アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「俳句とは人間だよ」…ペルーでも詠まれている!

2010年11月29日 | Weblog
 「国民総俳人の会」このような会が、細々ながら活動を続けている。(廃人の会ではありませんから!)会長は誰かって?そ、それは…「安亭句マン」という人ですけどね。
 「俳句とは何か」…答えは無限に存在する。
「客観写生であり、花鳥諷詠である(高浜虚子)」
 「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり(山本健吉)」
 …いずれも、素晴らしいです!
 私が一番気に入っている、「俳句とは何か」の答えは…古沢太穂が言っている、「俳句とは、人間だよ」です。これは凄いです。背筋がゾクゾクっとします。
 古沢太穂(ふるさわたいほ)さんは、富山県の芸妓置屋の生まれ。東京外語専修科ロシア語学科修了。ロシア語科を終了して、どうして俳句?結核の療養所で俳句をはじめてそのままのめり込んでいった。…「人間だよ」と、言ったのが分かるような気が。
 
 20数年前、アメリカの学校で「HAIKU」が詠まれていることに驚きました。俳句とは人間ですから、アメリカ人も人間なので詠むということですね。ウエルズリー(マサチューセッツ州)の中学生の句集をプレゼントされたこともありました。年に数時間の俳句の時間があるというようなレベルではなく、本気で俳句に取り組んでいました。現在の日本の小中高校で、これほど一生懸命俳句に取り組んでいる学校は…少ないでしょう。(なぜ日本の教育に俳句が必要かつ重要かは、何度も述べているのでここでは割愛します)

 俳句とは人間…アメリカ以外でも…英語圏は殆どの国で詠まれている。英語圏以外では、ドイツ(さすが同盟国)、フランス、ベルギー、オランダ、スウェーデン、ブルガリア(琴欧州も俳句を作った?)、ルーマニア、アルバニア、クロアチア、スロベニア、セルビア、ロシア(俳句を詠まなくてもいいから、北方領土から撤退してくれ)、中国(俳句を学びたいがために日本の領海を侵犯する…んなわけないね)、メキシコ、アルゼンチン、ウルグアイ、コロンビア、ブラジル、インド、バングラデシュ…。ペルーはどうだったか?詠まれていました。例えば、クスコ。クスコに初めて足を踏み入れた日本人は4人。その4人が4人とも、クスコでの商いは、「写真屋」。「十二角石」へ行く途中に、「西山写真館」というのがありますが、西山さんはその4人の1人。その4人が、世界一短い詩である俳句をクスコで広めたと考えられます。だって、他に考えられないでしょう!もちろんスペイン語で俳句をひねった。台湾、ブラジルでは、日本語で俳句が詠まれています。当たり前と言われてしまうとそれまでですがね。

日本の「文化交流大使」として、フランスで俳句を指導している女性がおられる。御存知、黛まどかさん。しかし、日本政府も、私ではなく黛さんを文化交流大使にした…私を大使にしたら、職務そっちのけで遊び歩くということをどうして知っていたのだろう?

 フランスと俳句…俄にはつながりづらいが、フランスの俳句の歴史は長い。折しも俳句ブームだという。俳句の全国大会も開催されるという。あれあれ、「日本では俳句の全国大会」はできそうもないのに…!(結社別ならあるけど)。黛大使の任務は、「俳句を通した日本文化の理解促進」。

 外国語で、どうやって俳句をを作るのか…外国語では「定型」は無理です。おおむね、「3行17音節」。もっとも、これさえも難しいですが。季語はもちろん入れます。国が違いますから、季語も日本の季語に合わせることなどできません。「切れ字」は…ないです。しかし、感嘆符を付けることは行われています。切れ字は感動の中心ですから、感嘆符でOKでしょう。

 黛さんに言わせると…フランス俳句がケチョンケチョン
 「フランス人の句は、季語が詠まれていなかったり定型でなかったり、基本を守っていないものが少なくない」
 俳句ですから、季語は入れていただかなければならないが、定型については目くじらをたてなくてもいいんじゃないか…。この甘さも黛さんに叩きつぶされる…
 「型なしに句を作れば、短い詩に過ぎない。俳句は型があるからこそ、その中で自由に発想できる」
 本気で現在のフランスの俳句を高めようとされている。

 外国で俳句が詠まれているのは、実に嬉しいことです。ただ、普及については多くは望めません(日本でさえ衰退の一途なのですから)。普及させようとして適当に妥協し、「俳句を単なる短い詩にしてしまう」これは阻止しなければならない。よく分かりました。

 俳句を甘やかすと、俳句ではなくなってしまう。「国民総俳人の会」は、何が何でも、「有季定型」を守ります。ここを崩してしまうと、「国民総廃人の会」になってしまいます…。俳句は人間…いい言葉です。