自分が社会人になった年に,琵琶湖の仙人と言われたバスプロがJBTA(JB)バスオブザイヤーを決めた,はずだった。
少なくとも,彼の「裏切り」を知るのに数年は要した。なにしろ情報網などない時代だ。
1991年度バスオブザイヤーを取得したが,翌1992年から活躍しなくなっていた。
「体調を崩した」話を雑誌で見ていたから,ああそうかと思っていた。
なにしろ怒涛の1990年代初頭である。
関西でいえば今江克隆,関東なら村田基に影響を受けなかったバサーの方が少ないはずである。
その偉大な2名の他に,もちろん沢村プロなども居たのだが,「アク」の強さを当時は感じなかった。いまはアクが強いというか,K.T.F.の運営に躍起になっていることがわかるのだが。
仙人は,「男引き」と言われるディープクランキングで名を馳せた。
当時,オカッパリなのに仙人のマネをすると「DD-22」「DB3ロングキャスト」といったディープクンキングは「なんとか釣れるもののしんどい」だった。すでに,「8番マグナムウィローリーフ」スピナーベイトを戦力にしていたにも関わらず,オカッパリにはやはり使い切れなかった。
当時の水郷は水深2m内外で勝負が決まっていたから,まあ当然である。
でも,簡単にマネできないからこそ惹かれたのも事実だし,友人の多くも惹かれていた。
そしてしばらくして「事件」が噂された。JBの公式記録も書き直されていた。
2000年代に入ってもいくらかの不正はあったが,自分が多大な影響を受けたわけでもないので,大したことはない。
バスフィッシングトーナメントがイマイチ盛り上がらないのは,そもそも普通のアングラーがやっていることと乖離しすぎたことが考えられる。まちがっても「ライブスコープ」なんて使えない。「ヤマタテ」は意識しなくても通って,テキサスリグでも入れればわかってくる。もはや「インジビブルストラクチャー」さえほとんどの場所でわかっている。
まあ,そもそもバスという魚は釣りの対象魚として特殊過ぎて(ルアーの限りない種類など),河川ではスモールマウスバスがこんなに繁殖することなど,とても30年以上前には考えられなかったことだ。
それでも,自分のバスライフは続いていくのだと思う...。