくださったかた、そしてすばらしい写真を下さったかた、本当にありがとうございます。
こんなにも多くの人に支えられていたのだと、気付きました。
ありがとうございます。
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業務終了
昨日、2年にわたる三鷹での業務が終了しました。
彼岸の入りのこの時期、だいぶ日の入りも遅くなりました。名残を惜しみつつ、お気に入りのポイントをまわって帰宅しました。
いつもの風景、毎日毎日、いつだって好きなだけ、いやうんざりするほど当たり前に見られる風景。でも、いつか突然そうではなくなる。明日はもう特別な風景。
彼岸の入りのこの時期、だいぶ日の入りも遅くなりました。名残を惜しみつつ、お気に入りのポイントをまわって帰宅しました。
いつもの風景、毎日毎日、いつだって好きなだけ、いやうんざりするほど当たり前に見られる風景。でも、いつか突然そうではなくなる。明日はもう特別な風景。
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E231系800番台、スカート吊り替え
今朝、三鷹のE231系800番台第一編成のスカートが新形タイプのものに交換されているのを確認しました。
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上り富士・はやぶさ最終列車
都内で知人の結婚式があり、ついでに品川に回送された最終列車の編成を撮影しました。
もう、ここでブルートレインを見ることは無いと思います。
もう、ここでブルートレインを見ることは無いと思います。
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もっと中央線らしくあるために(~2009-03-14)
今週も撮影できました。昭和30年代から続く朱色一色塗りの通勤形電車、これぞ中央線の中の中央線の姿。
△早速就職活動で日中の撮影ができました。就活の結果はいまいちでしたが・・・。
△火曜の朝、07Tで確認
△07Tは帰宅時にも楽しめる運用です。
△特急を退避します
△上り線では快速が特快を退避しています、以前は全部201系だったのですが。
△水曜日、そのまま順当に09Tへ
△三鷹5番線に停車中の201系
△前日に続いてもう一本の201系が07Tでした。
この日はこれから都内で会議でした。このところ定時退社が続いた私にとってはとても遅くの帰宅となりました。22時を過ぎ、以前はもっと混雑していたと思うのですが、とても電車は空いていました。
△お帰りは13H!、201系がやってきました。新宿で。
△三鷹で通勤快速の退避
△路線図
△国分寺到着、ここでも退避です。急いで上りホームに向かいます。
△NEXがやってきました。13Hの201系、もうこんな機会はないでしょう。
1週間通して中央線で通勤するのはこれが最後となりました、残り3日。
もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
△早速就職活動で日中の撮影ができました。就活の結果はいまいちでしたが・・・。
△火曜の朝、07Tで確認
△07Tは帰宅時にも楽しめる運用です。
△特急を退避します
△上り線では快速が特快を退避しています、以前は全部201系だったのですが。
△水曜日、そのまま順当に09Tへ
△三鷹5番線に停車中の201系
△前日に続いてもう一本の201系が07Tでした。
この日はこれから都内で会議でした。このところ定時退社が続いた私にとってはとても遅くの帰宅となりました。22時を過ぎ、以前はもっと混雑していたと思うのですが、とても電車は空いていました。
△お帰りは13H!、201系がやってきました。新宿で。
△三鷹で通勤快速の退避
△路線図
△国分寺到着、ここでも退避です。急いで上りホームに向かいます。
△NEXがやってきました。13Hの201系、もうこんな機会はないでしょう。
1週間通して中央線で通勤するのはこれが最後となりました、残り3日。
もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
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いまから思えば
今日、3月13日、東京発最後のブルートレイン、富士・はやぶさが出発しました。
鉄道史にしても、会社や社会の動向にしても、後になって振り返ってみると、いまから思えばあの時という出来事があることに気付きます。東海道、山陽、九州のブルートレインの撤退は1994年にもう始まっていました。
熊本・長崎行き下りみずほ最終列車、1994-12-02、横浜にて
今日、明日の多くのサイトには、きっと富士・はやぶさ最後の雄姿が紹介されると思いますが、見に行かれなかった私からは、現在最後の下り列車を牽引しているEF6653号機の映像をご紹介したいと思います。当時のみずほもEF66+14系客車でした。
みずほを牽引するEF6653号機、1994-11-28、横浜にて
鉄道史にしても、会社や社会の動向にしても、後になって振り返ってみると、いまから思えばあの時という出来事があることに気付きます。東海道、山陽、九州のブルートレインの撤退は1994年にもう始まっていました。
熊本・長崎行き下りみずほ最終列車、1994-12-02、横浜にて
今日、明日の多くのサイトには、きっと富士・はやぶさ最後の雄姿が紹介されると思いますが、見に行かれなかった私からは、現在最後の下り列車を牽引しているEF6653号機の映像をご紹介したいと思います。当時のみずほもEF66+14系客車でした。
みずほを牽引するEF6653号機、1994-11-28、横浜にて
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これは何という名前
信号機のポールの先端についている、異国の教会の屋根のようなパーツ。
以前はよく見かけたパーツですが、名前はあるのでしょうか。
そんな記事を書こうと思って撮影したら、なんと、翌日には
新しいポールに取り替えられていました。
以前はよく見かけたパーツですが、名前はあるのでしょうか。
そんな記事を書こうと思って撮影したら、なんと、翌日には
新しいポールに取り替えられていました。
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もっと中央線らしくあるために(~2009-03-07)
今週も撮影できました。昭和30年代から続く朱色一色塗りの通勤形電車、これぞ中央線の中の中央線の姿。
このところ天候不順ですが、週の始まりは天気になりました。しかも、相次いで201系が上ってきます。
△有名な跨線橋から、影も美しいです。
3日から4日にかけて雪も降りましたが積もりませんでした。
△79H、雪煙を舞い上げて入線、といきたかったところ
△ホーム上の発光信号が点灯し、停車しました。
もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
大変残念なことに、こうやって三鷹の地に降り立つことができるのも、残り7日・・・、などと余韻にひたっていることすら出来ない事態が発生してしまいました。
現在の業務の終了をもって、会社から整理解雇の通知を受けました。しばらくは活動が停滞すると思いますが、就職活動の合間に更新できたらと思います。このブログは鉄道を中心にやっていますので、その辺の話はもう一つのサブのブログで随時報告できる情報については報告しようかと考えております。
まだ働けるのに、整理してしまう。きっと朱色の電車も同じ想いなのでしょう。
このところ天候不順ですが、週の始まりは天気になりました。しかも、相次いで201系が上ってきます。
△有名な跨線橋から、影も美しいです。
3日から4日にかけて雪も降りましたが積もりませんでした。
△79H、雪煙を舞い上げて入線、といきたかったところ
△ホーム上の発光信号が点灯し、停車しました。
もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
大変残念なことに、こうやって三鷹の地に降り立つことができるのも、残り7日・・・、などと余韻にひたっていることすら出来ない事態が発生してしまいました。
現在の業務の終了をもって、会社から整理解雇の通知を受けました。しばらくは活動が停滞すると思いますが、就職活動の合間に更新できたらと思います。このブログは鉄道を中心にやっていますので、その辺の話はもう一つのサブのブログで随時報告できる情報については報告しようかと考えております。
まだ働けるのに、整理してしまう。きっと朱色の電車も同じ想いなのでしょう。
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