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オリンピック過熱報道

2018-02-18 23:47:34 | マスメディア
 土曜日の夜7時のNHKニュース、フィギュアの羽生選手の演技を2回も放送した。1回目は少しカットがあったが2回目はカットなし、これだけで10分間ほど潰した。そしてフィギュア関係だけで20分間ほど費やした。30分間の内、大半がオリンピック関連である。この7時のニュースの前も、その後もオリンピック、いくら何でもやり過ぎではないか。多くのニュースが没にされたのだと思う。民放も同様で、同じ映像が各局で繰り返し放送された。

 視聴者は様々である。全身、頭の中まで筋肉で出来ているのかと思えるようなスポーツ人間もいれば、スポーツなどに全く関心を示さない人間もいる。多くは両者の中間にあって、テレビが騒いだ時だけオリンピックに興味を持つ浮動票のような存在であろう。誰もがオリンピック好きではない。スキーやスケートなどの競技はオリンピック以外にも多く行われているが、地上波テレビで放送されることはほとんどない。これらは野球や相撲に比べてはるかに人気が低いからである。

 オリンピック人気はテレビを主とするメディアの演出によって作られたものと言える。そのお祭りによってテレビは収益を得るのだろう。それはテレビが巨額のカネを払ってまで放映権を手に入れることで説明できる。それにしても欧州のテレビ中継の時間に合わせるためだろうが、屋外競技を酷寒の深夜にすることはやり過ぎであろう。こんな不自然なことがあまり批判されないことも不思議である。メディア自身が利害関係者であるためと推定できる。批判すれば自身に矛先が向いてくる可能性があるからである。

 今回のオリンピックは商業化に加えて政治化もなかなかハイレベルである。こちらの方の批判は少しあるが強いものではない。オンピックから利益を得ているものとしては現状を変えたくないのだろう。2020年の東京オリンピックは酷暑が予想されるが、これに対する批判もあまり聞かれない。利益を享受する当事者であるためだろうか。酷寒では死者はまず出ないが、酷暑でのマラソンなど長時間競技ではその可能性すらある。真夏の開催になったのは米国のテレビの都合によるとも聞く。何人かの死者がでなければオリンピックのメディア偏重は改まらないと思う。

 過熱しているのはNHKだけではない。民放も同じであると思う。メディアスクラムという言葉は大事件のときによく使われるが、オリンピックも同様であろう。一見、協調性があるように見えるが、実は単なる付和雷同である。日本のメディアの抜きがたい特性だと言ってよい。戦前、朝日をはじめとする新聞は国民を鼓舞し、大いに戦争を煽った。付和雷同と反対意見を許さない空気の醸成は日本人の特性かも知れない。本来、国民が何かに熱狂した時、それを冷静にさせるのがメディアの役割であろう。メディアは多少マシな知性と見識を持つ筈だからである。メディアが一緒になって、あるいは率先して熱狂しては話にならない。

 余談であるが大雪のニュースも少しあった。その中で、テレビは車を止めて待機する場合、排気ガスが室内に流入する危険があるから「マフラー」の周囲の雪を除く必要があるという話を繰り返し行った。実は「マフラー」は消音器のことで排気管の中間に設置された消音のための箱のようなものであって、その周りの雪を除いても意味がない。必要なのは排気管の出口付近の雪を取り除くことである。マフラーと排気管出口(エキゾーストパイプ)を取り違えているのだと思う。民放だけでなくNHKまでも間違っているようだ。私の知る限り、「排気管」と言ったテレビはない。大した問題ではないが、この程度の知識はあって欲しいと思う次第である。メディアにとって、言葉は商売道具なのだから。