噛みつき評論 ブログ版

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学力テスト結果開示問題に見る朝日の偏向報道

2008-10-20 07:29:15 | Weblog
 大阪府で騒動になっていた学力テスト結果の市町村別成績の公表問題は、16日、府内43市町村のうち教育委員会が自主的に公表を決めた35市町村について開示されました。しかし、この開示内容の掲載について、新聞の扱いは分かれました。

 毎日・朝日・日経は科目別平均正答率の市町村別数値の一覧を載せず、読売、産経は、開示された市町村名を明らかにした上で科目別平均正答率などのデータを一覧表の形で掲載しました(毎日新聞10/18日大阪朝刊による)。

 新聞は宅配制度による販売が主であり、1紙だけの購読者が大部分です。したがって購読紙によって大きい情報格差が生じます。公表に反対だからといって、「強権的」に実力に訴え、情報伝達を遮断するのは新聞の公共的役割を無視するものであり、そこには我々が情報を管理するのだ、という驕りが感じられます。

 一般論として、公的な情報は公開が原則です。一部の者が情報を独占することは弊害が多いためであり、多数が納得するに十分な理由がない限り、秘匿されるべきではありません。学力テスト結果を掲載しないのであれば、新聞は公表による弊害が利益を上回ることを根拠をもって説明すべきです(多分、明確な根拠を示せないから説明しないのでしょうが)。

 結果の公表は学校間の競争を加速する、学校間格差を強める、テスト偏重になる、などの弊害が言われていますが、むろんその懸念はあるでしょう。しかしその不利益がどの程度のものになるかについて説得力のある説明を見たことがありません。要は程度の問題です。程度について、明確な予測ができなければ実験するしかありません。

 一方、公表によって閉鎖的と言われる教育の世界が外部の風を受けやすくなり、何らかの努力を迫られることは十分予想されます。これは教育界の表向きの反対理由になっていませんが、こちらは容易にお気持を察することができます。また知事のやり方が強権的だと批判されていますが、これは今まで閉鎖的な無風状態に置かれ、ちょっとやそっとで動かない教育委員会の手強さの反映とも受けとれるでしょう。

 17日の朝日大阪版は社会面トップにこの問題を取り上げ、「識者」の意見を2つ載せています。高村薫氏は、公表は「全く意味がない」、「大阪の学力低迷は、経済苦から厳しい教育環境に置かれている子が多いという特有の理由がある」、「まず日本一の教育予算を投入すべきだ」と述べられています。

 公表は全く意味がない、と単純に断定されるとはたいした自信ですが、どのご主張にも根拠が示されていません。著名な作家だから、その権威を無条件で信じろというのが新聞の意図なのでしょうか。彼女が教育にどのくらい造詣が深いか知りませんが、経済苦による教育環境が理由ならば、その根拠を示すべきでしょう。また予算を増やせば学力が上るというご主張はあまりにも単純です。予算と学力の関係を示した上で、具体的な予算配分を示していただかないと私のような凡人には理解不能です。私の受けた義務教育は55人学級で、とても貧しい環境でした。当時の生徒の学力はとても低かったということになりそうです。

 藤田英典氏は「公表(略)が学力向上につながるとは思えない」「授業がテスト対策重視になる危険性がある。テスト偏重への反省から、生きる力などを身につけさせる教育が始まったのに、全く逆行している」と述べます。

 この方も根拠を示さない点は同じです。また「生きる力などを身につけさせる教育」とはゆとり教育を指していると思いますが、現在はゆとり教育の誤りが明らかになり、それと反対方向に向かいつつある状況で、「全く逆行」とは理解できません。

 二つの「識者」の意見以上に問題だと思うのは、朝日が賛成反対の両論を載せるのでなく反対論だけを掲載していることです。偏らない立場で報じ、評価は読者の判断に委ねるというのが新聞の基本的な役割である筈です。反対意見だけを並べ、公表結果を隠蔽してその理由すら述べず、新聞社特製の評価を押しつけるという姿勢は、社会の公器という名に恥じるものでありましょう。

 かつて民を統治する為政者の心得は「依らしむべし、知らしむべからず(*1)」とされましたが、新聞がこの調子では困ります。民に対して情報を恣意的に選択して、民意、民意と騒いでも、まともな民意は出てこないのが道理です。どうやら朝日は本音では民を見下しているようです。

(*1)孔子の言葉。通常、知らせずに頼らせろ、という意味で使われますが、これは誤解で、知らせることはできないが依らせることはできる、というのが本来の意味だとする説があります。