お亀さん頌徳の記
「 境内は島であった 今を去る五百年の昔
馬関 ( 下関の古称 ) 開発のため わが身を滅して功あるならと、
人柱になり海底に消えたお亀さんは下関の街づくりの功労者であった。
時の人はお亀さんの功績を称え記念に銀杏の木を植えた。
木は年輪を重ねて名木となりお亀銀杏と称えられた。
木は昭和の戦禍にかかったが お亀さんの遺志を継承するかのように
焼け跡から新芽を出し 年々生長して母の木の面影をしのばせている。
実はお亀ぎんなんといい 不思議にも無数の斑点があり、
お亀さんの顔のあばたが現われたものといい伝えられている。
お亀さんの功績により開作された広い埋立地を八丁浜といい、
毎年3月1日から3日間 五穀祭に八丁浜エラヤッチャとはやし、
“ ぼんち可愛いや寝んねしな ” と唄い、
シャギリ 山車を出し 下関の町は八丁浜を重ねるごとに大きくなった。
八丁浜エラヤッチャはお亀さん頌徳の賦である。
平成元年 氏子崇敬者の厚い御奉賛により、
亀山八幡宮御鎮座1130年記念事業として境内を整備し、
お亀明神社を再建し池を整え玉垣をめぐらす。
ここに亀山八幡宮亀笑会創立30周年にあたり頌徳の記を更新し、
お亀さんの功績を永く称える 」