噛みつき評論 ブログ版

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バブル本の被害者

2010-08-19 11:11:19 | Weblog
 ブックファーストの遠藤店長のブログが話題になっています。とても面白いものなのでご紹介します。(文中「池上バブル」とあるのは池上彰氏の本のバブルのことです)

『いま書店界で一番話題なのが、いつ「池上バブル」が弾けるかということです。最近の書店バブルに「茂木バブル」「勝間バブル」があります。書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やらいたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店「バブル」です。

「茂木バブル」は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりがスピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、バブルが弾けました。

「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、結果飽和状態になり、弾けました。

書店「バブル」になった著者は、自分の持っている知識なり、考え方が他の人の役に立てばとの思いで本を出すのだと思うのですが、そうであるならばなぜ出版点数を重ねる度に、「なんで、こんなにまでして出版すんの?」と悲しくなるような本を出すのでしょう。

すべて「バブル」という空気のせいだと思います。このクラスの人にお金だけで動く人はいないと思います。そうでなくてせっかく時代の流れがきて、要請があるのだから、全力で応えようという気持ちなのだと思います。

けれどそれが結果、本の出来に影響を与え、つまり質を落とし消費しつくされて、著者本人にまで蝕んでいくことは、悲しくなります。著者もそれが分からなくなってしまうほど、「売れる」というのは怖い世界なのかも知れません』

 ここで名指しされた茂木健一郎氏と勝間和代氏はそれぞれご自分のブログで感想を述べておられますが、これがまた興味深いものです。茂木氏のブログから一部を引用します。

 『ぼくは、今まで通りのやり方を変える気はないし、刊行点数を絞ろうとか、そんな知恵を働かせるつもりもない。本の出版は、出版社の方々の企画や、編集者の創意工夫、その他のパラメータで決まっていくもので、著者が意図して仕掛けられるものではない。
(中略)そもそも、ある本がバブルだとか、浮ついているとか、そんな評価をするのは、一緒に仕事をした編集者(生活がかかっており、時には社運をかけて、一生懸命やってくださっている)に失礼だし、何よりもお金を出して買ってくださり、読んで下さった読者に申し訳ない』

また勝間氏は8月13日のブログで以下のように書いています(一部を引用)。

『私の考えは、結論から言いますと、後から見ると「バブル」といわれるものの正体は、私は「将来へのオプション投資が一点に集中すること」だと思っています。

あとから振り返ると過剰投資と思えることでも、なにかチャンスがあった場合には、まずはそのオプションを買ってみよう、ということです。それは、関係者も当事者もということです。ですので、1人1人は真剣にそのオプションに投資をして、成功をさせようとしています。

なぜなら、バブルと言われようと、その投資を行った方が、単にバブルでないところで投資を行うよりも、それでも成功確率が高いと事前に判断しているからです』

 遠藤店長のテーマは、なぜ質を落としてまで出版を続けるの?というものですが、茂木氏はバブル現象は出版社や編集者などの条件で決まるものとし、勝間氏は価値があるという期待があるからこそ生じるものだ、とします。お二人に共通するのは「質の低下」を全く認めないことです。なんとも羨ましくなるほどの強烈な自信ですが、私のような凡人にはその根拠が理解できません。

 一方、遠藤店長の指摘に対して内田樹氏は、名指しはされていなくとも自分のことと受け止め、このお二人と対照的な態度をとられています。内田氏は今年に入ってから既に6冊を出版し、まもなく出るのが2点、校正待ちのゲラ7点、進行中のものが6点という超バブル状態なのですが、ご自身のブログで次のように書かれています。

『もちろん私が嬉嬉としてこれらの本を書いていると思われては困る。
ずいぶん以前から、新規出版企画は全部断っているのである。
にもかかわらずこれだけ大量の企画が同時進行しているのは、編集者たちの「泣き落し」と「コネ圧力」に屈したためである。
彼らだって、べつに私を「バブル」状態に追い詰めて、どんどんクオリティを下げて、読者に飽きられて、「歴史のゴミ箱」に投じられることを願って、泣き落としているわけではあるまい。
ひとりひとりはまごうかたなく善意なのである。
「よい本」を「いま読まれるべき本」を(そして「できれば利益のあがる本」を)出したいとつよく念じておられるのである。
編集者としては当然のことだ。
しかし、その「善意」も数が揃うと、「バブル」になる。
「なんで、こんなにまでして出版すんの?」とブックファーストの遠藤店長はおっしゃるが、それを言いたいのは私の方である。
バブルがはじければ(いずれ必ずはじける)、そのときは「善意の編集者」のみなさまもみな「ババ」をつかむことになる。
何を措いても「バブル」だけは回避せねばならない。
というわけで、この稿の結論はもうご理解いただけたであろうが、「ゲラは編集者のみなさんの手元には、ご期待の期日までには決して届かないであろう」ということである。
申し訳ないが、しばらく「塩漬け」にさせていただく』

 翌日(8/14)のブログには
『私の場合は、日程がタイトであれば、書きもののクオリティはあらわに下がる。
十分に推敲する時間がなければ、文体もロジックも例証も、どれにも瑕疵が生じる』
と書かれています。これは茂木氏と勝間氏は急いで書いてもなぜクオリティが落ちないのですか?という問いかけとも受けとれます。

 読者の立場で言えば、本のクオリティこそがもっとも大切であり、遠藤店長と内田樹氏を支持したいと思います。バブルの最大の被害者は本の購入者です。代金だけでなく、時間をも失います。そして、なかには誤った考えに「感染」する人もいるかもしれません。