アフリカ大陸や中東地域とヨーロッパ世界をつなぐ地中海では、政情不安定で貧困が渦巻く、紛争の絶えない国々から、ほとんど身一つで逃れてくる人たちが、足もとを見られて高い代金を支払って、自由な世界への船に乗りますが、多くの人が水に呑まれて命を落とします。
今朝もそんなニュースを読みました。悲しいことです。せっかく神さまが造ってくださったこの世界なのに、いのちの重さに格差があります。もちろん日本の国にも。無関心であってはいけませんね。
「泣くな」と慰めてくださるイエスのことばを、朝の念祷あらためて耳にしました。
☆今日の朗読箇所(部分)☆
主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。(ルカ福音書7章13-15節)
悲しみの聖母の記念日である今日は、日本では敬老の日。
教会では聖母マリアが息子の十字架の下に立って悲しみの内にあると黙想し、一方では、年々高齢化が進む社会の中でこの現実とどう向き合うかといった議論や、日野原先生のような生涯現役の百歳超えの方や、パラグライダーに乗ったり山に登ったりと年齢を感じさせないシニアが大勢目に入ります。
長い人生の中には「淋しくて、淋しくて…」と言いたくなる出来事もたくさんあります。長生きすれば、周囲の家族・友人は先に逝ってしまう可能性が大きいです。
悲しく淋しい、人通りが次第に減っていく人生の小径を歩み進むのは、いくら楽しいことがあっても、落ち着いて周囲を見渡せばやはり悲しく感じることも少なくないでしょう。
そんな中で、それでも「いつも喜んで」、「絶えず祈って」、「どんな時にも感謝して」、いのちある限りその気持ちを周りの人に伝え続けたいですね。そんな生き方をするシニアがどんどん増えて、この国が変わっていきますように!
「十字架称賛」が主日に重なった日。今日のミサで読まれた第2朗読が、あらためてこころに響きます。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」
(フィリピの教会への手紙2章6-11節)
長崎・外海の出津にあるド・ロ神父が始めた授産所跡。今は新しくされたそうです。
師はこの地で、信徒の世話だけでなく、地元の人々の自立のために尽力しました。
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