噛みつき評論 ブログ版

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「人の受難を消費財となす」

2011-06-16 09:33:19 | マスメディア
 12日の朝日新聞天声人語は世界報道写真展について書かれたもので、いろいろな意味で読み応えがありました。

『今年の大賞は、正視するのがつらい。鼻を切り落とされたアフガニスタンの若い女性が、おびえと悲しみを湛えた目を、しかし決然と、レンズに向けている」「暴力をふるう夫から実家へ逃げ帰ったが、反政府武装勢力タリバーンに「逃亡の罪」を宣告され、夫に鼻と耳をそぎ落とされた-と説明がある』

 そして長崎で被曝し、顔の半分にケロイドが残った女性の50年前の写真を例に挙げ、写真展を見ると世界を覆う悲痛の多さに胸が痛む、と述べます。ここまでは報道の大切さを教える適切な説明です。しかしそれに続く最後の一節はどうでしょうか。

『報道の使命と、人の受難を「消費財」となす錯誤は、ほとんど一歩のきわどい距離にあろう。その一歩の逸脱なきや。自戒しつつの、日々のコラム執筆となる』

「報道の使命と、人の受難を消費財となす錯誤・・・」という一節は、報道人としてたいへん立派なお心がけに見えます。人の受難を消費財とするとは、ひらたく言えば人の不幸を食いものにすることです。

 しかし、数ヶ月前のカンニング報道や、芸能人が深夜の公園で裸になったときの集中報道などはどう考えても報道の使命から生じたものとは思えず、この「立派なお心がけ」とは一歩どころか、私には数千歩の距離があるように思えるのです。

 また「人の受難を消費財となす錯誤」とありますが、錯誤とは間違いという意味で、どちらかというとうっかりミス、過失というニュアンスがあります。メディアが人の受難を食いものにするのは決してうっかりミスなどではなく、とうの昔から故意の、確信に基づくものがほとんどだと思われるので、錯誤という言葉はふさわしくありません。

 むしろ「人の不幸を食いものにする誘惑」と言うのが適切でしょう。錯誤という言葉は故意を過失と言い換えるもので、身内に甘い自己弁護のお気持ちがしっかりと感じられます。朝日を代表する執筆者が言葉を誤用するとは考えられず、これは「故意の粉飾」と理解するのが自然です。

 しかしそうは言っても、看板コラムである天声人語が、人の受難を食いものにするというメディアの側面に本音で言及したことは評価できます。この立派なお心がけが全社に広まり、現実の紙面との距離が「一歩」でも近づくことを期待する次第です。


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