キリスト教徒の親をもつ子はキリスト教徒に、イスラム教徒の親をもつ子はイスラム教徒になる可能性が圧倒的に高いといわれます。これは幼少期の環境が支配的な影響を与えることを示す好例です。そうして成人した者は他の宗派の者、無心論者との間に越え難い溝を生じ、相互理解を困難にします。
オウム真理教は過激な思想を持ちながら多くの信者を集めましたが、その多くは年少者でした。年少者は知識・経験が少なく、判断能力が乏しいために、易々と信じ込まされる傾向があります。重罪を犯した人たちもオウムに接触していなければまっとうな生涯を送れたことでしょう。年少者にとって「外部の力」がいかに恐ろしいかを物語っています。
オウムはそれをよく知っていたわけです。オウムと同様、賢い朝日新聞もそのことはよくご存知のようで、小中学生ならばもっと効果的だとお考えになったのでしょう。この時期に強烈なインパクトを与えればその効果は永続的だと。
松江市教育委員会が学校図書室での「はだしのゲン」の閲覧を制限をしたことに対して、「発達段階にあるからこそ、子どもたちが本を自由に読む機会も、最大限に保障されなければならない(朝日)」「知る権利の侵害」などと批判が巻き起こりました。社説でこれを取り上げたのは朝日(2回)、毎日、東京と、おなじみの顔ぶれです。
8月27日の朝日の夕刊には「はだしのゲン」から次のような中国戦線における残虐場面が画とともに引用されています。
「首を面白半分に切り落としたり」「刀剣術の的にしたり」「妊婦の腹を切りさいて赤ん坊をひっぱりだしたり」「女性の性器のなかに一升瓶がどれだけ入るかたたきこんで骨盤を砕いて殺したり」
これを小学生に読ませてもよいという感覚はとても理解できません。なんとも残虐な行為ですが、事実だとしても、恐らくこれは極端な例を集めたものでしょう。しかし子供は日本軍は悪鬼の集団だと思う可能性があります。大人には軍のひとつの側面と理解できますが、子供ではそうはいかず、誤った認識を与えることになります。
過激な性描写のある本を小中学生に与えれば、幼い頭はそれに占領されてしまいます。過激な暴力本も同じです。野放しにすれば異常性欲人間や暴力人間が出来上がる可能性があり、制限には合理性があります。発達段階にあるからこそある程度の制限は必要です。また「知る権利の侵害」というのであれば右翼漫画も図書室に置かなければなりません。置かれなかった漫画は閲覧制限を受けていることになりますから。
ウィキペディアによると「はだしのゲン」は少年ジャンプに連載されたあと、左派系オピニオン雑誌『市民』に連載、次に日本共産党系の論壇誌である『文化評論』に連載、その後、日教組の機関紙『教育評論』に連載。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となったとあります。
掲載誌の履歴を見ればこの漫画がどういう性格のものか、想像がつきます。とりわけ後半は掲載誌の意向に作者が迎合した可能性もあります。今回「はだしのゲン」が大きな騒ぎになったのは、日教組お気に入りの反戦漫画ということで小中学校の図書館で特別扱いされていたという特権が危うくなったからだと考えれば納得がいきます。
無垢な、判断力のない子供の頭を宗教や思想、特定の考え方に染め上げるのは洗脳に近い行為です。アンフェア、卑怯な行為です。幼少期に教え込まれたものは変わりにくく、特定の価値観・歴史観を持つ硬直的な集団を生みます。それは社会に「話の噛みあわない一群」を作り上げることにもなります。戦争の原因ともなる宗教対立は双方が理解できない、話が噛みあわないことが主因であり、解消は極めて困難であることを想起していただきたいと思います。
戦争を防ぐには、戦争の残酷さを感情に訴えるだけではなく、政治体制の問題や国際環境、満州事変以後の新聞の積極的な協力など、戦争に至ったさまざまな要素をも学ばせる必要があります。また上記の残虐行為には、新聞が戦争を煽ったという時代背景があったことも教える必要があります。これらには先生方の勉強が必要ですが・・・。
その後、批判を浴びてその措置が撤回されたことを、朝日は8月27日の朝刊一面トップ、社会面の約2/3、同日夕刊の社会面のほぼすべてを使って掲載しました。輝かしい勝利宣言です。そこに載せられたコメントはやはり閲覧制限に反対するものばかりです。
この熱意、この力の入れようは尋常ではありません。将来の朝日読者(信者)を確保すめためという「下心」もあるでしょうが、判断力のない子供に対する思想教育を邪魔するものには容赦しないという朝日新聞の強いメッセージが込められているようです。メッセージというより脅し、思想弾圧のようです。まあ朝日を日教組の機関紙だと考えれば実によく分かる話なのですが。
