楽の音にあわせて

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王であるキリスト

2012-11-25 21:30:00 | Sisterのねごと
このブログはクリスチャンではない方もご覧いただいていることはよく知っていますが、今日はそれでも敢えて、最初からキリスト教のお話をさせていただきます。

今夕facebookに配信された片柳神父のメッセージにこんなことばがありました。
「イエスは王としてこの世界にやって来られましたが、その支配は地上の王の支配とはまったく異なったものでした。イエスの支配は、力による支配ではなく、真理による支配だったのです。」
バイブル・エッセーより)

教会では、イエスが誕生したことを祝うクリスマスを待つ季節「待降節」をこれから始めますが、その前に「王であるキリスト」という祝日があり、それが今日なのです。世界の王としてキリストを迎え入れるというのは、独裁者や権力あるいは武力をもって人間を支配するのではない、まったく異なった“王”のイメージを知ることでもあります。

やたら偉そうにする人を好きな人はあまりないと思いますが、それでもある程度力を持って秩序を守ってくれるイメージを、為政者に求めてしまいがちなのは、安心して頼っていたいという心理も働くのでしょうか。

「ただひたすら慈しみ深く、正しく、謙遜であることによって人々を惹きつける王でした。従わせる王ではなく、従わずにはいられなくする王だったのです。」



謙遜であることによって人々を招いているキリスト。それは強い・弱いがはっきりしている世界の価値観とはまったく別の、観たいと願う人にしか見えない姿なのでしょうか… 

神の子でありながら自らを空しいものとし… その謙遜をほんの少しでも学ばせていただきたいと願いつつ。

写真の十字架は、とあるカルメル会修道院の壁にかかっていました。農作業をしている山で見つけた木なのでしょう。