昨年、NHK教育テレビで繰り返し放送された、政治哲学者マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が大きな話題になりました。授業の巧みな進め方、身近な例を使ったわかりやすい説明によって、正義というあまりなじみのなかったテーマがとても魅力的に見えました。
授業の人気はむろんサンデル教授の力によるものだと思われますか、今の時代が「正義論」要求しているという背景もあったのではないでしょうか。
戦前の日本では儒教の影響下に作られた価値観、倫理観が広く存在し、なかでも知識階級である武士の社会では後に武士道といわれるようになった価値観が支配的でありました。その一方、商人の社会では実利を追い求める人々も存在したと思われます。
戦後、そうした旧来の価値観の多くは軍国主義との関係を疑われ、その多くが否定されました。しかし実利を求める価値観だけは生き残りました。高度成長期を経て、それはより豊かな生活を目指す価値観として、すっかり定着した感があります。
「日本はなくなり、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、抜目がない経済的大国が残っているであろう」という三島由紀夫の予言どおりとなりました。
近年、新自由主義の経済学者の一部はこれに乗り、経済成長こそが最大の価値であるような風潮をばら撒き、さらにこの傾向を推し進めました。まるでシャイロック(*1)を崇拝するかのように。その結果、物質的豊かさを求める価値観が社会全体を覆ったように見えます。他の価値観はないに等しい状態でしたから。
その後リーマンショックが起こり、新自由主義やグローバリズムの欠陥が露わになりました。それを契機として新自由主義は色褪せ、同時に新自由主義が基盤としていた豊かさの追求という価値観に対して、疑問を感じる風潮が広がっていたのではないかと思います。このような背景があったからこそ、サンデル教授の正義論が多くの人を惹きつけたのではないでしょうか。
戦後、実利の追求はあたりまえであり、それを恥ずかしく思うことはありませんでした。逆に、正義という言葉を口にするのはなんとなく気恥ずかしいような雰囲気がありました。それどころか正義は偽善と理解される恐れが多分にありました。利己主義を前提に組み立てられた社会といった感じです。これは戦後教育のおかげかもしれません。
それはともかく、人々の関心が物質的豊かさの追求だけでなく、他のものに向けられるのは好ましいことです。物資の浪費を伴わない価値観もあるわけですから。物資は有限ですから、誰かが多く取れば他は取り分が減ることになり、争いの原因となります。
それに、より多くの豊かさを求め続け、どこまでいっても「足るを知る」とならなければ、グリード(強欲)と見られこそすれ、決してエレガントとは見られないでしょう。
(*1)シェイクスピアの「ベニスの商人」に登場するユダヤ人の金貸し
授業の人気はむろんサンデル教授の力によるものだと思われますか、今の時代が「正義論」要求しているという背景もあったのではないでしょうか。
戦前の日本では儒教の影響下に作られた価値観、倫理観が広く存在し、なかでも知識階級である武士の社会では後に武士道といわれるようになった価値観が支配的でありました。その一方、商人の社会では実利を追い求める人々も存在したと思われます。
戦後、そうした旧来の価値観の多くは軍国主義との関係を疑われ、その多くが否定されました。しかし実利を求める価値観だけは生き残りました。高度成長期を経て、それはより豊かな生活を目指す価値観として、すっかり定着した感があります。
「日本はなくなり、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、抜目がない経済的大国が残っているであろう」という三島由紀夫の予言どおりとなりました。
近年、新自由主義の経済学者の一部はこれに乗り、経済成長こそが最大の価値であるような風潮をばら撒き、さらにこの傾向を推し進めました。まるでシャイロック(*1)を崇拝するかのように。その結果、物質的豊かさを求める価値観が社会全体を覆ったように見えます。他の価値観はないに等しい状態でしたから。
その後リーマンショックが起こり、新自由主義やグローバリズムの欠陥が露わになりました。それを契機として新自由主義は色褪せ、同時に新自由主義が基盤としていた豊かさの追求という価値観に対して、疑問を感じる風潮が広がっていたのではないかと思います。このような背景があったからこそ、サンデル教授の正義論が多くの人を惹きつけたのではないでしょうか。
戦後、実利の追求はあたりまえであり、それを恥ずかしく思うことはありませんでした。逆に、正義という言葉を口にするのはなんとなく気恥ずかしいような雰囲気がありました。それどころか正義は偽善と理解される恐れが多分にありました。利己主義を前提に組み立てられた社会といった感じです。これは戦後教育のおかげかもしれません。
それはともかく、人々の関心が物質的豊かさの追求だけでなく、他のものに向けられるのは好ましいことです。物資の浪費を伴わない価値観もあるわけですから。物資は有限ですから、誰かが多く取れば他は取り分が減ることになり、争いの原因となります。
それに、より多くの豊かさを求め続け、どこまでいっても「足るを知る」とならなければ、グリード(強欲)と見られこそすれ、決してエレガントとは見られないでしょう。
(*1)シェイクスピアの「ベニスの商人」に登場するユダヤ人の金貸し