オウム真理教は過激な思想を持ちながら多くの信者を集めましたが、その多くは年少者でした。年少者は知識・経験が少なく、判断能力が乏しいために、易々と信じ込まされる傾向があります。重罪を犯した人たちもオウムに接触していなければまっとうな生涯を送れたことでしょう。年少者にとって「外部の力」がいかに恐ろしいかを物語っています。
オウムはそれをよく知っていたわけです。オウムと同様、賢い朝日新聞もそのことはよくご存知のようで、小中学生ならばもっと効果的だとお考えになったのでしょう。この時期に強烈なインパクトを与えればその効果は永続的だと。
松江市教育委員会が学校図書室での「はだしのゲン」の閲覧を制限をしたことに対して、「発達段階にあるからこそ、子どもたちが本を自由に読む機会も、最大限に保障されなければならない(朝日)」「知る権利の侵害」などと批判が巻き起こりました。社説でこれを取り上げたのは朝日(2回)、毎日、東京と、おなじみの顔ぶれです。
8月27日の朝日の夕刊には「はだしのゲン」から次のような中国戦線における残虐場面が画とともに引用されています。
「首を面白半分に切り落としたり」「刀剣術の的にしたり」「妊婦の腹を切りさいて赤ん坊をひっぱりだしたり」「女性の性器のなかに一升瓶がどれだけ入るかたたきこんで骨盤を砕いて殺したり」
これを小学生に読ませてもよいという感覚はとても理解できません。なんとも残虐な行為ですが、事実だとしても、恐らくこれは極端な例を集めたものでしょう。しかし子供は日本軍は悪鬼の集団だと思う可能性があります。大人には軍のひとつの側面と理解できますが、子供ではそうはいかず、誤った認識を与えることになります。
過激な性描写のある本を小中学生に与えれば、幼い頭はそれに占領されてしまいます。過激な暴力本も同じです。野放しにすれば異常性欲人間や暴力人間が出来上がる可能性があり、制限には合理性があります。発達段階にあるからこそある程度の制限は必要です。また「知る権利の侵害」というのであれば右翼漫画も図書室に置かなければなりません。置かれなかった漫画は閲覧制限を受けていることになりますから。
ウィキペディアによると「はだしのゲン」は少年ジャンプに連載されたあと、左派系オピニオン雑誌『市民』に連載、次に日本共産党系の論壇誌である『文化評論』に連載、その後、日教組の機関紙『教育評論』に連載。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となったとあります。
掲載誌の履歴を見ればこの漫画がどういう性格のものか、想像がつきます。とりわけ後半は掲載誌の意向に作者が迎合した可能性もあります。今回「はだしのゲン」が大きな騒ぎになったのは、日教組お気に入りの反戦漫画ということで小中学校の図書館で特別扱いされていたという特権が危うくなったからだと考えれば納得がいきます。
無垢な、判断力のない子供の頭を宗教や思想、特定の考え方に染め上げるのは洗脳に近い行為です。アンフェア、卑怯な行為です。幼少期に教え込まれたものは変わりにくく、特定の価値観・歴史観を持つ硬直的な集団を生みます。それは社会に「話の噛みあわない一群」を作り上げることにもなります。戦争の原因ともなる宗教対立は双方が理解できない、話が噛みあわないことが主因であり、解消は極めて困難であることを想起していただきたいと思います。
戦争を防ぐには、戦争の残酷さを感情に訴えるだけではなく、政治体制の問題や国際環境、満州事変以後の新聞の積極的な協力など、戦争に至ったさまざまな要素をも学ばせる必要があります。また上記の残虐行為には、新聞が戦争を煽ったという時代背景があったことも教える必要があります。これらには先生方の勉強が必要ですが・・・。
その後、批判を浴びてその措置が撤回されたことを、朝日は8月27日の朝刊一面トップ、社会面の約2/3、同日夕刊の社会面のほぼすべてを使って掲載しました。輝かしい勝利宣言です。そこに載せられたコメントはやはり閲覧制限に反対するものばかりです。
この熱意、この力の入れようは尋常ではありません。将来の朝日読者(信者)を確保すめためという「下心」もあるでしょうが、判断力のない子供に対する思想教育を邪魔するものには容赦しないという朝日新聞の強いメッセージが込められているようです。メッセージというより脅し、思想弾圧のようです。まあ朝日を日教組の機関紙だと考えれば実によく分かる話なのですが。