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猫と方丈記

2012-01-05 10:43:47 | マスメディア
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」

 言うまでもなく鴨長明の方丈記の最初の部分です。実は昨年、もっともなついていたネコが死に、それとほぼ入れ替わる形で、2匹の子猫を飼うことになりました。ネコは寿命が10年余りですから、一緒に暮らしていても、やがて死に別れの時がやってきます。何度もネコの死に遭い、そのたびに裏庭にある小さなネコの墓が増えていきました。このようなことを繰り返し経験するたびに、方丈記のこの一節が思い浮かびます。

 そして先日、ラジオで方丈記の朗読を偶然耳にし、中でも災害を記述した後半部に興味をそそられ、改めて読みました。たしか高校で習ったと記憶していますが、長い経験に基づいて老齢期に書かれた作品を若者が簡単に理解できるとは思えません。少なくとも私にとっては猫に小判でした。

 方丈記の成立は1212年とされ、ずいぶん昔のことです。上記の一節では、人の一生はよどみに生滅する無数のうたかた(泡沫)に例えられています。無常観が色濃く感じられ、これを仏教の影響であるとする説が多いですが、実のところはわからないと思います。仏教を知らなくても、生物の生死を長大なタイムスケールで観察すれば、無常観のような理解はさほど難しいことではないからです。方丈記は鴨長明の晩年の作ですから、そういった理解も可能であったでしょう。

 ちょっと意外なことですが、方丈記には京都を襲った大火や地震、飢饉を観察した記述が多くを占めています。具体的で、生々しいものもありますが、冷静で科学的ともいえるような客観性に富む一面もあり、それは信頼性の高さを示していると思われます。鴨長明は優れた世の観察者でもあったようです。

 教育が普及した現代でも、主観によって歪められた信頼性の低い文章が世にあふれていることを考えると、方丈記の価値はいっそう際立つようです。

 全部で1万字程度のもので、比較的読みやすく書かれています。古文が苦手な私でもおおよその意味は理解できます。全文が掲載されているリンク先はこちらです。面倒と思われる方のために初めの部分をもう少し引用しておきます。

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『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。・・・』


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