噛みつき評論 ブログ版

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JR西日本社長起訴と処罰の希望

2009-07-13 09:36:32 | Weblog
 神戸地検は山崎正夫JR西日本社長を7月8日、業務上過失致死傷罪で在宅起訴しました。朝日の9日朝刊には、「明石のトラウマ」を抱える神戸地検は、今回の捜査で被害者全員にどんな処罰を求めているかを尋ねる手紙を送り、面談を希望する人には担当検事らが直接応じてきた、と記されています。

 「明石のトラウマ」とは01年7月花火大会で混雑する歩道橋上で11人が死亡した事故で明石署長らを不起訴としたことに対する負い目という意味のようです。この負い目のために神戸地検は被害者全員に「処罰の希望」を尋ね、「難易度の高い捜査」に対し4年間も頑張ってきたということが読み取れます。

 検察が被害者に「処罰の希望」を尋ねたそうですが、それが捜査に影響を与えなかったと言えるでしょうか。マスコミや世論に対する検察の過剰な迎合は医療事故における医師の逮捕に結びつき、医療崩壊の一因となりました。強すぎる迎合姿勢は法の恣意的な運用に結びつく危険があり、司法への信頼性に影響を与えます。「被害者とともに泣く検察」という言葉は感情的な迎合姿勢を象徴したものと私には思われます。

 被害者の「処罰の希望」が妥当なものとなるためには、事故原因の明確な解明と理解が前提となります。事故が予想困難な原因による不可抗力、またはそれに近いものであれば処罰を要求する気持ちは小さくなります。逆に必要な注意義務を怠っていたとなれば処罰要求は大きくなるでしょう。

 JR側の過失がどんなものであったかはこれから争われることで、それが決まらない段階で処罰要求を尋ねることには問題があると思います。仮に検察側の主張に影響された認識の上での処罰要求ならば、これは意味のあるものとは言えないでしょう。

 もうひとつ気になる点があります。

 今後の裁判では事故の予見可能性が焦点になるとされています。96年にカーブを半径600mから304mに付け替えた、函館線のカーブでの脱線事故が例になったはず、など危険性を予見できたのに新型ATSを設置しなかったというのが検察側主張の要点とされています。

 一方、事故の直接の原因はスピード超過のままカーブに進入したこととされています。70km/hのところを116km/hですから1.66倍です。転覆の時に働いた遠心力は速度の2乗に比例しますから2.75倍となります。

 私達は車を運転していてカーブにさしかかるとき、このカーブは半径何mであるから時速何kmで進めば安全だ、などとは考えません。目前のカーブの曲率と速度との関係を直感的に判断して安全な速度に落とします。1.66倍というような大幅な超過には恐らく恐怖を感じるでしょう。この場合の体感速度は2乗の2.75倍の方に近いように思います。速度規制に加え、このような仕組みがあるので数千万台の車が転覆やはみ出しをせずに通行できているのだと思います。

 鉄道と同様、高度の安全を求められる公共交通機関であるバスでも同じで、大幅な速度超過で転覆することはないという前提で走っています。つまり運転者への信頼性は現在の交通体系の基本的な条件です。

 運転士のエラーに対する予見可能性は現在の交通体系に於ける運転者への信頼性に関係します。つまり速度超過による転覆事故が時折あるという認識では予見可能性はあったとなりますが、信頼性が十分でまず起こらないという認識であれば予見可能性はないと言えるでしょう。

 結局、予見可能性は事故確率とそれの許容限度の問題と言えるでしょう。しかし絶対的な基準があるわけでなく、航空機の事故率などを参考にして求めるしかないと思われます。裁判では確率を含めた客観性の高い議論を期待したいところです。

 もし判決が予見可能であったと認めれば、国や事業者はバスなど他の交通機関にも速度超過による転覆の可能性を見込んだ対策を迫られる可能性があります。速度超過による転覆事故に於いて、列車とバスを区別する合理的な理由はないと思われるからです。バスならたまには転覆してもよいというようなことはあり得ないでしょう。カーブの曲率に応じた速度制御信号を送信する機器を道路側に設置し、バス側に受信機と警報装置や制御装置を取り付ける方法は技術的には可能と思われます。

 9日の日経は「結果の重大性から、誰かを起訴しなければならないという結論ありきの捜査ではなかったか」という松宮孝明氏のコメントを載せています(逆に起訴を評価する土本武司氏の意見も同時に掲載)。また「米国などでは航空・鉄道事故で経営者個人の刑事責任を問わないのが原則。高度な技術が複雑に絡み合っているケースが多い上、訴追される可能性があると当事者らが真相を明かさず、原因究明や再発防止の妨げになるとの考えからだ」と記しています。

 責任追求は民事だけにして、被害者の報復感情より再発防止を優先するというのもひとつの見識だと思います。