噛みつき評論 ブログ版

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国民から憲法改正の権利を奪う

2017-10-16 09:07:38 | マスメディア

 憲法は政権が勝手なことができないように政権を縛るものである、という文言はしばしばメディアなどに登場する。まあその通りだとしよう。しかし、それではその憲法を作ったり改正したりするのは誰か、というところまでは何故か話が及ばない。かつて王権神授説というのがあったが、苦しいインチキである。現行憲法では憲法改正は国民投票によることになっているが、今まで約70年間、憲法改正の投票は実施されたことがない。

 日本国憲法第96条の1には次のように書かれている。
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 また総務省の資料には、憲法を改正するところが複数あった場合は
憲法改正案は、内容において関連する事項ごとに提案され、それぞれの改正案ごとに一人一票を投じることとなります。
とされている。

 国会での発議は護憲派の反対のおかげで、70年間、通ったことがない。それは国民から投票、つまり国民の意思表示の機会を70年間奪ってきたことである。国民の重要な権利を妨げてきたとも言える。

 国民の権利を声高に主張する政党やメディアが極めて重要な権利を奪ってきたのである。つまり警察が裏で犯罪を犯したり、消防が放火する、聖職者が子供を犯す(これは米国の複数のカソリック教会で数百人規模で行われていた)ようなものである。明らかな自家撞着であるにもかかわらず、この護憲派が国民の権利を奪ってきたという議論を目にすることはあまりない。

 上で触れたように憲法改正案は、内容において関連する事項ごとに提案され、それぞれの改正案ごとに一人一票を投じる、とあるので、細かな選択が可能である。決して憲法改正に賛成か反対かを迫るものではない。

 むろん護憲派が国民の権利を奪ってきたという議論はときおり目にする。しかし重要な割には周知されていない。その理由はやはりメディアにあると思う。国会の段階で憲法改正を阻止しようとする勢力にとってはそれは不都合な真実なのである。そして彼らは国会の段階で阻止しなければ国民投票によって改正される可能性を恐れているわけである。国民の権利を取り上げていることを知られないための方策なのである。