11月1日のテレ朝モーニングショーは見ごたえがあった。安田純平英雄論の玉川徹氏と橋下徹氏の論戦が1時間ほどもあったからである。橋下氏を出演させたテレ朝を評価したいが、結果は玉川氏の完敗であったと思う。そうなることは容易に予想できたが、それはテレ朝には不本意な結果であったかもしれない。ただ玉川氏は意識的かどうか知らないが、論点のすり替えが多く、議論が噛み合ってなかった。
橋下氏と玉川氏、お二人とも同じ日本人であり、ずいぶん広い知識と長い経験をお持ちと思うが、なぜこれほど見解が異なるのか、ということについて考えてみたい。
玉川氏の論理は前回述べた通りで、権力者は隠したがる→それを暴かなければ民主主義は機能しない→だからジャーナリストは大不可欠の存在である→従って情報提供に命を懸けた安田さんは英雄だと、簡単に言えばこういう筋書きである。確かにこの話はわかりやすい。子供でも分かる。しかし現実的とはとても言えない。
前回、権力者=(悪)、民主主義(善)、ジャーナリスト(善)などの概念を純粋化していることが思考の単純化につながり、現実離れした結論を導くと述べた。では玉川氏のような人は何故このような思考方法をとるのだろうか。
子供向けの童話や漫画では善玉と悪玉が明確に描かれる。人間は善と悪が入り混じっているのが普通だが、子供向けの話では子供の理解能力に合わせてわかりやすさが優先される。漫画の主人公はいつも単純な100%正義の人であり、悪者は様々なタイプがあって面白いが、たいてい100%の悪である。「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男は善悪が入り混じった例外であるが、そのために大人も楽しめる。
子供は成長するにつれ、純粋な概念では現実を正確に反映しないことを学んでゆく。100%正義の人も100%悪人も現実にはいないことを、民主主義は欠点がいっぱいあることなどを理解できるようになる。しかし成長の過程には当然ながら個人差がある。早い人もあれば遅い人もある。
少し似たような話なので紹介するが、「20歳で社会主義者でなければ、情熱が足りない。30歳でもそうならば、頭が足りない」 これは仏首相クレマンソーの言葉だそうだが、チャーチルの言葉として有名である。多くのバージョンがあり、引用が重ねられてきたことを示している。出典はともかく、これだけ引用されるにはこの言葉に納得できるものがあると思う人が多いからだろう。30歳を超えてもなお子供並の若々しい頭を持つ人のことを言っている。
純粋化した概念を使った議論、あるいは思考は現実との乖離を生む危険がある。そしてそのような思考はその人に固有の頭の特性によるのではないだろうか、と想像する。むろん教育などの環境もあるだろうが、要因のひとつとして考えられるのではないだろうか。しかし、これは一般論であり、玉川氏がそうだと断言したわけではない。橋下氏でさえも彼の言葉を「難解」としたように、我々には理解できない高尚な思考をきっとお持ちなのだろう。
こう考えれば、理想主義と現実主義、左派と右派の対立が一向に解消せず、社会の分断がいつまでも続くことの理由が説明ができるのではないか。もっともこの証明も反証も極めて困難であるので私は無責任でいられる。まあ私自身、説明の信頼度がさほど高いとは思わないが。
橋下氏と玉川氏、お二人とも同じ日本人であり、ずいぶん広い知識と長い経験をお持ちと思うが、なぜこれほど見解が異なるのか、ということについて考えてみたい。
玉川氏の論理は前回述べた通りで、権力者は隠したがる→それを暴かなければ民主主義は機能しない→だからジャーナリストは大不可欠の存在である→従って情報提供に命を懸けた安田さんは英雄だと、簡単に言えばこういう筋書きである。確かにこの話はわかりやすい。子供でも分かる。しかし現実的とはとても言えない。
前回、権力者=(悪)、民主主義(善)、ジャーナリスト(善)などの概念を純粋化していることが思考の単純化につながり、現実離れした結論を導くと述べた。では玉川氏のような人は何故このような思考方法をとるのだろうか。
子供向けの童話や漫画では善玉と悪玉が明確に描かれる。人間は善と悪が入り混じっているのが普通だが、子供向けの話では子供の理解能力に合わせてわかりやすさが優先される。漫画の主人公はいつも単純な100%正義の人であり、悪者は様々なタイプがあって面白いが、たいてい100%の悪である。「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男は善悪が入り混じった例外であるが、そのために大人も楽しめる。
子供は成長するにつれ、純粋な概念では現実を正確に反映しないことを学んでゆく。100%正義の人も100%悪人も現実にはいないことを、民主主義は欠点がいっぱいあることなどを理解できるようになる。しかし成長の過程には当然ながら個人差がある。早い人もあれば遅い人もある。
少し似たような話なので紹介するが、「20歳で社会主義者でなければ、情熱が足りない。30歳でもそうならば、頭が足りない」 これは仏首相クレマンソーの言葉だそうだが、チャーチルの言葉として有名である。多くのバージョンがあり、引用が重ねられてきたことを示している。出典はともかく、これだけ引用されるにはこの言葉に納得できるものがあると思う人が多いからだろう。30歳を超えてもなお子供並の若々しい頭を持つ人のことを言っている。
純粋化した概念を使った議論、あるいは思考は現実との乖離を生む危険がある。そしてそのような思考はその人に固有の頭の特性によるのではないだろうか、と想像する。むろん教育などの環境もあるだろうが、要因のひとつとして考えられるのではないだろうか。しかし、これは一般論であり、玉川氏がそうだと断言したわけではない。橋下氏でさえも彼の言葉を「難解」としたように、我々には理解できない高尚な思考をきっとお持ちなのだろう。
こう考えれば、理想主義と現実主義、左派と右派の対立が一向に解消せず、社会の分断がいつまでも続くことの理由が説明ができるのではないか。もっともこの証明も反証も極めて困難であるので私は無責任でいられる。まあ私自身、説明の信頼度がさほど高いとは思わないが。
大体の所は まあ分かる気がします。
中東で、拘束から解放され帰国された 安田純平さんの自己責任だけを追及する者ではありませんが、
他方で英雄視も 勿論与すべきものではありません。
どちらが子供並みかは、貴記事を繰り返し拝読しても 一定は分かる事でしょう。