噛みつき評論 ブログ版

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イージス艦衝突事故、なぜか自衛隊ばかり叩かれる

2008-02-28 16:18:55 | Weblog
 朝日やNHKはイージス艦の衝突事故を連日トップで取り上げました。報道を見ていると、自衛艦が一方的に悪い、という印象を受けます。そして同規模の海難事故と比べ異常なほどの報道の大きさに違和感を覚えます。まるで自衛隊に潜在的な憎しみをもっているかのようです。

 両船の航跡図を見る限り「あたご」の右前方から接近してきた清徳丸が右に舵を切り「あたご」の進路上に向かってきたように見えます。防衛省は清徳丸は前方約100メートルで大きく右にかじを切った、としています。清徳丸のコースは素人目にも不可解です。それに小型船なら、直前の回避動作も可能でしょう。

 事故の調査が終わっていない段階で、まして双方の過失が明らかでないときに、予断をもって、自衛艦や自衛隊を非難する調子の記事を連ねることは疑問です。政治的な意図があるのでは、と感じます。

 自衛艦側の過失の大きさは相手側の過失によって相対的に決まるものですから、双方の過失を調べる必要があります。非難はその後でよいのです。漁船にとっては痛ましい事故ですが、事故原因に関する報道は中立かつ冷静であるべきはあたりまえです。

 事故の責任を問い、防衛相の辞任を要求している野党がありますが、マスコミの自衛隊非難報道に乗せられて、事故原因の特定もできていない時点での辞任要求は軽率であるばかりか、メディアリテラシーの欠如が疑われます。また悲惨な事故をすぐさま自党の利益に利用しようとする行為は浅ましく、見苦しく感じます。

 誰も漁船側の過失に言及しないのはなぜでしょうか。マスコミが一斉に自衛隊非難に向いているとき、漁船側の過失に触れることはご法度なのでしょうか。戦時中の、異論が一切許されなかった時代に少し似ています。法的な強制はなくとも、実質的には言論の自由が制限されるわけです。

 一方で、マスコミが自衛隊に厳しすぎる態度をとり続けていることによる長期的な影響が考えられます。社会から認められる仕事を選びたいのは誰でも同じですから、マスコミの姿勢は自衛隊の人材の問題に悪影響を与えることでしょう。

 かつて自衛隊員の体格の平均値が他より劣っていることが問題になったことがありました。応募者が少ないために、選抜が十分できなかった結果です。

 国立大学の原子力関係学科の学生数は、1994年度から2006年度の間に10分の1以下にまで落ち込みましたが、その背景には常に反原発運動に味方する報道があったものと考えられます。優秀な人材の減少は事故の危険性を増やします(前回のコラム参照)。

 イージス艦衝突事故を大きく報道すれば、事故の再発防止に少しは役立つかもしれません。しかし、過度の報道は同時に自衛隊の質に悪影響を及ぼすことも理解すべきです。

 このようなことが続けば、自衛隊の要員確保ができなくなり、徴兵制もやむを得ず、ということになりかねません。自衛隊をいじめすぎて徴兵制、原発を叩きすぎて大事故、まあ皮肉としては面白いですが・・・。

 マスコミは、原発や自衛隊、医療など、社会に必要な機能に対して、ふさわしい評価を与えることの必要性を理解できないようです。日経の調査によれば「働きがい」は「自分の成長」や「達成感」などが上位で、賃金は7位であったそうです(02/25朝刊)。

名実とも「人はパンのみで生きるにあらず」という時代なのです。


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2 コメント

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国民と国家の分水嶺 (porepore)
2008-03-13 19:47:39
はじめまして。

2月19日早朝に起きたイージス艦「あたご」と民間漁船「清徳丸」の衝突事故は、政府の対応をめぐり非常に興味深い事例を提供しているように感じます。

国民もメディアも既に関心を失ってますが、いつも通りの消化不良である、というのが私の率直な感想です。問題に通暁しているわけではありませんが、与野党の上層部は中身をどこまで情報公開に踏み切るつもりだったのか。事故発生後に態度が二転三転ししていた点を考慮しても、防衛省内の情報統制が執れず四苦八苦しているように思いました。中でも最も印象的だったのが、事故直後に捜索の為と称し、自衛隊だけにとどまらず、文科省傘下の海洋調査船までもが動員されたのは驚きに値します。常々腰の重い官僚がこれほどまでにスピーディーな動きを見せたことは他に例を見ないのではないでしょうか。そうまでしてその時間にその場で何をしていたのか。様々な疑惑や憶測はあるものの、もっと重要な点を私たちは見逃しているように思えます。

一番の問題は、国家権力(自衛隊もその傘下の一部として)と国民との間にある心理的な距離の乖離が問題であるように思えます。同じような事故が例えばスウェーデンのような国で起きたらどうでしょうか?おそらく今回起きた日本の事例のように、あいまいな形で終始することはなかったと思います。国民にも幾分か納得する形で一定の情報公開が行われていたと思います。無論、大国と小国とでは国のあり方そのものに違いがあるので単純に比較・検討すること事態ナンセンスかもしれません。マスメディアも事実上、国家機関の傘下の一部です。昨今の「捕鯨問題」に代表されるように沈黙したままである、というのはいささか危険に思えます。

話がそれてしますのですが、おそらく、二十歳前後の私のような人間にとって、生きている間に憲法が改正されることは現実的であるように思えます。私の懸念にすぎませんが、先の世界大戦のように国民が「置いてきぼり」にならないことを切に願って止みません。

記事の中で、徴兵制に繋がる、というのは少なからず論理の飛躍のように感じます。本格的に近隣諸国との対立を想定する、というのなら話は別ですが、中長期的な視野から見ても国際関係上、失うものも多く極めて非現実的な帰結のように思えます。

朝日新聞の報道姿勢には私も否定的な見解を持っているのですが、僭越ながら管理人様のサイトでは、中立というよりも朝日新聞に対する批判が目立つように思えます。右派の産経、左派の朝日にしても共に対外的なスタンスがはっきりしており、都合の悪い点を捨象してしまうほどの恣意的な事実の歪曲、膨張や針小棒大になる傾向が散見されます。読者には「眉唾」ものの姿勢で取り組むことが重要なのですが、どちらか片方の主張ばかりに傾倒してしまうのが現実のようです。私自身若い世代ですが、周りの人間の多くが右派の傾向を持っている、というのが現状です。
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RE 国民と国家 (okada)
2008-03-14 21:34:48
コメント、ありがとうございます。内容が多岐にわたり、すべてお答えするのが難しいのですが、まず、徴兵制の話は皮肉か冗談のつもりですので、ご了承下さい。

私が朝日を批判対象にするのは購読紙であることと、記事に色をつける傾向が強いと感じるからです。戦後大きい影響を持った共産主義の影響を受けた人は徐々に減ってきているようです。朝日もあと10年もすると左派社員が少なくなるだろうと予想する人もいます。

左派の影響を強く受けた人は世界観や現状認識が異なり、現実性が薄いように感じます。国民と国家を必要以上に対立的に捉えたりする傾向も見られます。

左派は左派系のメディア、右派は右派系のメディアに接することが多く、両者の溝はなかなか埋まりません。

左右どちらにしろ、イデオロギーを軸にした認識は客観性を損ないます。

軍の保有は抑止力のために必要だと思いますが、昔のように侵略しに行く心配はないでしょう。植民地時代のような、軍事力による侵略が国益になる情勢はまずやってこないでしょう。
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