関門海峡に向いている 「 亀山砲台跡 」
境内にある日本一の 「 ふくの像 」
享保年間の 『 防長社寺由来 』 によれば、
859年 ( 貞観元年 ) 、行教が宇佐から石清水へ八幡神を勧請する途中、
当時は島だった亀山に碇泊した。
そのとき、 「 この山は清浄な地であるので、
しばらく祀ってから先へ進んでほしい 」 と神託があったため、亀山に行宮が設けられた。
この行宮が当社の起源であるという。
関門海峡鎮護の神社として歴代領主の大内氏・毛利氏らの崇敬を受け、
下関の総鎮守、長門国三宮とされた。
1874年 ( 明治7年 ) に郷社に列し、
1890年 ( 明治23年 ) に県社に昇格した。
1968年 ( 昭和43年 ) に神社本庁の別表神社に加列された。