毎年、8月のこの時期になるとメディアには戦争モノが目立つようになります。これを8月ジャーナリズムと呼ぶそうです。無難な定番ネタという理由が大きいと思いますが、かつて戦争に協力したという贖罪意識も少しはあるのでしょう。しかし戦争の悲惨さを個人体験などを通じて感情的に訴えるものはあっても、なぜあのような負け戦を始め、破滅に至るまで止めなかったのかという疑問に答える報道はあまり見あたりません。
さて、日本の戦法のなかで米国から見て異様、あるいは理解できないとされたものに特別攻撃隊、つまり特攻があります。自爆攻撃はイラクなどで有名になりましたが、一般的には自爆死することで天国へ召されるなどといった強い宗教的な動機でのみ可能になるものだと思われます。近代的な行政機能を備えた国家が組織的に大規模な自爆攻撃を実行したのは日本以外に恐らく例がないでしょう。一説によると特攻攻撃による戦死者数は4449名(人間魚雷回天による80名を含む)とされています。
特攻は主として航空機を使った自爆攻撃であり、スーサイド・プレーン(自殺飛行機)とも呼ばれます。その結果は自爆死とは呼ばず、散華という美化された言葉が使われます。全滅を玉砕と呼んだり、借金をローンと呼ぶのと同じであり、言葉ひとつでずいぶん印象が異なります。
特攻が組織的に行われたことは当時の日本社会には特攻を受け入れる素地があった可能性を示し、宗教の強い情熱に匹敵するものが存在していたことを示唆します。現在から考えると狂気の沙汰としか思えないことですが、それを正当化するものが社会を包んでいたのでしょう。
国家が戦争するとき、国をまとめるために民族主義やリーダーのもつ求心力が利用されるのはよくあることです。日本でも同様であり、国の存亡を訴えて民族主義を鼓舞したり、天皇が利用されました。注目したいことは、組織的な特攻や、玉砕という大規模な集団自殺が行われたのは日本以外には見られないことです。
日本だけに狂気のような攻撃が見られたわけですが、これには従順で真面目、付和雷同傾向という日本人の特性もあるのでしょうが、新聞の積極的な協力が不可欠な要素であったと思われます。多くの新聞がそろって、戦争に向けて国民を鼓舞する報道を繰り返さなければ、特攻攻撃までは実現しなかったと思われます。嘘も100回繰り返せば真実になる(ナチの宣伝相ゲッペルス)といわれますが、新聞はまさにそれを実行し、特攻の素地を作ったと考えられます。
新聞が軍部にすり寄ったのは満州事変の勃発直後とされています。軍部の圧力に屈し、仕方なくそれに従ったと戦後になって説明されていますが、実情はかなり違うようです。少なくとも新聞が積極的に国民を戦争へと鼓舞したことの説明にはなりません。ほとんどの新聞がそろって積極的な協力をしたようです(参考文献 前坂俊之著「太平洋戦争と新聞」)。
新型インフルエンザが流行ったとき、マスク姿が街にあふれたのは日本だけの特異な現象であるとされました。それは洪水のような横並び報道によるものであり、今も昔も日本のマスコミが一色に染まって横並びの報道をするという特性は変わらないようです。この特性があってこそ宗教の情熱に匹敵する狂信的な情熱を国民に広めることができたのだと私は思います。
かつて「日本の新聞はまるでプラウダだ」と横並び報道が批判されたことがあります。社会をある方向へ誘導することに於いて、付和雷同が得意な日本のマスメディアの能力は突出していると思われます。・・・もっともメディアが賢明でさえあれば問題ないのですが。
日本は船体に対し不釣合いなほど大きい舵を持った船のようです。明治維新後の近代化、戦後の高度成長など、舵がまともな方向に向けば大成功を収めますが、ひとつ間違えると破滅に至るほどの大失敗を招きます。この不安定さは近隣諸国から不安視される理由のひとつなのでしょう。
ゲッペルスが登場したので、ついでにヒトラーの「名言」を。
「大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない」
「彼らは熟慮よりも感情で考え方や行動を決める。その感情も単純であり、彼らが望むのは肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽か、のわかりやすさだ」
