東国原英夫宮崎県知事が次期衆院選への出馬要請に対し、自らを自民党総裁候補とすることを条件にした話は大きく報道されました。
その後、東国原知事は、28日午前のテレビ討論番組で、自民党にこだわらず、民主党など他の政党であっても、「どちらでも良い」と述べ、自らの政策を評価してくれる政党で、次期衆院選への出馬意欲を示唆したと報道されました(6月28日ブルームバーグ)。
また、昨年の熊本県の知事選挙では蒲島郁夫氏が当選しましたが、その選挙を蒲島氏自らが分析した論文が中央公論(08-06月号)に掲載されました。そこで蒲島氏は支援してくれる政党が自民の場合、民主の場合のどちらが選挙に有利かを分析した上で決めたという話が載っており、少し違和感を覚えました。
これらの例からは、政党は選挙に利用するものという考えが感じられます。いささか青臭いと言われそうですが、政治的な志を同じくするものが集まったもの、これが本来の政党である筈です。政党に加わるとき、あるいはその支持を受けるとき、その思想・信条はたいして重要な要素ではなくなっているのでしょうか。
一方、7月1日の朝日新聞(大阪版)の一面トップは民主党「鳩山代表 虚偽献金2177万円」で、社会面にもトップで関連記事を載せています。これに対し、民主党がガソリン税など道路特定財源の暫定税率の2010年4月からの廃止を政権公約に盛り込む方針を決めたことは7面の目立たない記事となりました。
この日の朝日新聞は政党の政策よりも不祥事を格段に重視してきた従来の一貫した姿勢を象徴しています。このような傾向は他のメディアも似たものであろうと思われます。このようなメディアの姿勢によって、政党を政策で評価するという観点が失われてきたのではないでしょうか。
では何をもって政党が評価されるかというと、大きいポイントは不祥事の多寡でしょう。前回の参院選における自民の敗北は閣僚の政治資金問題が相次いだことが大きい原因とされています。最近でも野党幹部の政治資金問題が政党支持率を大きく左右しています。
政党が掲げる将来の展望や方向性、それを実現する政策に比べ、政治資金問題などの不祥事はいかにも卑小な問題です。その卑小な問題が政局の行方を決めるとすればなんとも残念なことです。また政局が不祥事によって決められる現状に批判や反省が見られないことはさらに深刻な問題です。
政党の政権公約が大きく報道されなければ、政党もそれに大きい努力を払おうとしなくなるでしょう。どのような社会を目指すのかということはとても重要なことですが、政党は明確に提示してきたでしょうか。逆にそれがしっかり根づいていれば不祥事ごときで支持率が大きく左右されることもないと思うのですが。
メディアの関心が低ければ、予算の裏付けが不明など、実現性が怪しいマニフェストが出されても、徹底した議論があまり行われなくなります。例えば昨年、民主党は高速道路の無料化など、多くの歳出の増加を要する政策を掲げましたが、その財源の裏付けは曖昧なままにされました。
政党の掲げる政策の実現性と共に、そのよい部分だけでなく影の部分をもわかりやすく説明し、有権者が判断するための情報を提供することがメディアの本来の役割でしょう。不祥事の多寡が投票を大きく左右するという、政党政治の理想とはほど遠い現状を裏で支えているのはメディアの報道姿勢である、というわけであります。
その後、東国原知事は、28日午前のテレビ討論番組で、自民党にこだわらず、民主党など他の政党であっても、「どちらでも良い」と述べ、自らの政策を評価してくれる政党で、次期衆院選への出馬意欲を示唆したと報道されました(6月28日ブルームバーグ)。
また、昨年の熊本県の知事選挙では蒲島郁夫氏が当選しましたが、その選挙を蒲島氏自らが分析した論文が中央公論(08-06月号)に掲載されました。そこで蒲島氏は支援してくれる政党が自民の場合、民主の場合のどちらが選挙に有利かを分析した上で決めたという話が載っており、少し違和感を覚えました。
これらの例からは、政党は選挙に利用するものという考えが感じられます。いささか青臭いと言われそうですが、政治的な志を同じくするものが集まったもの、これが本来の政党である筈です。政党に加わるとき、あるいはその支持を受けるとき、その思想・信条はたいして重要な要素ではなくなっているのでしょうか。
一方、7月1日の朝日新聞(大阪版)の一面トップは民主党「鳩山代表 虚偽献金2177万円」で、社会面にもトップで関連記事を載せています。これに対し、民主党がガソリン税など道路特定財源の暫定税率の2010年4月からの廃止を政権公約に盛り込む方針を決めたことは7面の目立たない記事となりました。
この日の朝日新聞は政党の政策よりも不祥事を格段に重視してきた従来の一貫した姿勢を象徴しています。このような傾向は他のメディアも似たものであろうと思われます。このようなメディアの姿勢によって、政党を政策で評価するという観点が失われてきたのではないでしょうか。
では何をもって政党が評価されるかというと、大きいポイントは不祥事の多寡でしょう。前回の参院選における自民の敗北は閣僚の政治資金問題が相次いだことが大きい原因とされています。最近でも野党幹部の政治資金問題が政党支持率を大きく左右しています。
政党が掲げる将来の展望や方向性、それを実現する政策に比べ、政治資金問題などの不祥事はいかにも卑小な問題です。その卑小な問題が政局の行方を決めるとすればなんとも残念なことです。また政局が不祥事によって決められる現状に批判や反省が見られないことはさらに深刻な問題です。
政党の政権公約が大きく報道されなければ、政党もそれに大きい努力を払おうとしなくなるでしょう。どのような社会を目指すのかということはとても重要なことですが、政党は明確に提示してきたでしょうか。逆にそれがしっかり根づいていれば不祥事ごときで支持率が大きく左右されることもないと思うのですが。
メディアの関心が低ければ、予算の裏付けが不明など、実現性が怪しいマニフェストが出されても、徹底した議論があまり行われなくなります。例えば昨年、民主党は高速道路の無料化など、多くの歳出の増加を要する政策を掲げましたが、その財源の裏付けは曖昧なままにされました。
政党の掲げる政策の実現性と共に、そのよい部分だけでなく影の部分をもわかりやすく説明し、有権者が判断するための情報を提供することがメディアの本来の役割でしょう。不祥事の多寡が投票を大きく左右するという、政党政治の理想とはほど遠い現状を裏で支えているのはメディアの報道姿勢である、というわけであります。