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40日の裁判員裁判は詐欺同然(2)

2010-11-28 23:01:57 | マスメディア
 これは11月4日の記事の続きです。

 鹿児島の高齢夫婦殺人事件では裁判員候補の約8割が辞退したため、数が足らなくなって名簿からの抽出を2回して呼び出し状の総数を増やし、34人の出席を得たとされています。そこから裁判員6人と補充裁判員4人が選ばれました。

 一般論としてですが、40日もの長期にわたって時間を空けることのできる人は限られます。有用な仕事をしている人のほとんどは不可能でしょうから、裁判員に無職者の比率が高くなることは十分考えられます。むろん無職者は裁判員として不適当だとは一概には言えません。職に就かないことには様々な理由があることでしょう。しかしその中には高齢やその他の理由によって記憶力や理解力などに問題がある例が比較的高い割合を占めていることは容易に推定できます。

40日といった否認事件の裁判ではその長い期間に得られた多くの情報に軽重の評価をし、さらにそれらの関連を理解して、総合した上で結論を出すという、優秀な人でも困難な作業が必要になります。1ヵ月前の記憶は忘れるか、薄れがちになるでしょうし、直近の記憶は鮮明で印象も強くなります。そんな状況で記憶の強弱に影響されず判断することはたいへん難しいことです。もし誰かが作った要約を参考にすればその作成者の影響を受けてしまうこと避けられないでしょう。

 長期裁判の場合、裁判員は時間を作れるかどうかによってスクリーニング(ふるい分け)された国民から選ばれるわけで、裁判員に偏りが生じる危険性があります。例えば、引退した高齢者などの割合が高くなることが考えられます。裁判員は常識を備えた一般国民というのが裁判員制度の建前ですが、このケースのようにスクリーニングされた裁判員はその建前すら満たしません。

 建前すら、と言ったのはスクリーニングがない場合でも、裁判員として想定される抽象的な一般国民というものはあり得ず、その都度くじで選ばれる6名の集団、ひとつ一つ性格が異なる集団によって裁かれるという、被告にとっては当たり外れが避けられない事実があるからです。スクリーニングは当たり外れをいっそう拡大することでしょう。

 以前、朝日新聞は知的障害者を裁判員にさせる取組みを好意的に紹介していましたが(関連拙文)、そこには国民からくじで選ぶという形式さえ満たされれば、公正な裁判に必要な裁判員としての判断力など考慮しないといった形式優先の考えが見られました。

 鹿児島の高齢夫婦殺人事件の裁判員の選任にも同様の危惧があり、被告を適切に裁くという裁判の本来の意味が軽視されているのではないかという懸念を拭えません。司法に国民を参加させるといったきれい事が実現されても、裁判そのものの機能が低下しては本末転倒です。刑事裁判は何よりも被告のためにある筈ですが、現状は形式さえ整えばよいという考えが優先されているように思います。

 郵便不正事件で村木厚子さんの弁護人をつとめた広中惇一郎弁護士は、裁判官によってかなり差があるとした上で、次のように述べています(世界12月号 P66)。
「自分のケースを見ても、無罪が取れた事件というのは、弁護人から見ると裁判官が非常に公正で良心的でクレバー(頭の切れる)な方でした。そうでない時は、ひどい結果になっていることは少なからずある」

 できる限り適正な裁判を行うためには、逆に、社会経験や理解力など適正な判決を出すための適性を満足するためのスクリーニングが必要ではないでしょうか。スクリーニングされた職業裁判官ですら差があるわけですから、くじで選ばれる裁判員の資質に大きな差があるのは疑いようのない事実です。しかしそれに対しては何らの考慮もされていません。被告にとっては、裁判員の生半可な理解でもって、生死にかかわるような判決を下されてはたまったものではありません。


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