「肝要なのは、敵をひとつに絞り、それに向けて憎悪をかきたてることだ。言葉は短く、断定と繰り返しが必要だ」
一世紀近く前に書かれたものですが、なんか今のメディアの手口を明かされたような気がしますね。
さて、日本の戦法のなかで米国から見て異様、あるいは理解できないとされたものに特別攻撃隊、つまり特攻があります。自爆攻撃はイラクなどで有名になりましたが、一般的には自爆死することで天国へ召されるなどといった強い宗教的な動機でのみ可能になるものだと思われます。近代的な行政機能を備えた国家が組織的に大規模な自爆攻撃を実行したのは日本以外に恐らく例がないでしょう。一説によると特攻攻撃による戦死者数は4449名(人間魚雷回天による80名を含む)とされています。
特攻は主として航空機を使った自爆攻撃であり、スーサイド・プレーン(自殺飛行機)とも呼ばれます。その結果は自爆死とは呼ばず、散華という美化された言葉が使われます。全滅を玉砕と呼んだり、借金をローンと呼ぶのと同じであり、言葉ひとつでずいぶん印象が異なります。
特攻が組織的に行われたことは当時の日本社会には特攻を受け入れる素地があった可能性を示し、宗教の強い情熱に匹敵するものが存在していたことを示唆します。現在から考えると狂気の沙汰としか思えないことですが、それを正当化するものが社会を包んでいたのでしょう。
国家が戦争するとき、国をまとめるために民族主義やリーダーのもつ求心力が利用されるのはよくあることです。日本でも同様であり、国の存亡を訴えて民族主義を鼓舞したり、天皇が利用されました。注目したいことは、組織的な特攻や、玉砕という大規模な集団自殺が行われたのは日本以外には見られないことです。
日本だけに狂気のような攻撃が見られたわけですが、これには従順で真面目、付和雷同傾向という日本人の特性もあるのでしょうが、新聞の積極的な協力が不可欠な要素であったと思われます。多くの新聞がそろって、戦争に向けて国民を鼓舞する報道を繰り返さなければ、特攻攻撃までは実現しなかったと思われます。嘘も100回繰り返せば真実になる(ナチの宣伝相ゲッペルス)といわれますが、新聞はまさにそれを実行し、特攻の素地を作ったと考えられます。
新聞が軍部にすり寄ったのは満州事変の勃発直後とされています。軍部の圧力に屈し、仕方なくそれに従ったと戦後になって説明されていますが、実情はかなり違うようです。少なくとも新聞が積極的に国民を戦争へと鼓舞したことの説明にはなりません。ほとんどの新聞がそろって積極的な協力をしたようです(参考文献 前坂俊之著「太平洋戦争と新聞」)。
新型インフルエンザが流行ったとき、マスク姿が街にあふれたのは日本だけの特異な現象であるとされました。それは洪水のような横並び報道によるものであり、今も昔も日本のマスコミが一色に染まって横並びの報道をするという特性は変わらないようです。この特性があってこそ宗教の情熱に匹敵する狂信的な情熱を国民に広めることができたのだと私は思います。
かつて「日本の新聞はまるでプラウダだ」と横並び報道が批判されたことがあります。社会をある方向へ誘導することに於いて、付和雷同が得意な日本のマスメディアの能力は突出していると思われます。・・・もっともメディアが賢明でさえあれば問題ないのですが。
日本は船体に対し不釣合いなほど大きい舵を持った船のようです。明治維新後の近代化、戦後の高度成長など、舵がまともな方向に向けば大成功を収めますが、ひとつ間違えると破滅に至るほどの大失敗を招きます。この不安定さは近隣諸国から不安視される理由のひとつなのでしょう。
ゲッペルスが登場したので、ついでにヒトラーの「名言」を。
「大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない」
「彼らは熟慮よりも感情で考え方や行動を決める。その感情も単純であり、彼らが望むのは肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽か、のわかりやすさだ」
「肝要なのは、敵をひとつに絞り、それに向けて憎悪をかきたてることだ。言葉は短く、断定と繰り返しが必要だ」
一世紀近く前に書かれたものですが、なんか今のメディアの手口を明かされたような気がしますね。